空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「木漏れ日に泳ぐ魚」 恩田陸 文春文庫

2018-01-16 | 読書


アパートの部屋から明日出て行こうとしている二人の気持ちを、交互の独白で表現する。
そこはもう荷物を出した後のがらんとした最後の一夜の部屋は、非日常の見慣れない夜である。

こういう形式は珍しくないが、それがお互いが殺人事件の犯人ではないかと密かな疑いの気持ちが潜んでいるとしたら、展開が気になる。

その上、ふたりの間柄を知ると、男女の微妙な心理が、思い切り不思議な雰囲気を醸し出していく。

事件にふれる過去の風景に徐々に迫っていく心理は、恩田さんらしく息が詰まるようだが。
ストーリーを追うものにとっては、事件そのものは少し底が浅く、途中までは退屈する。

殺人と書いたが事故死で処理された出来事に、二人が深くかかわっていることが少しづつ明らかになっていく。

二人が山歩きのガイドに選んだ男が崖で足を滑らせて死んだ。偶然男は二人の父親で、この二人は双子だった。血縁の二人が成人してめぐり逢い同居をを始める。
と書いたが ネタばれにはならない。これから続く話の進め方は技巧的でそれが恩田的にうまい。

次第に心の奥に芽生える微妙な心理、他人だと割り切れない感情が生まれる。
これを形を変えた悲恋と読むのは現代的ではない。昔の道徳観や倫理観に縛られた時代ではないと思うこともできるが、やはりこの二人は、別れることに何か心残りがある。


ブーン、と音がして台所の換気扇が回り始めた。
毎日聞いていたはずの音が、やけにうるさく、大きく感じられる。
少しずつ空気が入れ替わっていくのと同時に、二人の歳月が薄まっていくような気がした。明日、この部屋は無人になり、また新しい誰かが入る。ここで僕たちが過ごした時間は、もうどこにも存在しない


その上複雑な家族関係が影を落としている。

というストーリーで、恩田さんがこの話を思いついて書こうとした気持ちがよくわかる。
この設定で、ここまで読み進められる技術に引きずられて、やっと読了した。

でもありそうな話が次々に重なって、いびつな家族の形の中で育った二人の関係が、徐々に明らかになっていく。
それもあまり目新しいものではないが。

殺人か、人為的な事故か、少しの謎が隠されているがそれも動機としては浅い。

読むのをやめようとして、それでも読んでしまった。
最後まで謎解きが残るし。
あれこれといいながら、やはり筆の運びに引き摺られたられたようで。こういう謎解きや、二人の男女の禁断?の恋愛に近い感情を醸し出している作品は、人気があっても不思議ではない。

爽やかな印象を受ける題名は作者も気に入ったのか、結末の部分で、幻想的な木漏れ日の風景が爽やかな別れを演出している。

ただ面白かったのかどうかおかしなレビューになったが、いまいち感のある話で残念だった。
書店を歩いていると恩田さんの作品は題名に惹かれて買ってしまう。



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「遣唐使船の時代」遣唐使船再現シンポジウム編 角川選書

2018-01-11 | 読書


学問的な関心よりも「空海」関連の書籍を読んでみようと手に取った一冊で、古代の国から東アジア大陸から文化を取り入れ、新たな歴史を刻もうとした時代には、夢がある。
そしてその夢の実現に命を懸けて挑み、持ち帰った文化の多くの進んだ情報がどんな形で残っているかということも興味深いものだった。


復原された遣唐使船は奈良時代の遣唐使船と同様に、五月八日に大阪(往時の難波津)を出航、瀬戸内海、博多を経て、五島列島に至り、東シナ海を横断し、六月一二日には無事上海に到着して二一世紀の日中友好関係の新たな歴史の使者になった。本書は主に人を通じた遣唐使の交流をテーマに紙上に再現したものである。

空海の足跡を知ろうと読み始めたが、こういった時代背景ををざっと知り、遣唐使として大きな危険を負いながら、日本の国際化の一端を担った人たちの歴史を読んでいった。

昔の学習の記憶が、おぼろげに蘇る人々の名前を改めて読み、そういった著名な人たちの陰で、当然ながら船を支えた多くの無名の人々がいたことも忘れてはいけないと思う。



遣唐使船で往来した人物群像。歴史を変えたその超人的な活躍を追う!
阿倍仲麻呂、吉備真備、最澄、空海、円仁そして鑑真。遣唐使船が行き交った古代の東アジア・ネットワークと、唐の文化を移入した遣唐使、留学僧らの超人的な活躍、その精華として結実した古代文化を描く。

〈目次〉
   はじめに
第1章 遣唐使と古代の東アジア──鈴木靖民
  1 遣唐使の時期区分と性格
  2 文化移植と東アジア情勢──第一期(七世紀中葉・後半)
  3 東アジア国際社会への参入──第二期(八世紀)
  4 最先端文化の導入と日本的信仰システム──第三期(九世紀)
  5 東アジア・東ユーラシアへの広がり

第2章 遣唐使と天平文化──上田正昭
  1 大仏開眼供養会
  2 遣唐使と平城遷都
  3 春日大社と遣唐使

第3章 遣唐使と歌──平群広成と阿倍仲麻呂をめぐる夢想──上野 誠
  1 春日山と御蓋山
  2 平群朝臣広成のこと
  3 阿倍仲麻呂の登場

第4章 遣唐留学者の役割──森 公章
  1 遣唐使と留学者
  2 吉備真備
  3 弁正と秦忌寸朝元

第5章 来日した唐人たち──榎本淳一
  1 来日唐人の全体像
  2 遣唐使時代の外交制度と来日唐人
  3 日本と朝鮮諸国における唐使

第6章 最澄・空海と霊仙──武内孝善
  1 延暦の遣唐使
  2 最澄の入唐求法とその成果
  3 空海の入唐求法とその成果
  4 雲仙三蔵の入唐としその足跡

第7章 阿倍仲麻呂と玄宗、楊貴妃の唐長安──王巍
  1 阿倍仲麻呂
  2 阿倍仲麻呂と唐の長安城
  3 唐長安城と平城京、平安京

第8章 最後の遣唐使と円仁の入唐求法──田中史生
  1 国際交易時代の遣唐使
  2 円仁の求法活動を支えたもの

第9章 遣唐使と唐物への憧憬──河添房江
  1 「唐物」の初例と遣唐使
  2 『竹取物語』と遣唐使・唐物
  3 『うつほ物語』と遣唐使・唐物

最澄と空海は同時期に唐に向かった。だが同じ密教であっても受法してもち帰った教え(経典)は少し異なる、しかし最澄は天皇の信頼も厚く世に受け入れられた。天台宗の祖となる。
一方空海は、二十年予定の留学生生活を三年で切り上げて帰朝した。恵果和尚から伝授されたすべてと「胎蔵、金剛界」の灌頂を受けて経典と曼荼羅をもって帰朝した。真言宗の祖となる。

一度帰ろうとして帰ることができなかった阿部仲麻呂は、玄宗皇帝・楊貴妃の時代に高官にまで上り詰め唐に骨をうずめた。墳墓などの遺跡はいまだに発見されていない。

二度唐に渡った天才留学生の吉備真備も、様々な文化(暦法や楽器など)を持ち帰り、大仏建立にも関わり、多少の紆余曲折はあったものの恵まれた生涯を終えた。

興味深くとても楽しんで読めた。




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「身毒丸」 折口信夫 

2018-01-09 | 読書



附言より
説教節や伝説を小説形式にしたことに言及されています。
「この話は、高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとり去って、最原始的な物語にかへして書いたものなのです」

