遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 わたしたちはそれぞれ自分のものがたりを刻々と刻んでいます。生まれ、自我に目覚め 息を引き取るそのときまで一度かぎりの固有のものがたりは紡がれるのです。伝説として語り継がれるものがたりは万にひとつ、ほとんどのものがたりは友人や家族の心にとどまったのち、そのひとびとの命とともに消えうせます。まさにひとは二度死ぬのです。しかしながら たとえばジョン・レノンのようにアドルフ・ヒトラーのように語り継がれることなく、あまたのひとびとのように草のように枯れ消え果てたとしてもその価値は等しいとわたしは思います。(まさにそのように消え往くものがたり(束の間のかがやき)をこそわたしは語ってゆきたいのですが)

 いのちはそれ自体語らずにはおりません。わたしたちはそのうえに語り手です。古今のものがたりに自分のいのちを重ねて語り、周囲のひとびと、聞き手と共有します。語るとはいのちそのものですから、声をたよりに音声として伝えるだけではないように思います。かってひとびとの圧倒的な支持を受けた今でしたら村上春樹や中上健二、わたしの若い頃の大江健三郎や時代と刺し違えた高橋和巳のことをわたしは懐かしく思い出します。

 そして、昔話を学びだして 昔話がもっとも古い文化であり、わたしたちのバックボーンであることに気づいた今、彼らが語ろうとしたものはやはり出会いと別れの物語、喪失を伴う成長の儀式でありその底に日本人の世界観がこだましていることに改めて感慨を覚えます。40年前、「芽むしり、仔撃ち」を読んだときの寒風に曝されて赤剥けた肌の痛々しい耀き、「虹の橋」蜃気楼のように浮かび上がった虹の橋の脆くも消えゆくたもとをまざまざと思い出します。

 作家は実は再話者だと言ったら叱られるでしょうか。わたしはそのように思えてならないのです。根底にもとからある物語、死と再生の物語をその時代の感性で掬い取る偉大な再話者であると。ですからわたしは小説はもうあまり読まない。より根源に近いものを岸辺に膝まづき、わたしの掌で掬い取る、そしてちいさな場所でわたしの声で聴こえる範囲のひとびとに語れたら、そんなしあわせなことはありません。天の声に耳を清ませ、声なきひとの囁きに耳を傾け、代わりに伝えられたら、そしてわたしのものがたりをほんのすこし付け加えることができたら、なんてしあわせでしょう。

 残念なことに一部のひとたちは語り(ストーリーテリング)を文学に誘うための橋渡しと位置付けています。昔話を語ることは勧めない、と広言する方もいます。文学とはなんでしょう。一万年とさえ言われる口承文学の豊穣な土壌のなかから生まれてきたものではありませんか?語りはブックトークではありません。

 物語を語る、出会いと別れを語るとき、語り手自身も聞き手もともにちいさな死を迎え、そして再生するのではないでしょうか。わたしたちが(上手なではなく)いい語りを聞いたとき、元気がでて生きる力が甦ってくるのはものがたりとそれをはこぶことばのタマフリ・タマシズメ(魂振り・魂鎮め)の働きによるのではないでしょうか。そのときわたしたちは共にいます。おおきなゆりかごのなかに愛されて共にいます。そして再生してまた荒波に立ち向かってゆくのです。

 そして耳を澄ますとまだ聴こえる webの海のそこここでちいさな声がくりかえしくりかえし「ここにいるよここにいるよ」と囁いています。、今 多くの名のないひとたちがHPやブログで語りはじめています。音としてことばが発せられてはいないのですが、これもまたカタリのような気がわたしはしています。カタリカタリの大塚さんがこのHPを発見して(バレたか!!)森さんは語るだけじゃ足りないんだ と思ったそうです。そうかもしれない。

 わたしはまたwebの海にむかって、カタリはじめましょう。HPをひらいて読んでくださるあなたにわたしのいのちのものがたりを。あなたはひとりではない、見えないけれどおなじような想いを抱いてささやかなことに一喜一憂しながら歩いているひとたちとともにいます。そしてあなたやほかのかたがたの気配や息吹を感じて わたしも助けられています。ありがとう、ほんとうにありがとう! さぁ 新しい年にむかって歩きはじめましょう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 徹夜明けでまだ朦朧としています。仕事が終り明日から正月やすみです。ばんざい!

