遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



カダフィー大佐が 立派な 国民と国を守ろうとした為政者であったこと

を これから もっと多くのひとたちが 知るでしょう。

アジェンデ大統領 フセイン大統領 タケシタノボル

ハシモトリュウタロウ オブチケイゾウ ナカガワショウイチ

アメリカは 意のままにならない 政治家を 闇に 葬った。

 

アジェンデ ネルーダ ビクトル・ハラ カダフィーを悼んで チリ・クーデターからはじまった新自由主義経済

 

 



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リビアは北朝鮮みたいな非民主的な独裁国家なので、国民が立ちあがってカダフィ独裁政権を倒した…。

イラクのフセインは、大量殺戮兵器を装備した危険な国なので多国籍軍と民衆がフセインを攻め倒した…。

共産主義者アジェンデは反革命軍事クーデターで 軍と民衆に倒された...。

わたしたちのマスコミはカダフィーを悪という フセインを悪という アジェンデも....

だが真実は違う。陰で巧妙に糸をひき 彼らを執拗に狙い 倒し 名前を貶めた者たちがいる。アメリカ アメリカ その影の者たち

極貧のアフリカの小国を革命したカダフィーがリビアで実現した事は ⇒ こちら

1、家を持つ事が国民の権利。
2、新婚夫婦はマイホームを買うために5万ドルを政府から支給される。
3、電気代無料。
4、医療も教育も無料で質が高い。
5、ローンの金利は0%と決まっている。
6、自動車を買うときは政府が半分支払ってくれる。
7、ガソリンは一リットル=10円。
8、農業を志望する国民に土地、家、器具、家畜、種子を支給した。

この国家は西洋の全ての国とは違い中央銀行は国有物である。我々のように365日朝から晩まで金利に追いまくられる事から解放された国を築き上げた。

 

 アジェンデ大統領は、チリの虐げられてきた労働者達の希望の星であった。⇒ こちら

世界最大の銅埋蔵量を誇るチリだが、アメリカ企業に利益を搾取され続けてきたのだった。しかしわずか三年後 1973年9月11日、チリで反革命軍事クーデターがおこり、史上初めて選挙によって成立した社会主義政権は崩壊した。クーデターを仕掛けたのはアメリカのリチャード・ニクソン政権であり、指揮していたのは大統領補佐官を務めていたヘンリー・キッシンジャーだった。人民連合のアジェンデ大統領は、大統領府に激しい爆撃を受けながらも、そこに最後までとどまり、チリの婦人、青年、人民、労働者を讃える言葉を遺して死んでいった。 アジェンデ最後の演説 ⇒ こちら

『.......奴等の力は強大であり、私達を屈服させることでしょう。しかし、犯罪行為であろうと・・・力であろうと、社会の歩みを押しとどめることはできません。歴史は私達のものであり、歴史は人民が築くものなのです。.....私の祖国の労働者達よ。私はチリを、チリの運命を信じています。私に続く人達が、反逆を企てる者達が支配する、陰湿で辛い時代を乗り越えていくでしょう。やがて再び大道が開かれ、自由になった人々が、より良き社会の建設を目指して歩む日が来るでしょう。これが、私の最後の言葉です。私は確信しています。私の犠牲は無駄ではないことを。少なくとも、裏切り、卑劣、背信を断罪する裁きになることを。』

数万人の人が殺された。そうした犠牲者の一人に、ビクトル・ハラがいる。彼は、歌い手であった。チリの町や村を巡り歩き、人々の間で歌い継がれているフォルクローレを、古びた珍しい研究対象としてではなく、現代に通じる生きた表現として歌い、創作していく「新しい歌(ヌエバ・カンシオン)」運動の中心人物であった。彼はクーデターの当日、工科大学にいた。戦車は大学に突入し、そこにいた全員が拘束され、チリスタジアムに連れて行かれた。それは、彼がしばしば演奏会を行った場所であった。彼は四日間にわたり拷問を受け、ギターを弾けないよう、手が砕かれた。それでも、彼は人民連合を讃える歌『ベンセレーモス(我々は勝利する)』を歌った。彼の背後から撃ち込まれた銃弾がその最後の息を止めるまで。

ネルーダの生涯は、ファシズムとの闘いの生涯となった。彼は軍事クーデターの直後 病気で亡くなったと言われていたが 彼のそばにいたものは殺されたと信じて疑わない。それで先日 遺体が掘り起こされ 調べられている。

⇒ こちら

クーデターが終わって チリに入ってきたのが「シカゴ・ボーイズ」とも呼ばれているミルトン・フリードマンの弟子たち。反対勢力が粛清された環境の中、「新自由主義経済」を導入、「公営企業の私有化」と「債務の社会化」を推進した。チリの通貨であるペソを過大に評価(ドル安)することで贅沢品が流入、一見すると経済が活性化されたように見えたのだが、国内の製造業は崩壊し、チリ経済は破綻した。結局、富は一部に集中して国民の45パーセントが「極度に貧困」か「貧困」という状態になったのである。

こうした経済状況を肯定的にとらえ、イギリスのマーガレット・サッチャー首相に売り込んだのがフリードマンの師、フリードリッヒ・フォン・ハイエクだ。ピノチェトの軍事クーデターは経済クーデターでもあった。その波はイギリスからアメリカ、日本、中国、ロシアへと広がっていく。

パブロ・ネルーダの詩

樵夫めざめよ....から

アメリカ合衆国よ
  もしもおまえが追随者に武器をもたせて
  汚れない国境を破壊し シカゴの牛殺しを連れてきて
  おれたちの愛する音楽と秩序を 支配しようとするならば
  おれたちは石から 空気から飛び出して おまえに噛みついてやる
  後部の窓から飛び出して おまえに火を放ってやる
  最も深い波から飛び出して おまえを刺で突き刺してやる

 

わたしはここにとどまる...から

わたしは望まない
  分断された祖国も 七つのナイフでめった突きにされた祖国も
  あたらしく建てられた家のうえに
  チリの光が 高くかがやいてほしい
  わたしのふるさとの地に みんな入りきれるのだから 

 



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