この附言は短いものですが解説も親切で、伝説からひも解く「しんとくまる」の話は、時間とともに様々に変化して来たことが、学問的な経路を見ると興味深く思われます。

謡曲の弱法師(よろぼし)が説教節に採用され、また一方では浄瑠璃になり、現代でも演じられる芝居に脚色されたというように、形を変えて残っていることが、どの時代でも庶民に受けいれられてきたのを感じます。

また、「しんとくまる」という名前も、漢字表記では、伝説だったものが時代が下って新しい形式に組み込まれた後、それぞれに文字が変化していっているということが、とにかく長い歴史を経た月日が感じられます。

俊徳丸という文字は、のちの当て字としています。

私が通勤通学に乗っていて、今も利用する近鉄には「俊徳道」という駅があります。
ここから、伝説が残る「高安駅」まではあまり遠くありません。身毒丸の一行が祭礼の折などに立ち寄った街道のひとつだったのかもしれません。

話がそれましたが、このように、伝説や弱法師という流れから見れば、身毒丸という文字表記はストーリーの意味に近く、わかりやすいと思えました。

この附言にあるように、身毒丸の小説は、高安長者伝説とは少し異なった部分あるように思えました。

説経節にうたわれる伝説では長者の子供が悲惨な業病に憑りつかれ、四天王寺で浮浪生活を送り、ついに観音菩薩に救われるという話で、伝わる過程で脚色され、時には信仰による救いに昇華することによって庶民に受け入れられてきたように思えます。

継子苛めや、ライ病に冒されて捨てられる境遇が、説教節では、避けがたい生来の受難が物語に力を与え、身を落とす前の四天王寺奉納で舞う華麗な姿から、次第に零落していく悪運もまた、底辺にあって運命に左右され続けた庶民には受け入れやすい物語であったろうと思えます。
身毒丸という文字にしたことで一種の象徴になったこの小説は、伝説とは別の舞台で演じられる物語のようです。

こちらは父親に捨てられ、親から受け継いだ病を持ちながら、田楽師の一行に交じって旅をするという話で、身毒丸は可愛い童から美しい若者に成長していく。そこに一座の親方である師匠との妖しい関係を示唆しながら、自然な成長で、幼子からいつか大人に近づいていく。
当時の祭りに奉納される田楽舞の風景や、舞楽を演じる流浪の芸人であって、下層にいながらもより下層の集団の中で生きていく、そんな人々の中で幼児のころから育っていく過程や、狭い旅の途中の風景が何か特殊な日常に隔離されたような世界に紛れ込んでいく。夢か現かという物語を作り出していく。
父親はこの世界から逃れてしまい、彼は孤児で育っても自然な性徴が見せるのだろう、不安定 な時期の女性に対する憧れは感覚的で幻想的な風景を見せる。物語は彼の一座だ折々に立ち寄る道筋の出来事を語りつつ終わっている。

外国にも社会集団から滑り落ちたロマなどと呼ばれる人々がいるという。人類共通の生活意識からまるで隔絶されたかのような環境にある人々のような、何か不思議な感覚を持っている身毒丸の世界。あるいは人になってから長い歴史を重ねてもまだ深層の心理の底には、自然の中に生きた生活の痕跡や回帰本能があるのかもしれないという宇宙感のようなものを書き出そうとしたのだろうか。

説教節や歌舞伎の形からは少し距離があるように思える「しんとくまる」という話を礎にした、とても興味深い人の悲しみが伴う話だった。

私の育った地に近いところに残る伝説がもとになっている高安には「鏡塚」という史跡も残っているという。

「死者の書」の一種の宇宙観を伴った物語の幽玄ともいえる雰囲気にふれて、感銘を受けたが、説教節という今に残っている話の歴史を、これからももう少し拾い出して読んでみたいと思う。



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「死者の書・身毒丸」 折口信夫 中公新書

2017-12-10 | 読書



中学生の時、初めて新書を買った。叔父にもらった小遣いで「ゼロの発見」と「壬申の乱」を買ったのだが残念なことに今はどちらも手元にない、「壬申の乱」には最初に琵琶湖の図があって、そこに戦いの際に移動した行軍などの道筋が線で書いてあったような記憶がある。何しろ、中河内で育ち大和川付近を掘っていると須恵器の欠片が出てくるなどと学校で話が出るほど古い土地柄だったので、関心があったのかもしれない。古代の歴史など知識がなくても、身近な地名が出てくるだけでも面白かったような記憶がある。
この本は河内の「説教節」が面白そうだと思って「身毒丸」を読みたいと買ってみたら「死者の書」が付いていた、もちろん「死者の書」がメインで、読みかけたのだが、最初から蘇りの話でこれは腰を据えて読むべしと伏せたとたんに腰が据わりすぎて本棚の隅で眠っていた。
東寺に久しぶりに行ってみたり、和歌の浦に行ったついでに寄った「万葉館」が面白かったりして、先祖返りというか古代帰りというか、なかでも歴史が絡んだ曼荼羅って面白いと思い、ついでにこの本を思い出した。読書は妙なつながりで本を選び読み始めるものだ。
読む姿勢になっていたからか、夢か現かという部分がとても面白かったが、かじりかけの知識で読むためか、調べ調べで進まず、初めて本に書き込みをした。

「死者の書」は計り知れない量の古代研究の成果が詰まっているのだろう。中将姫の物語を下敷きにしたにしても、当時の渡来人がもたらした仏教や中国に渡った僧が持ち帰った経典の教えが時代に受け入れられ、信仰を集め、密教文化が花開き、由来の寺社が建造され、仏像が作られて安置されていく。八百万の神々を信仰する大和人に神仏が形のあるものとして見えたこともインパクトがある。山越しの阿弥陀像の話は春分、秋分の中日に二上山の男嶽と女嶽の間に沈む太陽が荘厳で神秘的な阿弥陀像を浮かび上がらせるようす、当時の信仰の一端になった様が、神秘的で奇跡とも感じられる幻想的な物語に組み込まれていく。

冒頭の大津皇子の目覚めは、どういうことに発展していくのかとストーリーの不思議な展開に興味がわいた。「した した した」と岩窟の上から滴り落ちる水音が印象的。徐々に目覚める意識とともに、記憶も蘇ってくる。死者でありながら生きていた記憶の、このところが生々しく描写される、朽ち破れた衣や錆びた太刀、崩れた肉体を意識する部分が幻想的ながらタブーを覗くような不快感もある。「こう こう こう」という魂寄せの声に応じて墓からつぶやきが漏れてくる「をゝう…」。彼は死の間際で見た耳面刀自のおもかげを思い詰めていたことに気がつく。
人間の執心と言ふものは、怖いものとはお思ひなされぬかえ。
と姥が語る。

一方、100年後、横佩と呼ばれる藤原南家の長女、藤原の郎女は、一度見た二上山に沈む夕日。その残照が映える雲の上に現れた、黄金の髪に縁どられ、右肩を露わにし、片手をあげた仏の姿に憧れて当麻の里にたどり着く。
経文千部の写経をすまし、結願成就の後、結界を破って寺に住み着き、父の許しと、固い決心で世の習いになれていく。無垢の世間知らずの郎女が、小さな窓と御簾奥にいることに飽き足らず、外に出て、仕える女たちと蓮糸をとり、衣を織る。このあたり貴族で育ちの良い郎女と庶民のギャップが面白い。
郎女は憧れの俤を思い続け、肩にかける衣を織る。その上に絵を描く。それを見守る人々の前にみるみる曼荼羅の姿に変わる。
郎女はそれをもって姿を消す。