 ヨーロッパ/魔法昔話の獲得型にたいして日本の伝説・昔話は喪失のかたちをとることが多いと前回申しました。もうひとつ日本の物語には特徴があります。それは物語の長さが短いことです。出会いから別れまでのある一定の期間に限られた物語であることから、ヨーロッパのように主人公が生まれ、成長し 幾多の困難にあい、課題を乗り越えて、宝を獲得し、素晴らしい相手と結婚するという大河ドラマに比べて短編小説の趣きがあります。

  もちろんこれこそが運命なのですが 主人公(男)は偶然相手とめぐり合います。このとき主人公は不足もないが格別幸運な星のもとにいるわけでもありません。ふたりは恋に落ち、男は禁断を破ったためにまたもとの境遇に戻ります。雪女、朱雀門、見るなの座敷 みなこのパターンです。

 しかし男はまったく変わらない境遇に戻ったのではありません。彼は知ってしまったのです、この世ならぬ美、この世ならぬ幸せを。知ってしまった男の心はもうもとの不足もないが不満でもない状態には決して戻れません。男は悲哀とともに欠落とともになにかを獲得しました。遥かなもの、返らぬもの、異界への永久(とわ)の憧れを。喪ったために人間として成熟したと見るのはうがち過ぎでしょうか?

 一歩踏み込んで、雪女のお雪は冬の精霊、死そのものと考えることもできましょうし、朱雀門の美女は鬼によって数多の死人のなかからつくられたまさに死、男たちはまばゆいばかりに美しい死と交合し再生したと捉えることもできましょう。

  関敬吾は「日本昔話の社会性に関する研究」をもって昔話は「人間の死と再生」をテーマとし、その通過儀礼はそのまま民俗社会の通過儀礼と重なると述べています。 通過儀礼というのは人類学者のファン・ゲネップが提唱した概念で、人生の節目に訪れる危機を安全に通過するための儀式(あるグループから他のグループへ移る社会における特定の儀礼・七五三の帯解きや着袴、現代における入学式や成人式)のことを言います。 

さて、それではヨーロッパの昔話ではどうでしょう。31の機能の最後 物語はたいてい幸せな結婚で幕を閉じます。なぜ、物語がひとつの類型に収斂されるか、プロップは「魔法昔話の起源」せりか書房で、昔話はかつての儀礼の構造が繰り返されているのだ、として通過儀礼と死に関する一連の観念を起源として上げています。プロップは主人公の身に起こることすべてを順を追って物語るなら、魔法昔話の成り立っている構成が得られ、また死者の身に起こると考えられていたことを、すべて順を追って物語るなら、そこには前述の儀礼の系列に不足している要素が付加されると述べています。少年は儀礼の時に死に、その後、新しい人間として復活すると考えられていました。


 魔法昔話で主人公は孤立しており、竜などの怪物と戦いますが、このとき通過儀礼としての死を迎えているわけです。端的に 地下の世界(冥界)に行く場合や、父親(竜)と戦う場合、また親に食べられる場合もあります。こうして一度死んでおとなとしての仲間入りをして宝を獲得し結婚によって終わります。

 まったくの独断と偏見によれば、日本の伝説や昔話=喪失(成熟の獲得)の物語は、通過儀礼としての死は美女と結ばれることにあって 別れで終わます。そしてヨーロッパの魔法昔話=獲得(少年性の喪失)の物語は障害を乗り越える時に通過儀礼としての死があり、美女との婚礼で終わります。しかしながら、仮にも結婚したことがあるのなら、結婚は決して結末ではなく、新たな苦痛と喜びの始まりに過ぎない、そこから成熟への闘いが始まるのだとお気付きでしょう。わたしは個人的には日本の喪失の物語のほうが奥は深いように思います。

