空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

2017.3.30 今年の<つくし>

2017-03-30 | 山野草・季節の花,風景など

お天気がいいので散歩に出た。少し寒いが花の春は足元に来ていた。
つくしを一握り摘んで、さやえんどうとバター炒めにした。



ソメイヨシノのつぼみが膨らんできた。


庭のスノードロップ


山茱萸


ノカンゾウの芽が柔らかい


つくしを見つけた。近所にはもうないのかと思っていた。


袴をとってバター炒めにする。



今日もいい散歩ができた。
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「ミナの物語」 ディヴィッド・アーモンド 山田順子訳 東京創元社

2017-03-20 | 読書



「肩胛骨は翼のなごり」の女の子「ミナ」が隣に越してきた「マイケル」に勇気を出して、初めて声をかけるまでの物語。

まだお隣のうちは、以前に住んでいたおじいさんが亡くなって空き家になっている。おかあさんとどんな人が来るのか密かに話してはいるが、荒れた庭や倒れそうな物置を見ていると少し心配になる。

ミナのうちの庭には登るのに手ごろな一本の木がある。枝に座って、上にあるブラックバードの巣からかわいいヒナの声が聞こえてきたのをそっと聞いたり、猫を追い払ったり、本を読んだり、木に言葉を刻んだりしている。

ミナは少しユニークで、学校に行ってない。
賢く、好奇心がいっぱい、本が好きで考えることも好き。授業中も自分の考えにとらわれ過ぎて時々はみ出してしまう。空想や夢や自然の中に気になることが満ちていて、頭も心もいつも忙しく、くるくると動いて止まることがない。

人間が作りあげたものに目を向ける--家、道路、壁、尖塔、橋、車。歌や詩。そう、あたしはそういうものが、完璧とはほど遠いことを知っている。でも、完璧だったら退屈だろうし、完璧というのは決して長所ではない。

先生は心配するけれど、お母さんは本を読んだりお話をしたり、ミナの心に浮かぶいろいろなことを一緒に考えてくれる。勉強も教えてくれるから今は学校には行かなくても大丈夫。学校に行くと浮かんでくる大切な考えが規則に縛られて窮屈だ。お母さんと自由に暮らしながら、生きることや広い世界のこと、おとぎ話や、神話の世界や、詩の中のたくさんの言葉や、その意味について考える。

白い紙に自分の想いを言葉にするのも好きで、浮かんだテーマについて様々な言葉を書いて、書きながら感じて、考えて、成長していく。

白いところがだんだん少なくなってくるので、じきにこの文章も終わりにしなくちゃいけないのがわかるから、そうするとあたしは神さまみたいなものかしらろ思うのは、あたしが書くのはもう充分だと決めるのと同じように、神さまがもう充分だと決めて、時間を終わらせることにして、ある日、たったひとこと、<ストップ>といったら、すべてがあっさりストップするんだろう。

集団生活からはみ出していることが、すべてにはみ出しているとは限らない。ミナのようにのびのびと呼吸しながら育つことはどんなに楽しく貴重なことだろう。

個性的ということは集団生活の中では少し窮屈かもしれない。無理に押し込めないこんな生活は理解のあるお母さんがミナに与えてくれたもので、子供時代の一時期、こうして過ごせるミナは幸せかもしれない。ミナお明るい日常にはそういった作者の思いが詰まっている。

こうして暮らすことは、孤独かもしれない。いつまでも心のままに自由ではいられない。集団で暮らすのは個性を型にはめるかもしれないが、人は群れて暮らす。成長していくことは少し苦しく、経験して学ばなければいけない。こんな子供時代を過ごした賢いミナはよく考え、書いて、いつか豊な心の翼を広げてたくさんの人の中でも自由に暮らせるだろう。

お隣に越してきた「マイケル」に声をかける、今、勇気を振り絞って話しかけた方がいいとミナは思う。そうして新しい一歩が始まっていく。

読みながら、ミナはいい、お母さんも素晴らしいと思いつつ、一人でどうするのだろうと少し心配したが、「マイケル」との未来が見えるところでほっとした。


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「キリンヤガ」 マイク・レズニック 内田昌之訳 早川書房

2017-03-02 | 読書



アフリカ・ケニアは欧米の進んだ文化文明が浸透し、ビルと工業の町に変わっていた。
2123年当時、欧米文化はアフリカも席巻し工業化で空気汚染はひどく青空が見えなくなっていた。
サバンナでのびのびと生きる動物やかつての暮らしはもう見られない。それを残すためには、同じ思いでいるケニヤのキクユ族を連れてユートピア小惑星にキリンヤガという名をつけ、そこに移住するほかはないと考えたコリバという一人の老人の話である。
彼はヨーロッパとアメリカで教育を受けた博士であり、父親が移住を言い出した時、息子一家は外聞もあり猛反対をした。