この物語の中に、媼の語る歌や、大津皇子が郎女を訪れる妖しい気配や墳墓の様子。都で力をつけていく仲麻呂、ちょっと自由人めいた大伴家持、当時の塀や庭にまつわる風景などが織り込まれ読む楽しさが味わえた。

雲の上の阿弥陀という自然信仰は山の上だけでなく、海など水の上でも感知され絵図の上にもあらわされているという。
曼荼羅といえば死者を迎える来迎図は平等院になどにも残っている。
當麻寺は牡丹の時の人ごみに驚いて避け、薄雪の積もった時期の冬ボタンを見たり遅れて枯れ始めた紅葉の時を狙って何度も訪れているが、こうして一つの物語を読んでみると、一層身近に感じられてきた。

東寺の空海曼荼羅は素晴らしい。映画もあるそうなので少し「空海」の後を辿ってみるのも面白いかもしれない。


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「やし酒飲み」 エイモス・チュオーラ 土屋哲訳 岩波文庫

2017-11-29 | 読書
  


この変わった本との出会いは、1990年の花博まで遡る。忙しい時間をやりくりしてラフレシアを見に行った。あわよくば青いけしも見たいとそれだけで大嫌いな混雑に紛れ込んだ。ラフレシアは時期が遅くしぼみ始めていたが、帰り道に「やしジュース」の店を見つけた。これはチャンスかも。ストローを突っ込んで飲んでみると味は青臭く、薄甘く、健康飲料に似た味でいざというときの水分補給以外に飲みたくなるようなものではなかった。

本屋でこの本を見た時は、「やし酒」か、あのジュースを発酵させたものだろうか、わずかな糖分が飲めるほどに発酵するものだろうか。深く考えもしないで、書き出しの大酒のみの部分だけ読んで本棚に押し込んであった。
今回引っ張り出して読み返すと、これが見事に発酵していた。たまらなくユニークで面白かった。

金持ちの長男で十歳ごろからやし酒を飲むだけの生活だった。この頃はまだタカラ貝が通用する世界で父親は大金持ち。やし酒のみの息子に広大なやし園を与えやし酒作りの名人も雇ってくれた。
これが話の始まりだが、この幸せは父親が突然死に、やし酒作りも死んで消えてしまった。
やし酒以外水も飲めない体で、残っていたやし酒も飲み尽くし、そうなると取り巻きも去り、代わりのやし酒作りも見つからなかった。死者の国からやし酒作りを連れ戻そう。この話はここが発端で、彼は「死者の国」に旅立つ
ジュジュという妖術か魔力を身に纏い、父親のジュジュまで重ね着をして、一歩を踏み出す。
「死者の国」は死者が天国に行く前に仮住まいをするところらしい。まだやし酒作りはいるだろう。

当時まだあちこちの道の奥にBushと呼ばれる深い森林があった。そこには未知の生物や魔物が隠れ棲んでいた。死者たちはきっかりと区分された国境線の中で暮らしていたが、その中でやし酒作りを探すのはほとんど運任せだった。

恐怖にさいなまれながら不思議な旅が続く。
チュツオーラの想像力はマジシャンが空中から鳩を取り出すように、「死者の国」を作り出す。
一つ一つの物語は、「死者の国」に住んでいるモノとの遭遇で、恐怖と命がけの戦が続く。

まず「死神」に頼まれ娘を取り返して嫁にする。彼女は市場で見かけた完全な紳士の後をつけて、彼が借り物の体のパーツをを次々に返し代金を払って頭蓋骨だけになるのを見る。骸骨紳士がいる「底なしの森」で娘は「頭蓋骨一族」にとらわれていた。これを救い出す方法が面白い。
連れ出した娘の親指から子供が生まれ、これまた輪をかけたやし酒のみで怪しい生き物だった。「ズルジル」という名前がある。幸い出会った「ドラム」「ソング」「ダンス」という善良な生物の中に赤ん坊を置いて出発する。

死者の国々を通過する有様は、チュツオーラの脳内でさまざまに変化し、読んでいるとまるで「ドラム」「ソング」「ダンス」を見せてくれるように揺さぶられ踊らされる。

運よく危険な魔物から逃れ、親切な一族に助けられ、探し出したやし酒作りは、死者は生者のところには戻れないという。
やし酒をたらふく飲ませてくれたが、別れ際に「卵」をくれた。その望むものが何でも出る魔法の卵をもって故郷に戻り、旱魃・飢饉で飢え死にする人々を救い、こっそり出しておいた金貨で大金持ちになる。
飢饉は「天の神」と「地の神」の争いで始まったものだった。貢物をもって行くと「天の神」は怒りを沈め。雨を降らす。

これはアフリカの風土から生まれた人たちの話で、チュツオーラが味付けして作り上げた神話に似た物語りではないだろうか。
我が国にも古事記から伝わる、神話、民話、伝承、文字のない時代の口伝の御伽噺などがある。異国の長い歴史の中で生まれ魂の奥深くに根付いたもの、根源的な死の恐怖や、想像力が作り出した妖怪変化や、アニミズム・力の及ばない大きな自然に対する畏れ、魂の救済も司どり心の支えになっている祈りの対象に持っている深い信仰心。このぶっとんだ「死者の国」の話は読んでいると遠いアフリカが少し身近に感じられる。
チュツオーラを読む、人間の原風景ともいえる、これらの話を読むとき、いつの間にかやし酒のみの旅が親しく響いてくる。
それにしても「打ち出の小槌」か「玉手箱」のようなものはどこにでもあるもので。人類共通の「望み」かも。

チュツオーラという作家は、アフリカでも文化都市に生まれ、そこで途中まで教育を受け飛び級するほど優秀だったそうだ。ただやはり風土のせいか教育費に事欠き、望むような道に進めなかったらしい。

このあたり、独立戦争でやっと勝ち取った自由や長い悲惨な歴史、今も続く部族の争いなどが浮かんできた。豊かな資源がかえって不幸を呼び寄せたことも考える。


やし酒はあのヤシジュースから作るのではなく、やしの幹に出る芽を欠いて、そこから出る甘い樹液を発酵させたものだとか。




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「ネジマキ草と銅の城」 パウル・ビ-ヘル 野坂悦子訳 福音館

2017-11-21 | 読書


こんなに楽しく温かく、美しいお話に出会って読めたことがとてもうれしかった。

もし1000年生きることができたら、このマンソレイン王のように銅のお城で一人ぼっちになってもかまわない。こんなに次々に優しい動物がお話を持ってきてくれるなら。1000年後だしなんて思ってしまったほど。
ひげの中に潜って心臓の音を聞いてくれる優しい野ウサギがいて、壊れた心臓のねじを巻くために薬草のねじまき草を探しに行ってくれるまじない師がいるなら寂しくないかも。


まじない師が王様の寿命を延ばすネジマキ草をさがしに行く道で、出会った動物たちに王様にお話をしに行ってくれるように伝えた。

夜になって、オオカミが来た。そしてこだまの魔女と闘った話をした。その時脇腹の毛をむしられから今も毛が生えていないけれど。
次にリスが来た。
砂丘ウサギもきた。遠くから聞こえる「大きなザブーン」を兄ちゃんと聞きに行った。危険だと言われていたが兄ちゃんは「大きなザブーン」の近くまで行って帰らなかった。
カモもヒツジも来た。
羊飼いは羊の毛を背中で二つに分けて櫛できれいに梳かして王様に挨拶をした。
毛の中から小さなハナムグリが顔を出して、玉座の背中に乗せてもらって、蜘蛛と花の話をした。
カモが満月の夜にしか咲かない、ねがい花の話をした。
ライオンが来た。時間をくみ出す魔女のポンプの話をした。ライオンは魔女に働かされて命が尽きたが、天使が王様のところに連れてきてくれたのだった。
馬もきた。3つの頭があるドラゴンも来て、かわいい舌足らずで話をした。
畑ネズミと町ねずみがきてネズミの歌を歌って大うけした。
ツバメは、魔法使いのお父さんとわがまま娘の話をした。
ロバが来た。かわいそうなロバは素敵な帽子を風に飛ばされたので、お嫁さんが来なくなった。今も帽子を探している。あれがあれば結婚できるんだよ。
小人アノールは古い話をした。昔、小人たちは二派にわかれて争った。若いマンソレイン王と13人のイドゥールは暖かい国にのがれ銅の城を立てた。
広間に立てた千本のろうそくが燃え尽きようとしていた。千年の寿命。一本のろうそくが届けばまた千年の寿命がはじまる。