 もっと踏み込んでみると雪女での禁忌は「しゃべってはならぬ」見るなの座敷では「開けてはならぬ」朱雀門では「その女に触れてはならぬ」でした。異類婚の鶴女房、古事記のトヨタマヒメでは「見てはならぬ」そしてシチュエーションは変わりますがイザナギ、ユーディリケ、そしてプシュケも「見てはならぬ」禁忌でした。

 異類婚の原型は神が鳥や動物の姿を借りて降りてきたもの、祝福であったと言われています。時代が移り農耕文明が盛んになるにつれ、しだいに神は貶められていったのです。さて、これらの禁忌はなにを意味するのでしょう、人間が覗き見てはならぬ(イザナギは神ですが)タブーとはなにを象徴しているのでしょう。

 さて一方でわたしはヨーロッパの昔話において、男たちが試練を乗り越え通過儀礼をくぐりぬけ一人前の男として結婚するのに、日本の喪失型の昔話では結婚することによって成熟する....ということに興味を惹かれました。それはほんとうに日本の現実に投影されているように感じたからです。クレームがくるかも知れませんが日本の男性は親離れが遅いように思います。そして生命を産みだすための性が刹那の死でもあることから、生と死(エロスとタナトス)の相克を思ったりもして、さながら万華鏡を見ているような眩暈も感じます。昔話・昔話の世界は深いですね。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 5年前のことです。 語り手たちの会研究セミナーの忘れがたい初回の講義が片岡先生の「なぜ語るか」そしてつぎなる講義が「物語の類型とモチーフ」そこで知ったのがプロップの「物語の類型」でありました。プロップは魔法物語の構造について次のように述べています。

1.昔話の要素となっているのは登場人物たちの機能である これらの機能が物語の構成要素となっている。
2.昔話に認められる機能は限られている。
3.機能の起きる順序は常に同一である。
4あらゆる魔法物語が構造の点では単一の類型に属する。

   「昔話の形態学」ウラジミール・プロップ 白馬書房

その機能は以下の31です。
1留守
2禁止
3違反
4捜索
5.密告
6.謀略
7.黙認
8.加害(または欠如)
9.調停
10.主人公の同意
11.主人公の出発
12.魔法の授与者に試される主人公
13.主人公の反応
14.魔法の手段の提供
15.主人公の移動
16.主人公と敵対者の闘争
17.狙われる主人公
18.敵対者に対する勝利
19.発端の不幸または欠如の解消
20.主人公の帰還
21.追跡される主人公
22.主人公の救出
23.主人公が身分を隠して家に帰る
24.偽主人公の主張
25.主人公に難題が課せられる
26.難題の実行
27.主人公が再確認される
28.偽主人公あるいは敵対者の仮面があばかれる
29.主人公の新たな返信
30.敵対者の処罰
31.主人公の結婚

 この31の機能がすべて現れるのではなく、いくつかが組み合わさって物語になります、なぜ、単一の構造なのかはあとで考えるとして、ざっと見ても西洋の昔話や伝説にこのパターンが数多く見られることに気づかれるでしょう?たとえば「トリスタンとイゾルテ」の前半、マルク王から課題を課せられ竜を退治するがその手柄を執事にとられ....といった展開、またパンタローネでしたか三つのオレンジの話などなど。

 しかしながら、当時はこの講義はまったくおもしろくなかった....というよりわたしが語り手としてまだ未熟だったのでしょう。今になって自分の語りたい物語とはなにか、想いを馳せたとき、気づいたことがありました。

 それはヨーロッパの物語には獲得の物語が多く、主人公は地位を得たり美しい伴侶を得て幸福を獲得するけれど、日本の物語は必ずしもそうではないということ。むしろ出あいと別れの物語が多く、わたしはそのような物語に惹かれ語りたいのだということなのです。

 たとえば12/2カタリカタリの発表会のプログラム

1コカのカメ          
2娘とやまんば            
3沙羅の花                      
4空中ブランコのりのキキ             
5いもをころがす       
6べっかんこおに                    
7アラビアンナイトから     
8朱 雀 門           
9星の銀貨

