5年生のおはなし会 出ようとしたら車がない。息子が乗ったまま 帰ってこない。急いでタクシーを呼んだが すこし遅れた。
予定を変えて雪女を語った。あせっているとき 新しいおはなし3つはむつかしいと思ったのだ。つぎにノルウェイの神話から「りんごの木」おはなしのおわりに冷蔵庫にころがっていたすこししなびた林檎をナイフで切って見せた。よかった!!星のかたちに種がならんでいた。ともあれ、おはなし会には万全の準備が必要だと痛感した。
校長先生に ものがたりを暗記しているのではなく 目の前にまたは心象に繰り広げられてゆくものがたりを同時にことばにしてゆくのだとようやく理解していただいた。そしてそれはだれにでもできることであるのだということもお話した。その力を獲得することは自分の内なる世界をひろげ、ひとが生きてゆくうえでとてもたいせつなコミュニケーション能力を高め、ひとのこころを知りなにより自分自身を知ることにつながるということもお伝えしたが拙いことばであるのでどこまでご理解いただけたかはわからない。けれども聡明で子どもたちを愛する気持ちの強い先生だから幾分かは伝わったかと思う。帰りは校長先生に送っていただいた。
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語るレッスンは確立できそうでもなかなかできない現状がありますね。日本ではストーリーテリングの導入時に誤解もありましたから。
一方で、海外の学校教育では、自国語の国語の時間に「詩の暗唱」が位置づけられています。これも大事な国語の教育だと思います。
語りの教育を理解してもらうときに、このことも含んでお話しすると良いのではありませんか。
ロシアの小学校ではプーシキンの長詩の暗唱が国語の授業には必ず入ります。
イギリスでもそうですね。
私の場合は中学校のときの万葉集の暗唱は今の私の語りの活動に大変役に立っています。
文学を文字と音の両方から味わうときには、是非、詩(和歌)の暗唱も・・・。
暗記と暗誦はまったく別ですね。暗誦はいのちを吹き込むものでしょう?ことばのひびきを味わうのはなんて心地よいことでしょう。わたしも少女のころ (なんとなく恥ずかしいですが) 藤村やホイットマンやシェリー、ブレイクの詩を暗誦するのが好きでした。ひとが聞いていないところで口ずさむと身のうちに西風がさかまき 大海原がまじかにあり また枯れ葉がさやさや音を立てている林にいるように思いました。生きる力が湧いてくるようでした。
いつかそんなお話もしてみたいです。午後の静かなティールームで...。