チチェン・イツァにもセノーテがある。ツアーでよく「チチェン・イツァとセノーテ」みたいにペアになってるセノーテ・イキルじゃなくて、チチェンの中にある。水が緑色に濁ってて泳げないのでセノーテ観光として魅力がないからか、あまり注目されないが、マヤ文明→生け贄のイメージをつけた遺物が発見された考古学的?に重要なセノーテである。
その遺物を最初に発掘した(底から見つけ出した)のがエドワード・トンプソンという人なんだが、彼の話はとても面白い。最初は櫓から張り出した棒に籠をくくりつけたり、次にボートを浮かべたりクレーンみたいなのを作って吊った籠で浚ったり。そして極め付けがこれ。
空気を送るホースを繋いだ潜水帽を被って。水中ではほとんど見えず、見えても遺物を持ち上げると泥が巻き上がって5分くらい何も見えないとか。とにかく苦労して、装飾品や人骨などを発見した。でも、この写真、手伝わされているマヤ人達が何を考えていたのかにも興味がある。
で、この村に引っ越してきてすぐにうちの敷地内で見つけたミニ・セノーテを、ちょっと掃除してみたんだが、気分はトンプソンだった。まずは地表近くの枯葉と土をどけたんだが、その後がえらい大変。ぐちゃぐちゃに朽ちた枝や葉と、長年かけて割れ落ちた石と、泥。途中、水も一旦抜きながらきれいにしてったんだが、思った通り、結構深い。浚っても浚っても底に達しない。
だんだん水の濁りが減ってきたが、ただのカメ穴と違って1回では終わらなかった。また別の日に続ける。
チチェンと違っておそらく牛の。
木の根が化石になって血管みたいで気持ち悪い。ちなみに、今でも生け贄を捧げて儀式を…という説に反対する学者はいる。縁から覗いてて落ちた/落としたんだろと言うマヤ人もいるw。
隣のゴミ一家との間のブロック塀造りで出た岩の位置を変えて、ブロック塀沿いに遊歩道を作る(一番奥から並べ始めたの、見えるでしょうか)。資金全体が岩ゴロゴロで木もいっぱい植わってるので、歩き回りやすいように。あと、掘り出した岩も、道側まで運ぶには重いし大量だし、処理にも困るので。
劇重。正確にはヒルベルトが手伝ってる農園のものらしいが、なぜかずっと置きっ放しで、置いた当時は彼らの敷地内だったが、今は我が家の中。置いてあるのは構わないんだが、立て掛けてあるのが苦いオレンジの木で、機械の重さで枝が傷んでいる。どうにかしたいと思ってたところ、ヒルベルトと親方(友達同士)で動かすことにしたらしい。
1トンくらいだと思う。これの他にもやっぱりすごく重そうなパーツが3つ、ヒルベルトんちの庭に転がっている。何に使うのか、説明を聞いてもよくわからない。引っ越して余裕ができたら、持ってる「山」とか農地をを見学させてもらいたいと思っている。
クオッカみたいなやつだっけ?
クオッカのでっかい版
日曜日にお邪魔してきたよ
こぶ帰る前に😉