 このなかでプロップの物語の類型に当てはまるのはアラビアンナイトの「絵に描かれた美女」だけでした。参加型のコカのカメと笑い話いもをころがすをのぞくと残りの5つが喪失(別れ)の物語でした。(星の銀貨は日本の作家による再話で女の子は天に召されますが単なる喪失の話ではありませんので除きます)

 このプログラムでは創作の物語の方が多かったのですが、実際に日本の昔話には出合いと別れの物語が多いそうです

   「日本昔話の構造」小沢俊夫

 またネイティブ・アメリカンや縄文文化を色濃く残しているアイヌの昔話にも喪失の物語が多い......これはなにを意味しているのでしょう。豊かな自然に恵まれ狩猟採取の文明を長く享受し生きとし生けるもののなかに神性を見ていた種族と過酷な自然のなかで闘ってきた種族との違いでしょうか?(999から1000の昼と夜)そういえばケルトの昔話にも別れのテーマが多いですね。

 さて出会いと別れの物語の白眉、稀有な美しさを持った女性と人間の男の束の間の出会いと別れ......わたしの語る物語はそれがとても多かったのです。雪女、ディアドラ、クラリモンドの戀、芦刈、朱雀門.......考え込んでしまいました。もちろん、それだけではありません、弥陀ヶ原心中、おさだおばちゃん、仏蘭西窓から、おとうちゃまへ、太平洋戦争のなかの少女、みな出会いと別れの物語ではありませんか。ここからどこへ行くか.......次回は「語り手はものがたりをどう生きるか」もしくは「物語のなかの生と死」です。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 

 「語りの世界」41号において片岡輝氏はキャサリン・フィッシャーの三部作「サソリの神」にことよせて語り手=巫女について述べています。キャサリン・フィッシャーが敬愛するアーシュラ・K・ルグインに匹敵する作家と云われていることをわたしは知りませんでした。キャサリン・フィッシャーの物語を読む楽しみはお正月までとっておくことにして、語り手=巫女について考えてみたいと思います。

 なぜなら2000年に語り始めたときから直感としてそれはあったのです。語り手として語るとき、天と通じていると信じられる一瞬、だれかが私の口を通して何かを伝えようとしていると魂を揺さぶられる慄くような一瞬、それを知ったがために語りつづけてきました。それがわたし以外のひとにも感じられるのかどうか気がかりでした。そしてわずかながらそう信じているひとがいる、はっきりとではなくともそのように感じているひともいるのだと知ってすこしほっとしています。

 本来のストーリーテリングとは違い文学に誘う前段階としての狭義の意味合いで日本ではまだストーリーテリングが使われているように思います。それゆえわたしはストーリーテリングということばをつかいません。語りは縄文の昔からあったもっとも古い文化であり、神とひとをむすび、ひととひとをむすび、過去から未来へとむすぶものであったはずです。語り手は未来を予感し究極はひとびとのしあわせのために、今ひとに求められていることを伝えなければならない、わたしはそう信じています。

 霊感に導かれ、ものがたりによせて世界のなりたちをことわりを、美しきもの、みにくきもの、見えるもの、見えざるものを語りたい。活字から遠く離れて生き生きと躍動し、魂に響くことばを語りたい。巫女としてゆるされるためには潔斎が必要です。おそらくは生活をとおしての禊も、また依座となるには無になれるよう小我を捨てなければならないでしょう。そして器となり伝えるために声やわざも磨かなくてはなりますまい。

 古い昔、キリスト生誕の日はルチア祭、冬が至って日が伸びてゆく日、すなわち新しい年の甦りの日でありました。一説にはキリスト教を根付かせるため本来1月5日であった生誕の日を古代の祭の日にあわせたと言われています。
日本においてはまことの年のはじめは2月4日立春の日でありますが、いづれにしても冬のさなかあたらしい年の息吹ははじまっているのですね。

 あたらしい年、大胆にかつ繊細に、爪のさきまで神経のゆきとどいた語りをめざしてゆきたいと思っています。かないましょうか.......かなわざるともつとめてまいりましょう。
 




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )