遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



.........さて、お休みに入る前のことです。古いダンボールの箱が二十ほど、みつかりました。中に入っていたのは処分してしまったとばかり思っていた古い漫画雑誌と切り抜きです。残念ながら、わたしが少女漫画の傑作と認めた作品が入っていた格別の想いをこめた箱ふたつは見つかりませんでした。そのなかには西谷祥子さんの風花、石だたみ、わたぼうし、夏物語、オリビア、金色のジェニーなどの名作、 竹宮恵子さんの暖炉....あとはもうタイトルもさだかではなく、取り戻しようもない名作が入っていたのです。

  けれども、西谷さんのマリー・ルウ、白鳥の歌、ジェシカの世界、学生たちの道、奈々子の青春などの連載、わたなべまさこ、水野英子さんの連載、八代まさこさんのようこシリーズほか、また萩尾望都さんの...精霊狩り、ドアの中のわたしの息子、キャベツ畑.....、などのコメディはほぼすべて残っていました。萩尾望都さんを語るのに忘れてはならない、岡田史子さんのCOM、ファニー掲載の作品、大島さんの真夜中の奇跡、デートははじめてなどの初期作品、山岸さんのラグリマ、水の中の空、白い部屋のふたりなどの作品群、里中満知子、青池保子、谷口ひとみ、忠津陽子、大和和紀などのデビュー作、牧美也子、水野英子、高橋京子他のうつくしい絵物語が残っていました。知るひとぞ知るあすなひろしさん、少女漫画の良心樹村みのりさん、ささやななえ、松尾美保子、武田京子さんの作品も多数ありました。

  S39年 デートははじめて 大島弓子

S39年 従妹マリア わたなべまさこ

 S40年    ガラスの天使 水野英子

  S39年   わたしの絵本 岡田史子

  S45年  水の中の空 (りぼん付録)山岸涼子

  S51年 ポーの一族から”エディス”の扉絵 萩尾望都


  切り抜きは昭和40年代から、雑誌は50年代から.あって....わたしは少女漫画の歴史の一端と(あしたのジョー、幻魔対戦、真崎守さんもありましたが)むかいあうことになりました。折を見てすこしずつ紹介してゆこうと思います。



  前置きが長くなりました。今日書きたいのは芝居と漫画と語りについてなのですが、少女漫画にくわしくない方のために、申しますと星の数ほどの漫画家のなかで大島弓子・山岸涼子・萩尾望都の三人こそが少女漫画を文学や映画や舞台にも影響を及ぼし、ひとつの文化としておしあげ、少年漫画をも一時リードしたベストスリーだとわたしは思っています。昔、漫画を描きたいと思っていました。自分のものがたりを伝えたい気持が語り手としてのわたしにつながっています。

  この三人のうちはじめから覚醒していたのが萩尾望都さんでした。デビューして時を待たずに、雪の子、かわいそうなママ、秋の旅...と矢継ぎ早に発表された作品は漫画ファンのどぎもを抜きました。すでにそれらの作品は善悪というものも少女漫画の目には見えないルールをも超越していた.....手垢のついていないまっさらなオリジナルだったからです。大島弓子、山岸涼子さんのふたりにはデビュー作にすでにたぐい稀な個性がありましたが、作品としては少女漫画のレールを踏み外すものでも地平をひろげるものでもなく、むしろ時代とともに変貌を重ね磨かれていったのです。

   萩尾さんが岡田史子さんからインスピレーションを受けたように大島さん、山岸さんともに萩尾さんの作品が一種の起爆剤になったのではないかと思います。山岸さんは”大泉サロン”に出入りしていたそうです。大泉サロンとは萩尾さん、竹宮さんが70年から72年頃住んでいた家で、みずみずしい希望に満ちた少女漫画家のあこがれの場所でした。手塚治虫さんを慕って石森さん、赤塚さん、水野さんたちが住んだときわ荘を思い出しますね。それにしても手塚治虫さんはご自分の存在を投げかけただけでなくのちの漫画家たちのために大きな大きなことをなさいました。”漫画ファンによる漫画専門誌”とうたったCOMを虫プロが発刊しなかったら、漫画の今はなかったであろうと思います。

   その手塚さんのあとを継いだ漫画家が石森章太郎さん、水野英子さん、石森さんは当時少女漫画が多かったのです。このふたりに強い影響を受けたのが西谷祥子さん、西谷祥子さんの漫画が好きでアシスタントをしたことがあるのが、前述の岡田史子さんでした。西谷さんは、花の24年組のひとり竹宮恵子さんのデビューの後押しもしたそうです。

   貧しい少女が障害を乗り越え一心に生きるというような少女小説の流れを汲んだ漫画から、欧米の映画を換骨奪胎(再話)し、手法をとりいれたラブコメディー(すてきなコーラ....うるわしのサブリナ)、ミステリ(従妹マリア....ウールリッチ原作の映画、さくら子すみれ子)、ファンタジー(セシリア....ジェニィの肖像)、大河ドラマ(白いトロイカ)を漫画によって描いたわたなべまさこ、水野英子....そのあとを踏襲しながらも少女漫画に文学の香りをそそぎこみ(風花、石だたみなど)、青春群像(学生たちの道、レモンとさくらんぼ。奈々子の青春ほか)を創作して、のちの漫画に大きな影響を与えたのが実は西谷祥子さんでした。この青春群像は里中満知子、津雲むつみを経て花よりだんごなどにいたるまで続いています。漫画家たちはテーマや技術を真似しあい、影響しあってここまできた....1ページまるごとの模倣もあったけれど、それをゆるす過去のおおらかさがあればこそ、より深くより広くより豊かにサブカルチャーの一翼をになうものとして、漫画は急速に育ったのではないでしょうか。

   少女漫画の歴史になってしまいましたが、今日 おはなししたいのは実は些細なことなのです。きのう、わたしはある芝居を観にゆきました。17歳のふたり....マグとジョゼフの1966年6月4日の午後のできごと.....ふたりは丘のうえで試験勉強をしています。あと3週間で結婚することが決まって....というのもマグのおなかには赤ちゃんがいたのでした。リアリズムの芝居でした。ふたりの役者とふたりの語り手で語られる芝居は2時間飽きさせることがありませんでした。

   大道具は三段の台ひとつ、一幕だけ....二時間のあいだふたりの役者は饒舌に語りつづけ、飛び撥ね、転げまわります。けれども、そうすればそうするほど観ているわたしは傍観者になってしまうのです。景色はあまり見えませんでした....これはいったいなぜなんだろう......ヒロイン、マグの今の目的は?ジョーゼフにこちらを向かせる....超目的は結婚、しあわせになることそしてたぶん家を出ること。....障害は? ジョーゼフの性格......台詞を前にだす....ここで内側に落とす....仕掛けが見えてしまう.....わたしは台詞の応酬を聞きながら、考えていました。見るひとのイマジネーションを喚起するものはいったいなんだろう.....

   そのとき、大島弓子さんの漫画が脳裏に浮かびました。大島さんはどんなものがたりにも合うようにタイトルをつくっておくのだ....と以前読んだことがありました。ものがたりは生まれ、ときに作者はものがたりを進めるのに伸吟するのですが、いつのまにかできあがってしまうのだと....大島弓子さんの作品からインスピレーションを受けた作家や映画監督は多いようです。詩的な日常離れしたことばや、作品にそこはかとなくただよう雰囲気のせいでしょうか.....

   岡田史子さんの作品はまさにそうですね。ものがたりのすじもはっきりとはわからない。けれども光と陰、そして秘めやかな夜の匂いを、甘い花の匂いを、濃厚な雰囲気をよむひとに感じさせずにはおかない。聴き手や観客のインスピレーションを呼び起こすためには、曖昧さ....すきまというものが必要なのではないかな....と思ったのです。