そこに火のついたろうそくが運ばれてきた。まじない師がねじまき草を煎じて持ってきた。

まじない師は北の高地から薬草を持って帰った。途中で小人に出会って、銅の城がどうしてできたのか伝えてくれるように頼んだ。


なんて素晴らしい話でしょう。広いお城で暮らすことになった動物たちの話も夢や暖かい思いやりを伝えてくれる。昔々銅のお城に住む王様と動物たちのお話だった。
忘れていた、村上勉さんの挿絵もピッタリでとても素晴らしい。



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「利休の闇」 加藤廣 文藝春秋

2017-11-18 | 読書



秀吉は針売りから身をおこし立身出世に邁進する、時代の流れに天才的な勘を持ちおまけに運までついていた。対、潔い求道者の利休という構図が浮かぶが。


前に読んだ山本兼一著「利休にたずねよ」はまさに期待通りの展開で面白かった。
今回の加藤廣著は、より信憑性を求めているのか、文献に沿って物語がやや細かく進んでいく。
やはり、資料だけでは不明なことが多く、歴史書はここをどう埋めるかに腐心するのだろう。
構想15年という「信長の棺」が話題になって評価されていて、とても期待していた。

面白かった。
秀吉の出自を引きずるいじけ具合や、出世第一の生き方、機を見るのに敏で、戦国時代ではこれに尽きるが、その上何かにつけてついていた。追従術にたけ呵責もなかった。やはりこれも秀吉の才能ということだろうか。

こういう風に利休を語るには秀吉が付いて回る。利休はその時どうしていたか、この本では歴史の歯車は二人を乗せて回っていく。

信長は、天才だったが、本能寺で焼き討ちに会い、ここでは生死も行方もはっきりしなくて、さっさと舞台から消える。光秀も討たれる。

秀吉と茶道・侘茶との接点は、信長の好きな赤烏帽子だった。高名な茶道御三家の一人宗易(のちの利休)に弟子入りする。
その頃の藤吉郎は利休の言う「遊び心の深さ」が言葉からしかわかっていなかった。

藤吉郎は信長から「茶会許可証」をもらい得意満面で姫路城で茶会を開いた。それは自他共に密かに天下取りの一人者と認め、認めさせる外部アピールの瞬間だった。

秀吉なりに向かう姿勢は違っても茶の湯茶道を理解していた。天下一になり湯水のように財力を使って、名器といわれる茶器を集め献上させて、それを披露し(見せびらかし)、手柄を立てた武将に下賜して、大いに力を見せたとしても。鑑賞眼がなかったのではない。

ただ、利休は求道者だった。当時重用されていた宗家の二人を置いて秀吉の下で勝ち組筆頭になっていた。

信長時代に認められ、茶器の巻手を任され、財力も蓄えていたが、秀吉は人使いが巧みだった。利休は面目をほどこし押しも押されもしない地位に就いた。

このあたりから彼にあからさまに様々な波押しよせる、信長の死、朝廷の介入で叱責を受け逼塞、秀吉との立場の逆転など、茶の道を究めようとする中で、世俗の風にさらされることになる。

弟子として見ていた秀吉が頭から指図を始める。賜った利休という名も気に入らない。
それでも彼なりに処世を見極め、茶道で生き残るために節を曲げることも多かった。
利休は若いころ放蕩もつくし、女もかこっていた。立場が危うくなると女の下に身を隠すこともした。

一方秀吉はますます忙しく、東奔西走して、各地の武将を操り、力を広げていた。
そして、子種なしと思い養子縁組までしたところにひょっこり茶々が懐妊した。

得意絶頂で茶道の遊びは脇に追いやられ茶会の数も減って利休の陰も薄くなっていった。

求道者という姿を持ち続けていた利休は、日が当たる秀吉という庇護者の光が陰ってくるにつれ、彼の闇は深くなる。

彼も多少意固地で頑固だった。誰しも目指すところが深ければ深いだけそれに助けられて生きていくことが多い。自尊心・プライドに導かれている。
利休はそれを捨てず貫いたというべきだろう。

石田三成は、賢明だった。主君の命を察し利休の罪を探した。彼は見逃せば見逃せる大徳寺の木造を理由にした。

堺に逼塞していた利休は刑の中でも多少軽いとされる切腹に決まった。

その時秀吉は
「愚か者め、ただの遊びにすぎぬのに」とつぶやいた。

歴史の闇も深い。利休関係の本をただ二冊読んだが、山本兼一さんのものは茶器に造詣が深くそちらの面でも読み甲斐があり、ストーリーに利休の茶道にかける執念がにじみ出ていた。

加藤廣著の方は、利休の生き方の生々しさと、立身出世という執念とともに茶道に向かう秀吉との対比が面白く、それぞれ違った味わいを持っていた。
こういうテーマはやはり事実がどうであっても物語に入りこんでしまう。




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「七人の使者 神を見た犬」ほか13編 ブッツァーティ 岩波文庫

2017-11-17 | 読書


よく知られた短編集「六十物語」から、15編を選んで訳されたそうで、これだけを読んでもブッツァーティの作風を存分に知ることができる。
「七階」は北村薫編の短編集で読んで、面白い、これはヨマネバと思って買ってきて、いつものように積んでいた。
今回 「#はじめての海外文学 vol.3応援読書会」に上がっていて、読みます宣言をしてやっと読み終えた。

不条理な日常の中に、不安、恐怖、恐れが潜んでいる。
周りの群衆に惑わされて後になって気が付く、眼には見えないもの、奇妙なものを恐れる気持ちは、人であればどこかに抱えている。
好んでそんな状況に飛び込むこともあれば、向こうからじわじわとやってきて巻き込まれたり、不意に突き落とされたりすることもある。
平穏な日常を、何気なく過ごしてはいるが、次第に導かれるように恐怖に近づいていくこともある。
ブッツァーティはそういった人間の根底にある恐怖を、特殊な環境設定であぶりだしている。平凡な日常にいると思い込んでいると、ふと気が付くこういった状況にいるということが実に興味深く、時にはあるだろう、不幸にも出会うかもしれない、という設定が興味深い。
ありそうな、でもまず出会いそうもない出来事も、独特の風景や環境設定が面白かった。

☆ 「七人の使者」
王国から出発して国境まで踏査しようと出発した。その時、年齢は30過ぎで7人の使者を連れていく。途中で母国に手紙を託して状況を知らせていたが、遠ざかるにつれて使者の帰りが遅くなった。すでにどことも分からなくなった国境に向かっていて、次々に使者を出したが、帰ってくるのに歳月が流れ、ついにはもう出した使者が追いつくかどうかわからないくらい遠ざかった。砂漠を越え村を通るが国境には目印もない、とっくに超えてしまったのか。目的が曖昧になりながらも先に向かって歩く話。なぜ、どうして。始めたことはもう引き返せない性もある。寓話的だがうら悲しい。

