もう10年以上前に起こった事件 OLではなく管理職だった渡邊さんが殺害され 売春婦と報道され イスマル容疑者が逮捕されたという事件でした。渡邊さんは反原発の論文を書き、東洋経済新報社が主宰する経済学賞(高橋亀吉賞)で佳作を受賞しています。
渡邊さんのお父さんは、1949年に東大工学部を卒業、 東電に入社 工務部副部長として将来の役員候補とされていましたが、 原発の危険性を指摘したため、わずか一年で降格、52歳でガンで死亡したそうです。 当時、大学2年生だった渡邊さんは尊敬する父の死で拒食症になったそうです。その渡邊さんがなぜ 東電に入社したのか.....父の無念をはらしたいがためだったのでしょうか。
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渡邉泰子さんは、渡邉達雄さんの長女として、 1957(昭和32)年6月7日に生まれ、慶応義塾女子高等学校、 慶応義塾大学経済学部を卒業後、他界した父の跡を継ぐ形で 1980年(昭和55)4月に東京電力に就職。
東電本社では企画部調査課に所属し、1993(平成5)年には 企画部経済調査室副長に昇進。 同室は電力事業に対する経済の影響を研究する部署であり、 泰子さんは、そのなかで、国の財政や税制及びその運用等が 電気事業に与える影響をテーマにした研究を行い、 月一、二本の報告書を作成、 そのレポートは高い評価を得ていた。なかには「原発の危険性を指摘」する報告書もあった。
のちに会長になる勝俣恒久が 直属の上司。しかも、藤原万喜夫副社長も、1997事件発生時には、 企画部管理課長 。1996年6月 勝俣恒久氏は 取締役企画部長に就任。その翌年の 1997年3月8日に渡邊さんは殺された。勝俣部長は事件の翌年にめでたく「常務取締役」に出世した。
第三者の唾液が証拠として出されなかったほかこの事件はナゾが多い。
社内における反原発の立場とかいかなるものだったのでしょう。
イスマル容疑者とともに 渡邊泰子さんの汚名も雪がれますように。あなたやあなたのお父さまの指摘は間違ってはいませんでした。心配されたとおり不幸な事故は起きてしまいましたが 今反原発のひとが増えています。どうぞやすらかにおねむりください。
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とのことですが、
http://corp.toyokeizai.net/press-room/award/takahashi/
東洋経済のオフィシャルには名前がありません。ソースはどちらでしょうか。