コリバは公害で汚染された地球にもうユートピアはないと感じていた。宙港から宇宙船に乗り、新しい惑星でムンドゥムクになった。新しい土地にある山をケニア山、キリンヤガと呼び、その頂に住む絶対神ンガイの予言をきき、人々を教え導く祈祷師になった。

ケニアからユートピアを求めこの世界に移住した人々は、その後この緑あふれる大地で、伝統的な鍬で耕して行う農業や狩りや、まじないを信じて自分たちの国を守ってきた。

みな心の片隅にささやかな希望やよりどころや夢のような漠然としたものを抱えている。それが実現してもしなくても何かの時に支えになるかもしれないと思っている。それが全く消えてしまったとき絶望して生きることをやめてしまうか、ただ生涯を流れに任して一生を終わる。ムンドゥムクの導きは天啓のようだった。

この物語は、SFの形をかりた現代の寓話であり、ムンドゥムクが子供たちを集めて話す言葉は、それも形は違っても「イソップ」童話のようであったり、教訓だったり、言い伝えだったりして、それがユートピアを担う次の世代の糧になってきた。

しかしムンドゥムクは機械文明のかけらからも離れられなかった。どんなに彼が望んでも、「共同体」という宇宙組織の監視下にあり(それは監視して、助けがいるときに何らかの援助ををするだけのものにすぎなかったが)持参したパソコンで情報を得ていたり、何よりも、今まで欧米の名門大学の教育で得た知識があった。
彼はそれがユートピアを維持するために必ず役立つものだと信じていた、住民も彼の知識の前に頭を垂れ、尊敬し指示に従って暮らしてきた、その知識はキリンヤガの世界では大いなる智慧にまで昇華されていった。
あくまで、キリンヤガで事故が起きるまで。

宇宙船が墜落し、瀕死の重傷を負ったパイロットを助けるために地球から先端の医療機器を持った医師が来た。
住民は医師が骨を接ぎ輸血をするのを目の当たりに見た。
今まで信じていた、軟膏や、祈りやお告げは何だったのだろう。
ムンドゥムクは自然に逆らわず生きることを理想にしていた。しかし住人は考え始めた。

丸い草ぶきの家に住み、女が働き、限られた財産を得られない息子たちは、畑の外で共同生活をする。昔は野生動物と戦うために使った槍も腐って錆びてきた。これはユートピアか。

この作品が新しい現代の寓話として発表されたときは多くの賞を受け、続く短編も次々に賞を受けて賞賛された。「キリンヤガ」は短編集になっている。

中でも
「空にふれた少女」は絶賛されたという。
たまたまムンドゥムクの小屋でコンピュータを見て驚く。文字などいらない、本を読んではいけない、コンピュータに触るな。解るな。そういわれて育ったが、彼女はまれにみる聡明な頭を持っていた。コンピュータと話せないならと、自分の言葉を創ってこっそりと会話ができるようになった。
ムンドゥムクにもわからない言語で話す少女を出入り禁止にした。少女は言葉に飢え、知識に飢えて、食べることも忘れて一心に考え、ついに命を失った。

ムンドゥムクは少女を悼みながら、この世界の規律は絶対だと信じていた。新しい言葉や習慣に浸食されて、この緑の楽園を枯らすことがあってはならない。

この短編は悲しく聡明な一人の少女の運命だけではない多くの示唆を含みながら胸に残る。

ムンドゥムクの思い描いたキリンヤガという自然に守られた国、穏やかな生活。昔ながらの掟は、時の流れ、民族の歴史、風土の変化にどう対応していったか。

時は少しずつ変化をもたらす、良きにつけ悪しきにつけ。
二律背反、二面性、価値観の二義性、気づかないほどの矛盾。言葉は知らなくてもそういった割り切れない感じを持たせないとする掟には、どこがニュートラルでどこにユートピアがあるのか。人は考え始めた。
掟にはどんな価値があるのか。硬貨の裏と表、人の背と腹。境界は薄すぎて見えない。

それに代わる言葉を人はたくさん考え出した。思いようさ、人は人、自分は自分さ、拘るな、色即是空さ。すべては正しく、裏返せば違う解釈もある。
そうだ、こういったすべてがこの私、ムンドゥムクの寓話には含まれているのだ。コリバは自分も縛った。

しかしそれはこの物語を読めば、私に大きなヒントを与えてくれてはいる。コリバのユートピアは全てのユートピアに似ているかもしれないが、時とともに生きることの解決にはならない。命は流れ行くもので止まってはいない。
信じることよりも疑うことから世界は進化してきたようにも感じる。

おもしろく悲しく興味深いはなしは、また読み返せば違った顔を見せるかもしれないと思えた。



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