☆「七階」
微熱が出たので評判のいい病院に入った。7階は眺めも良く気に入った。ところが6階に移ってくれという、6階でも眺めはいい、まぁいいか。そうしているうちに5階に移った、細胞が少し破壊されているという。腕のいい医者は下の階にいるので移った。そのうちに湿疹ができた、治療機械が4階にある。などなどもっともな医者の話とともに治れば上に戻れるという希望とともに下へ下へ、重症患者のいる下の階に移っていく。一階はシャッターが下りている部屋も見える。よくなります。請け負います。あなたの病気は軽い軽いと言われながら、下の階に落ちていく。

☆ 「それでも戸を叩く」
☆ 「マント」
☆ 「龍退治」
☆ 「水滴」
などは非現実の中にまで潜む恐れを書いている。よくこんな題材でと思いながら印象的だった。

☆「神を見た犬」
街の人々は神や祈りとは無縁な暮らしをしてきた。
デフェンデンテ・サポーリは裕福なパン屋の老人から財産を譲られた。公開の場所で毎朝貧しい人に50キロのパンを恵むという条件付きだった。
デフェンデンテは籠に穴を開けて裏から数を減らしながらそれでも毎朝パンを配っていた。
丘の上の崩れかけた教会に貧しい隠者が住み着いた、町の人は地元の教会にもいかず丘の上など気にしないで隠者に近づきもしなかった。一匹の犬が毎日丘から降りてきてパンを一つ咥えて隠者の下に持って行っていた。隠者がいるとき丘の上に不思議な白い光が見えた。その光が白く輝いて大きくなったのが見え、隠者が死んだ。人々はしぶしぶ習慣で隠者を葬った。
しかし犬は変わらずやってきてパンを持って行った。隠者の犬なので神を見たかもしれない。人々はその姿を見て少しずつ生活が変わり始めた。人目につかない形ではあったが。
神を敬う心がない人々と、欲の皮の張ったパン屋と、いつもあちこちで見かけていた犬が教会の塀の上で死んだこと。そういった中からじわじわと滲みだしてくるような、人々の心の変化が、珍しく最終章でたねあかしもあって、いい話になっている。

☆ 「山崩れ」
☆ 「道路開通式」
☆ 「急行列車」
変わったこともない所から、次第に先が見えない状況に向かっていく恐怖。

☆ 「自動車のペスト」
普通ならありえない状況でも人は右往左往する。喜劇的な中に潜む滑稽な事件

☆「聖者たち」
生きていた時は神に仕える身でも評判は様々だったが、「聖者」と呼ばれて死ぬと天国に何不自由のない隠遁地が与えられた。ガンチッロは何かの間違いでこの「聖者」の中に入ることができた。
しかし本物の聖者になりたくてそっと奇跡をおこしてみたが、不発に終わり次の手もダメだった。珍しいコミカルな話。

☆「円盤は舞い降りた」
これもありえない状況で、教会の尖塔に舞い降りた異星人と話す、かれらは状況が全く読めないままなんとなく去っていく。異星人の描写もおもしろく可笑しい。



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「高峰秀子と十二人の男たち」高峰秀子 河出書房新社

2017-11-15 | 読書



亡くなられたけれど、高峰秀子さんが好きだった。今でも。 「渡世日記」や「まいまいつぶろ」を読んだことがある。


好きだなと思ったのは、何だったか忘れたけれど週刊誌で読んだ一言だった。多分答えから思うと「ポルノは読みますか」という質問だったろう。そこで「読みません、教わらなくても知ってます」というストレートな答えだった。
その頃は、宇野鴻一郎などのきわどい官能小説をよく見かけていたので、私などは時間を使って読む本は純文学がいいなどと生意気だった頃で、この言葉に痺れた。それだけでなく意見を述べるのに媚びない姿勢にも痺れた。

そして、先日図書館で見かけたこの本を読んで、「知っています」というのは、結婚しているので男女のことは判っています、ではなく後年に出演した「浮雲」のように、男のために愛と恨みの波にのまれたような女を演じた、清純なイメージから、ついに泥沼を見た女になったこと。ただ「知っている」だけではない体で覚えた人生観も含まれていたのだろうと気が付いた。
体験と演じることは違うなどと小難しいことは考えない。人を殺さなくても作家は書けると理屈も浮かんでくる。
私などは名女優といわれた人の中にこの方を入れている。
そんな高峰秀子が亡くなった後に出版されたこの対談集は遠慮なく編集しただろうと肉声を聞いた思いがした。

26歳から80歳までの対談集で、今は鬼籍に入った人がほとんどだが、時代の香りを纏いながら懐かしい世界にふれた。興津要さん以外の方は私でも知っている。やはり時代の一端を担った人たちだろう。交友関係も広い。

☆谷崎潤一郎との対談も興味深い。「細雪」が映画化されたときの話で、高峰秀子は元気なこいさん役だった、ただ大阪弁ができなくて訓練したそうだ、音程などとともに、文豪谷崎は関西にいて詳しく、話が面白い、言葉のことと和服にはこだわりがおおく、姉妹のそれぞれにあった着物がきちんと分けられていることに、新しい発見があった。
阿部監督「もちろん『恍惚の愛は』ご覧になりましたでしょう」
谷崎「全然直してあって、自分のもののような気がしなかった。だけれどそういうことを離れて見ましたがね」原作者はこういう見方もするのかな、印象的だった。
だが、阿部監督の奥畑(オクハタ)敬一郎が…。
というのに、それはね、オクバタケと読んで下さい。と訂正している。

☆三島由紀夫とは年が近いせいもあってやや先鋭的な三島に斜に構えた発言で返している。

☆何もかも捨ててパリに行ったことをフランス文学者の渡辺さんと率直に話している。フリーになって新しい生活を求めて飛び込んだことなど何度も読んだ記憶があるが、自由な暮らしに憧れて決行(実行)した勇気は高峰さんらしい。

☆近藤日出造さんには「そんなほんとうのこというと評判落とすよ」と笑われて題名にもなっている。その後も自分の言動に率直だった、聡明で思慮深いが、こういう生き方なので次第に思い残すものが減っていったのではないだろうか。

☆森繁久彌さんとは「恍惚の人」で共演して、老いについて語っている。森繁さんも亡くなったけれど、こうして疑似体験できる役者の生き方に学ぶところもあった。言葉に重みがある。

☆林房雄「あなたは若いときから哀しいひとでしたよ」

「上手で残っているか、丈夫で残っているかって」田中絹代さんや山田五十鈴さんと話したんですが」
生き残りについて林さんは「芸の力ですよ」といっている。
そういえばこの方々が亡くなったときは新聞に大きく掲載されていた。

水野晴朗、長部日出雄とは二人の映画薀蓄が素晴らしく、長部さんの時は高峰秀子最晩年80歳で、電話対談になっている。

父母が映画好きだったので、少しだけれど見た記憶もあって懐かしかった。

伝説のようになった多くの名画を残した高峰秀子さんという人の生き方は、できればこう生きたいと思うような、身ぎれいで無駄がなく冷たいようで芯は暖かく、この世を渡っていった人のように感じた。




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「もう一度読みたい教科書の泣ける名作」 学研教育出版

2017-11-06 | 読書




「ごん狐」などはよく知っているはずなのに、大雑把な話しか知らないので、ずいぶん前から気になっていた。ふと思いついて図書館の本を検索してみると、この本が出て来た。


選考はさまざまな世代にアンケートを行い、有名な作品から、隠れた名作まで16編が選ばれているそうで。
採用された教科書の学年の紹介があると書かれているのですが、記憶にあるのは「かわいそうなぞう」「杜子春」だけだった。

