安倍さん おめでとう。
どうみても さほど頭が切れそうもないあなたが 小泉や福田さえ できないことをやってのけたのか
不思議でなりません。あなたの下がり眉 頼りなげな 一見 人のよさそうな笑顔のせいでしょうかね。
いまや 日本は独裁国家 国民が望まない原発の再稼動 国民が望まない秘密保護法 国民が
望まない憲法9条抹殺 国民の望まない言論の国家統制 国民の望まないTPP 民主主義以外 なんでもありだ....
国会の承認なしで 専守防衛もPKOも国連オンリーも消えちゃう。自衛隊は安倍ちゃんの我が軍じゃなく
アメリカの②軍になっちゃう 平気で 国民を見捨て なりふりかまわず アメリカに差し上げる......
アメリカの兵士に詫び、 ダマシテコロシタ 特攻や満蒙青少年義勇軍の若者には詫びないのか.....
あなたの祖父 岸は満州国をつくった。
......さらに、遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。このとき陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。戦後右派の黒幕となり日本を動かしていく曲者たちは阿片で莫大な財産を手中にする。自民湯なんぞ阿片の金で動いていた麻薬党なのである。
祖父岸信介は1936年10月に満州国国務院実業部総務司長(満州国における行政機関。同国は議会を持たなかったため、国政の最高機関であった)に就任。満州時代に関東軍参謀長の東条英機や日産コンツェルンの総帥鮎川義介ら軍部や財界要人と関係を結んでいった。阿片による莫大な金が岸に動いたことは容易に想像できる。
拡大した市場は、もはやイギリスの阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。植民地朝鮮半島でも、中国への阿片輸出のため、3万~8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。阿片・麻薬の需要は増大し、三井物産と三菱商事が、ドイツ・イラン・トルコ・シンガポールの阿片・麻薬を一手に輸入していた。英仏によって、中国華僑の活躍した東南アジアにも阿片の弊害は及んでいったのだ。実に欧米に成り代わった日本は大東亜阿片圏と言うべき阿片の毒牙をむき、三井・三菱の阿片船がアジアを往来した。
三井物産は上海へ、1938年4月に約3万トン、1939年1月に約7万トンもの阿片を運び込み、南京維新政府の財政を助けた。三菱商事は三井の3.5倍もの量を1939年2月に満州の大連へ運び込んでいる。
南満州進出、21カ条要求、満州事変と中国への日本の侵略は拡大、さらに日中戦争へと突入する。日本は、中国の占領地に満州帝国を始めとする傀儡政権を次々とデッチあげていく。
これらの傀儡政権や親日の軍閥は、日本軍の擁護の下に、阿片を政府・地域の許可・専売制として、阿片・麻薬の利潤を日本軍と分け合った。傀儡政権の満州・内蒙古では堂々とケシが大量栽培されていた。
満州帝国では、約3000万人が20万貫の阿片を吸引し、毎年4万貫の阿片が輸入され、約7万町歩のケシ栽培が行われていたと言われている。
阿片王と呼ばれた二反長音蔵は、満州の長白・臨江・安図へ3回、また満州の熱河省へと指導に赴いている。長白市だけでもケシ栽培は216万坪にもなっていた。中国軍閥の張宗昌(阿片将軍)は日本軍と組んで。吉林・黒竜江省で50~60万貫のケシ栽培を扱ったという。
内蒙古の山西・チャハルの傀儡政権「蒙古連合自治政府」でも阿片が製造され、張家口には阪田組のヘロイン製造工場があった。阿片・塩・鉱山物が政府の重要な財源となっていたのだ。
日本の占領地経済をまとめていた興亜院が阿片・モルヒネを製造・輸入・販売を管理する組織となり、中国民衆を阿片漬けとしていったのだ。
日本軍の占領地で、日の丸を掲げて商人が阿片も販売したため、中国人が、日の丸を阿片販売の商標だと思っていたという笑えない話も残っている。
ソ連の参戦ともに 岸は逃げた!!
20町歩の大地主にするとだましてつれてきた 開拓民の女子ども老人を盾にして 逃げた !!
http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/index.htm
一九三七年(昭和十二)に始まった日中戦争は長期化した。この処理に悩んだ日本は、南方(東南アジア)への進出によって事態を打開しようとしていた。この南方作戦も最初は日本軍が優位にたっていたが、一九四二年(昭和十七)ミッドウェー海戦での大敗を機に敗退を続け、ついには無謀な神風特別攻撃隊の体当たり作戦という事態を生むに至っていた。
ソ満国境を守備していた関東軍の兵力は、南方での戦線に次々と転用され、それに呼応して、満州では在満邦人の「根こそぎ動員」が行われた。このことにより、開拓団には女性と子どもだけが取り残され、その後の悲劇を大きくした。
一九四五年五月、ドイツが無条件降伏をしたことから、日本陸軍はソ連の対日参戦を予想した。そのため、軍部は全満州の四分の三を放棄し、新京以南を守る態勢をとった。この作戦の決定は、日本人開拓団の半数以上が住む地域を見捨てるものだった。
角田房子の『悲劇の王道楽土』では以下のような記述がある。
「八月九日のソ連侵攻後は、軍は朝鮮防衛の作戦に転じ、満州からの全面撤退を計った。実情はわれ先の敗走であった。開拓民は自力に頼るほかない状態で、完全に見捨てられた。こうなる前に開拓民を避難させる時間は十分にあったのだが、日本人の大量移動がソ連を刺激することを恐れ、『対ソ静謐保持のため』戦略的に彼らを見殺しにすることを決定していた」
以上
安倍さん あなたのお祖父さんは 自分の懐を肥やした 棄民して 国民を売って儲けた。 安倍さん 悪い血だ。あなたも 棄民 。