   きっちりくっきり論理的につくりあげると、こちらが入り込むスキがない。だから曖昧さを残しておく、トワイライトゾーンを残しておく.....きっちりつくりあげた自分の世界を渡そうとするなら、綿密のうえにも綿密につくりこむ。仕掛けが見えたらダメなんじゃないかな、あるいは仕掛けが見えたところで圧倒的に持って行っちゃえばいいのじゃないかな.....伝えようとする強い意志を持つことだと思いました。

    山岸さんはこのタイプです。デビューの頃は構成が不得手のよう....だったのですが、用意周到に伏線を張り、エピソードを積み重ねる長期連載の構成は男性作家顔負けです。今回読見返して一番泣けたのは山岸さんの”幸福の王子”でした。山岸さんは再話の上手い作家です。オスカー・ワイルドの幸福の王子が香気溢れるものがたりになりました。どうしようもないチンピラ・マルティンにかつて愛した少女の忘れ形見の少年が残してくれた贈り物。マルティンはたちあがって歩きだします。死そして再生。

   .......さて、6/4 6時過ぎ 湖にボートが転覆しているのが発見されました。ふたりは失踪したものとみなされましたが6/25(たぶん 結婚式をあげるはずだった日)11歳の少年が岸辺にくしゃくしゃになった洋服のようなものが浮いているのをみつけます、警察がひきあげ、家族はその遺骸がマグとジョーゼフであることを確認しました。......


   ふたりの死がカタルシスを呼ぶものでないとしても、死のあとに再生があってほしい。神経を病んでいたマグの母親は立ち直ります、それもひとつの再生。けれども、たぶん この戯曲では観客のなかで結婚生活の体験をした、今している観客のなかでなんらかの再生が起きる必要があるのではないか.....そのためにマグとジョーゼフの青春は輝かしくあらねばならない。日日の闇を照らすほどでなくてはならない、その耀きに照らされて観客は自分の人生の青春を生きて、結婚をもう一度問い直す...のではないかと.....そのように思ったのでした。役者にはパワーと繊細さ、そしてオリジナリティが必要です。語り手にも漫画家にも。


   ものがたりを聴き手や読者や観客に伝える、それだけでなく魂の扉を叩くためには、感性と客観性と両方必要です。おそらくバランスなのです。客観性がないと流され主人公に溺れてしまう、あるいは自分を押し出してしまう.....すると聴き手はついていけない。けれども、論理的に伝えようとするとつまらない、語り手、役者または作者の息吹が感じられなくては感情移入ができない。つかず離れず、そのあやうい細い道をたどってゆくのが名手、名人なのでしょうね。などとつらつら芝居を見て思ったりしたのでした。



大島弓子ウィキペディアは→コチラ

私的大島弓子論(H15年に書いたもの)は→コチラ

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  S46年 白い部屋のふたり  山岸涼子

   地球(テラ)へ  漫画少年別冊  竹宮恵子




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コメント
 
 
 
なつかしいです (田中裕美子)
2010-04-07 10:00:37
1月に帰郷したとき、わたしもずっととっておいた古漫画切抜きやコミックを持ち帰りました。読み返すにつれ、すごい大家になったなあ、と感嘆するのは山岸涼子です。アラベスクで画風を革新したころはすごい勇気のあることだと思いましたが。今回持ち帰った中にはくらもちふさこのおしゃべり会談も。私は昭和34年生まれ、5歳のときに初めて「りぼん」を購入し、萩尾さんの初期作品「ルルとミミ」の前に里中真知子(?)の双子の女の子のライバル物語の最後をみることができず、今でも心残りです。昭和40年初期の作品だったと思いますが。それも似たようなタイトルだったと思いますが、もっとずっと深刻で悲しい物語でした。もし結末をご存知で教えていただけると幸いです。
 
 
 
ルルとミミ (luca)
2010-04-07 10:39:24
田中裕美子さん ようこそおいでくださいました。里中真知子さんの作品はデビュー作はあるのですが、....ピアの肖像だったかな....その双子のものがたりは記憶にないのです。お役に立てずすみません。

ピアの肖像も吸血鬼の話だったかしら.....飛鳥幸子さんの白いリーヌもよかったですね。

追い追い 昔の少女マンガを紹介してゆこうと思っています。


 
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