後年、作者の全集などで読んだものが多いが、初めて読むのもあって、教科書には、こんな作品が載っていたのかと、読んでみると又特別な感動や感激があった。


教科書の作り手が検討に検討を重ね、学習に適した面白い作品を選び抜いた結果が「教科書の物語」です。名作ぞろいなのも当然といえましょう。

厳選16編の目次は

☆「ごん狐」 新実南吉 

☆「注文の多い料理店」 宮沢賢治

☆「大造じいさんとガン」 椋鳩十
   がんのわたりのリーダーに「残雪」という名前を付けた。利口なので爺さんが狙っても一羽も撃てなかった。「残雪」と爺さんの知恵比べ。

☆「かわいそうなぞう」 土屋由岐雄 小学校二年生の教科書 

☆「やまなし」 宮沢賢治 小学校六年生 
   蟹の子供たちが話している。「クラムボンはわらったよ」「クラムボンはかぷかぷわらったよ」独特の擬音が印象的。川の中から見た風景も幻想的。

☆「モチモチの木」 斎藤隆介 小学校三年生
   一人で外のセッチンに行けない小さな豆太が、ある夜モチモチの木に灯がともったのを見た。

☆「手袋を買いに」 新実南吉 小学校四年生

☆「百羽のツル」 花岡大学 小学校三年生
   百羽に鶴が飛んできた。長い道のりにやっとついてきた小さな鶴が落ち始めた、99羽のツルが網のように重なって広がりとおさない鶴を受け止めた。

☆「野ばら」 小川未明 小学校六年生
一株の野ばらが咲く国境で、二つの国から来た兵士が一人ずつ隣り合った小屋で警備していた。二人は仲よく日を過ごしていたが、若い兵士が戦場に出て行った。残ったおじいさんは若者が死んだのだろうと思ったが、前を通り過ぎる軍隊に彼が見えた。でもそれは夢だった。戦いが終わりじいさんは暇を取って故郷に帰りバラは枯れた。

☆「ちいちゃんのかげおくり」 あまんきみこ 小学校三年生
  影法師をじっと見て青空を見上げると、空に影が映って見える。と出征前のお父さんが教えてくれた。戦争が激しくなり、空襲を受けた。光が顔に当たってまぶしくて目が覚めると。一面の花畑の中にいた。

☆「アジサイ」 椋鳩十 小学校六年生
  小さな谷に小さな沢があり一面にアジサイが咲いていた。危険なのでとってはいけないと言われていたが妹が恐れ気もなくアジサイの群れに入り腕いっぱいのアジサイを抱えてきた。

☆「きみならどうする」 フランク・R・ストックタン 小学校五年生
  ファルは銃と写真機をもって森に入った。見事な鹿の親子がいた。写真を撮るか、撃つか。
  
☆「とびこみ」 トルストイ 小学校四年生 
   世界一周の帰路に就いた船のマストに猿が上った。少年も負けるまいと登った。下を見て恐ろしくなった。船長はマストふるえている息子に銃を向けた。「飛び込まないと撃つぞ」

☆「空に浮かぶ騎士」 アンブローズ・ビアス 小学校五年生
  カータという補償は前線で眠りこけていた。目を覚ますと眼前の崖にある平らな石の上に馬が見えた。その姿は減れた空に浮かんでいるようだった。彼は銃の引き金を引いた。空から降りてくるように見えた騎士は崖から落ちた。「誰が乗っていたのだ」「私の父です」「なんていうことだ!」と軍曹がつぶやいた。

☆「形」 菊池寛 
  戦場で勇名をとどろかした武将、新兵衛の兜と猩々緋の服折りを初陣の士に貸した。彼は敵陣に討ち入り、悠々と人に引き返した。一方代わりの武具を付けた新兵衛は勝手が違った。彼は押し寄せる敵の槍が、彼に向かい、突き出されるのを見た。

☆「杜子春」 芥川龍之介 小学校六年生


時代を写すものもあれば多少道徳的な話もある。「かげおくり」は子供の頃遊んだことを思い出して懐かしかった。




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「リヴィエラを撃て」 高村薫 新潮文庫

2017-10-19 | 読書




「リヴィエラを撃て 上下巻」

上巻を途中まで読んで、これは読むのを休むと混乱すると思った、(すでにほどほどに混乱してきたので)相関図とそこまでの出来事をメモした。
アメリカ、イギリス、中国、日本、各国の情報部とそれに属するスパイ組織、テロリスト、CIA、英情報局保安部(MI5,MI6 チラと名前だけJ・ボンドが^^)、IRAの革命家、スコットランドヤードの情報部。それに協力する人間、巻き込まれる人間、「リヴィエラ」というコードネームを持つ日本人を追う人間。核になる「リヴィエラ文書」はどこにあって何が書かれているのか。様々な要素がサスペンス風に展開し ハードボイルドあり「リヴィエラ」絡みのミステリありと飽きることがなかった。
息もつかせない面白さというが、高村さんの実際に歩いたという海外の街(イギリスの風景)が実に鮮明に描写され、雰囲気を盛り上げている。
アイルランドの小さな村から始まるIRA戦士による殺人。その息子である、主人公の青年ジャック・モーガンと恋人のリーアン。

彼は上巻の最初の部分ですでに千鳥ヶ淵で射殺されている。一緒に日本に来ていた若い女の「ジャック・モーガンが捕まった。リヴィエラに殺される」という通報で、初めて「リヴィエラの名前が出る。検死には公安にいたイギリス人との混血、手島管理官が立ち会った。

香港返還、文化大革命を下敷きに、リベート問題がある。エージェントとしての「リヴィエラ」がどうかかわっているのか、すべての人達の視線の先にある「リヴィエラ」について名前が分かった時点でも正体が最後まで分からない。

ジャック・モーガンが身を寄せた先で知り合った、ノーマン・シンクレアと彼のマネージャーと称するエイドリアン。シンクレアは世界的なピアニストで二人とも翳の多い生き方をしている。貴族の称号を持ち自由な暮らしの中で、ジャックと濃密な関係を持つ。シンクレアは密かにスパイ活動と、「リビィエラ」に日本で一通の文書を受け渡しをしていた。

IRAの活動家だった父親が殺された後、ジャックは銃の腕を見込まれてテロリストになる。彼の夢は、リーアンと穏やかな家庭を築くことだったが、次第に深みにはまり、腕の良さで次々に殺人を成功させ、情報部に目を付けられるようになる。

ジャックをかくまうために預けられるCIA職員のケリー・マッカラム(一名伝書鳩)との暖かい交流がいい。ケリーは同じ組織の恋人サラがいたが彼女は車の事故で悲惨な死に方をする。そして彼はドーヴァーを前にしたウェスタンドッグ駅でジャックをフェリーに乗ると見せかけ電車に乗せる。東京へ。
直後にケリーは駅で死んだ。

読みどころというか、殺伐としたテロ、スパイ合戦にあって、人間関係と事件の裏事情と、人命がかかった情報が錯綜する中で、筋道だった詳細が独特の筆致で深く重く書かれる。その中で登場人物たちのエピソードが情感たっぷりに心を潤す。一人ひとり死んでいく現実の中で読みながらこういった世界では茶飯事でありながら生と死の物語がこころに響く。

お気に入りらしい、ピアニスト、シンクレアの日本公演で初めて「リビィエラ」が現れる。ここで一気に読み手も冷静に戻り、シンクレアの魂を込めた演奏も、彼の最後を飾るのにふさわしい、悲しい未来を予見させる。ジャックとシンクレアの関係もただのスパイ小説でない、人の絡みの妙を感じてホロリとする。

裏で生きる人たちのおびただしい死とそれぞれの生き方が詳しく、はいりこんでしまった。どうしてこの人たちがお互いにかかわることになったのか、と硬派な高村さんの筆は休むことがない。

最後まで読んで、手島に抱かれた無邪気なジャック二世が可愛い。





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「死後の恋 夢野久作作品選」 

2017-10-13 | 読書




好奇心から「ドグラ・マグラ」を少し読んで挫折したので心配でしたが、そんなに面白いなら私も続いてみようと思って。惚れたのねと#棚の一覧を眺めたのです。

不思議な文体にあふれている、初めての久作ワード、カタカナも混じっていて、読み慣れるのに少し時間がかかった。

「死後の恋」「瓶詰地獄」は名作ということで、ストーリーだけ取ると、家系を守るために男になり、死んだ後に持っていた宝石だけが残されるというのは、特に戦争や革命で社会制度の変わり目に揉まれて死んでいくということは珍しくないと思ったが、死の悲惨な姿や残された宝石との対比が見てきたような凄さをもっていた。それに、ロマノフ王朝の令嬢が男装していたという意外さもあって、ちょっと悲しい片想いも絡むという作りは、ミステリにはこういう話も作れるのかと着想が面白かった。

「瓶詰地獄」も兄妹が二人きりで島に取り残されて成長する間には、愛も恋もあるに違いない、血のつながりが成長とともに背徳地獄に落とされるというのは、別に驚くことではないと思いながら、健康的だった二人が成長するにつれて地獄の思いにとらわれていく様子が残酷だった、成長過程の心理は読者には手紙でしか知らされない。瓶の手紙が書かれた順に届くのではないというテクニックがやはり巧みさなのかと思う。

「悪魔祈禱書」は、くだけた一人称の語りが面白い。ふたを開けてみると、という最後になって思わず拍手。好きな作品だった。

「いなか、の、じけん」
事実なのか創作なのか、実際にあった話だと作者が言っているのも面白く怪しいけれど、びっくりの田舎の出来事が書かれている。
世界には「奇想天外」な話はおおくて、興味があるのでTVを見てはへぇ~と驚いている。田舎には、こんな怪奇な出来事が起きる、かもしれない。まだ今よりもっと夜が暗く山が深かった頃、妖怪や、狐狸や、貧しさや、男と女のもつれや、心の乱れが死の狂気を招く。
最後の一行で恐ろしい話の種明かしをされてはっと我に返る。かつての田舎経験者なので雰囲気がよくわかって面白かった。

「怪夢」「木魂」は自分が作り出した怪異に憑かれる。現実と幻の中で恐怖に震え命を落とすなど、今でもないとは言えないかもしれない。こういう手慣れた恐怖話は、真骨頂かなと思わず震えた。

「あやかしの鼓」は技巧的な文章で、ストーリーも鼓にまつわる因縁噺が世代を超えて伝わる。芸事に憑かれた人達の怨念や執念がこもる道具立ての話は多いが、鼓の音色に現れるというのは興味深かった。お囃子の調子、不気味な音が聞こえるようだったが、鼓に籠った執念ということが実は、精神的に倒錯した人たちの狂気が作り出した因縁噺かもしれず、雑誌の入選作だというのは、知られた話かもしれないが、後にある批評を読むと興味が倍増される。
鼓が作られた当時悲劇が続いて、作者の怨念がこもったということで、封印されるが、やはりそういったいわれのあるものは、打ってみたいというのが人情で、それが災いを招く。鼓にまつわる薄気味悪い出来事が続いている。もっと怖がらしてほしいと、不吉を呼ぶ「あやかし」の増量を期待しつつ。人間関係の不思議さ気味悪さなど充分怪しかった。
狂気の伝承を扱ったようなストーリーと独特の夢野ワードにうまく引きずり込まれた。変態女性は少し書き方が荒っぽく苦手なのかなと思ったが。やはり変態は美人でないと似合わないかも。

選者は、知らない方々もいたが江戸川乱歩の率直さが愉快で納得する部分も多く、あぁこの方は実在した人でこういうことを書くこともあるのかと当然のことだけれどひどく身近に感じた。
なんだか時々は、今の様々な賞についている評が生臭く感じることがあるだけに、こういう時代があったことにちょっと感動した。
受賞した夢野さんの謙虚ながら裏話めいた「所感」は、微笑ましかったし、解説を読むと10年足らずで書き溜めた作品で全集が刊行されたという、書く威力を感じた。そのうち『ドグラ・マグラ』が読めるようになるだろうか。名作というものを読むと、好奇心だけでは足りない気がしてきた。



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「黄金を抱いて翔べ 高村薫 新潮社文庫

2017-10-06 | 読書





「リヴィエラを撃て」も全編改稿して発表されたが、これが初めての長編小説かと思えるような、巧妙なスパイ合戦が読みどころで、ただそうとは言い切れない実に濃厚に書き込まれた物語が展開する。

さて、この「黄金を抱いて翔べ」は初期から今も変わらない高村ノヴェルを堪能できる、実に面白い作品だった。
特徴の、細かく照査された小道具、時々挿入される登場人物たちの人間らしい抒情、効果的な風景描写、長い間積んでいた埃の中から心に残る一冊が出て来た。

6人の仲間たちで、大阪中の島の、銀行地下深く眠る黄金強奪計画を立てる。そして溶けだしそうな関西気候、真夏の闇に紛れてうごめき、細かな計画がじりじりと進んでいく。

6人は初めから集まったのではない、大学時代の友人幸田が大阪に流れて来たのを主犯の西川が最初に目を付け、つかまえて仲間に入れる。

西川の知り合いの野田はIT会社の営業で、目当ての銀行も回っている。内情に詳しくつかえる。

幸田は馴染みのパチンコ店で、工大生の通称桃太郎(モモ)と知り合う。
モモのアパートが襲われ爆発から火事になり、彼を救って、野田が知り合いの通称「ジイちゃんの」部屋に預ける。
ピストルを持っていたモモは北の工作員に狙われているのではないかと推測する。彼のアパートの爆発は起爆装置などをちらと見かけたことがある、自製の爆弾だっただろうと見抜く。
工学の知識は、襲撃の必須だ。彼を引き込んで計画を練る。

ジイちゃんは、エレベーター操作の経験があった。
ホテルの窓から双眼鏡越しに土佐堀川、高速道路をとおして、銀行の駐車場の入り口が見える。上に向けると屋上の機械室が見える。エレベーターのワイア巻き上げのドラム装置が見える。
ジイちゃんは幸田の持つ何かに惹かれるものを感じる。

北川は、まず一帯の基礎、一時系統の中の島変電所を爆破。一帯に騒ぎの種をまき、中環にある銀行への分岐線を切る。
保安員を始末。エレベーターで地下へ、金庫から金の地金6トン(10億)を盗み逃走する。という計画のもとに手分けして綿密に日数を消化し、詰めていく。

実行の日、時は分刻みで過ぎていく。緊迫感とともに6人の動きが丁寧にかつスピーティに、思いがけない障害を絡めて最終章になる。

どこが面白いか。名画「地下室のメロディー」やトム・クルーズの「MI」や「オーシャンズ」の面々のことを思い出すが、何と言っても準備段階でのリーダーの知識、綿密な計画、敏捷な体力、知能。チームワーク。

高村さんのこの話の中には、それに加えて、一人ずつが背負っている重い運命や、それを引きずりつつ生きている、生き方、性格の違いも丁寧で入り込んでしまう。
わき役の、暴走族と北川の弟春樹の因縁の対決も、ハードな筆で軽快に書かれている。バイクにも詳しくてメカの解説も面白い。

又リーダーの北川をしのぐ主人公の幸田がいい。生きる日々は、すでにつき抜かれたような時間の跡が今では楽観的にみえるような暮らし方をしているが、幼いとき両親を亡くし、若い母は隣の教会に出入りしていたのを覚えている。その側に住んでいたが教会の火事に巻き込まれる。若い神父の僧服が今でも蘇る。フラッと関西にきて吹田に住み着いたのも幼いころ側に教会があったあたり。

出来るなら一度は冒険をしてみたい。それが実行できそうな、地下の金塊強奪。札では軽すぎる、夢のような現実に生死をかけた男たちの、裏にある世界も興味深い。

やはり映画で見る強奪事件より少し湿ったエピソードも含んで、それでいて厚みのある、重い細かい描写は、高村さんの実力をまざまざと感じた。
ワクワクと楽しみに読めて面白かった。

このあたりに勤めていたし、舞台になった銀行や会社も名前は違っても見慣れたところらしくわかりやすかった。久しぶりに地図を開いてジイちゃんがここで掃除していたのか。幸田の籠ったビルはこのあたりかなと、楽しんだ。





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「植物はなぜ薬をつくるのか」斉藤和季 文藝春秋

2017-07-14 | 読書




何度も繰り返すようですが、今なら幼稚園年齢から、小学三年まで6年間母の故郷で暮らしたのです。周りが大人ばかりだったので、野山が友達で、ずいぶん自然に親しんでいました。
植物への関心はそういったところから生まれています。

46億年といわれる地球の歴史で植物は5億年を生き、ヒト属は200万年前、ホモ・サピエンスが40万年から25万年前の誕生だとすれば、藻類から始まった植物の歴史の長さには驚きます。尊敬です。

私は今更ながら、花々を美しいと眺める以外に、その生き方が独特であったことに感動しました。
「植物は動かないことを選択した生物なのです」
いわれてみればその通り当然目にしていることなのです。
それが自衛のため、子孫を残し繁殖するため巧みな戦術を使って生き延びてきているのです。土に根付き動かないでいるということを知ると何か改めて驚異的なことだと思われます。
生物の共通の属性として
*自らの生存と成長のための物質代謝、エネルギー代謝ができること
*自己を複製した次世代に受けつくこと
と挙げられています。
自衛のために植物がとる生き方が人間にとっては「贈り物、めぐみ」になって今日に至っています。

バイオテクノロジーの急速な進歩はこの2.30年のことだそうです。ハイテク機器と科学知識の進歩によって植物からますます多くの恩恵を受けることができるようになりました。

古代には医術や薬草の知識は神秘的なものに感じられていました。
いま様々な物質の薬効が解明され、あちこちから声高に、植物由来という言葉が絶え間なく聞こえます。
違った道を歩んできた西洋医学と東洋医学が歩み寄り、合成して作られる化学薬品と、植物を用いる医療との違いは、西洋医学は病んだ細胞や組織を狙って正常に戻すところから進んできました。
一方東洋医学は患者の体全体を対象にしたシステムで、それは伝統的に受け継いできた知識を重視することでした。今ではそれぞれに長所短所を全段階で見極めるシステムも進み次第に見直されているようです。

植物はなぜ薬を作るか。植物が生きのびるためなのですが、それがますます多くの薬を提供することになりました。また遺伝子研究が進みそのゲノム構成が少しずつ明らかになり、DNAを組み替え、利用価値の高いものが人工的に作られ市場に出回るようになってきています。

たとえとして青いバラやパープル・トマトの例が上がっています。

新しい世界が開けること、抗がん剤の研究が進むこと、ニコチンやアルカロイド系の麻薬の功罪など、化学式を用いて組織図を著し、効力のわけ(なぜ効くのか)また習慣性について、一冊の新書にはマダマダ収まり切れないほど植物の持つ力について学ぶことができました。
解明されていない多くの可能性について何年か後には新しい本が出るかもしれない、楽しみにしています。

子供の頃に見た花を探して歩いた経験が、珍しいクララやシャボンの木、塩っ辛い実のなるヌルデなどのことを思い出し、煎じて飲まされたゲンノショウコやセンブリの苦さまで思い出し「君たちは美しいうえに偉いのだ」と見かけたら声をかけようと思っています。

分子式は化学式というし亀の甲の名称はベンゼン環というようだ、光合成って化学式で書くと難しいのね、なんて思い出したのか初めて知ったのか、この本はおもしろかった。


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「裁判の非情と人情」 原田國男 岩波新書

2017-06-17 | 読書


第65回日本エッセイスト・クラブ賞受賞
命の不思議についてよく考える。最近読んだ“ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか”
それはヒトの歴史とともに心の歴史が大きな比重を締めた内容だった(なかなか感想文が書けないけれど)

先日偶然この本を見つけて読んでみた。裁判を傍聴したこともないし直接かかわったこともないが、推理小説では最後は法廷シーンで解決することも多い。それなりになんとなく雰囲気がわかるようになってきた。
また以前法務省に勤めている人と親しくなった、ご主人は大学の、システム工学の研究者だった。出張が多くそんな時は泊りがけで当時ブンガクについて語り合ったりしていた、忘年会に誘われたので参加すると若い男性が4人ほどいて彼女が上司だそうで驚いた。聞くとみんな検事で、仕事はと聞くと、離婚したり近隣ともめたりするとよくわかると言われた、ずいぶんざっくりした笑い話のようなもので、これはあまり立ち入ってはいかんと感じてそのままになった。中に私の出身地にやけに詳しい人がいて、その支部に勤めていたことがあるという話だったので雑談がそちらに向いた。

前置きはさておき、とても読みやすく、常に大きな権力を行使する、人を裁く側の裁判官に対して身近に感じる部分も多かった。
20件以上の無罪判決を言い渡し、退官後は教える側でまた新しい経験を語っている。裁判官は世情と人情に疎いと語り、周平と鬼平を読みそれを糧にし、映画も見る。イランの実情を映画で知ることもできると「桜桃の味」を挙げ「黄色いハンカチ」「寅さん」「フライドグリーントマト」「HERO」もでる。裁判官は人間観察も必要であり、深い経験がいる。
こういった親しい書きぶりとは別に、量刑の考え方、民犯罪と国民の目線、えん罪について、無罪判決,死刑について、正面から心情を説いている。

真実を知る被告人のみがわかっている(人を裁く、より)
事実認定の本質的な難しさは真実を神のみでなく、目の前の被告人自身が最もよく知っていることにある。誤った裁判をした裁判官は、犯罪者として処罰されるわけではないが、誤った判断により無実の被告人を刑務所に入れたり、死刑に処したりすることになる。そのことは、真実を知る被告人のみがわかっている。


裁判は人を扱う。正しさとはいったいどういったことなのだろう。この本を読んで、いかに良心をのぞき込み経験を積んだ立派な裁判官であっても、その判断領域は被告人一人ひとり異なった背景があり、証拠は観察の調べの中にしかなく、それが間違っているかいないかの判断はやはり神の領域にしかないように感じた。
近年、科学捜査が進歩したことで、多くの冤罪事件が表に出てきている。こういったことも犯罪の防止になればと思う。

名もない顔もない裁判官 という項目がある。確かにこういう本は役に立った。
書類づくりなど煩雑な仕事をこなす術として手控えを詳細に取っておくというのは、読書の感想でも読みっぱなしですぐに忘れることについてとても参考になった。


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