熊本熊的日常

日常生活についての雑記

美術品の「価値」

2009年09月26日 | Weblog
以前にAFP(アフィリエイテッド・ファイナンシャル・プランナー)という資格を取ったのだが、資格維持のための講習や試験を受けずに放置しておいたら一昨年末に失効してしまった。今年末までに講習をいくつか受けて30単位取得すると資格を復活させることができるので、今ごろになって慌てて講習を受けている。先月までに20単位獲得して年内30単位達成がほぼ見えてきた。今日はその関連で、「画廊店主が語る美術品市場の見方と資産価値」という講座を受講してきた。これで3単位取得したので、30単位までは残り7単位となった。

テレビ番組の影響で、美術品の値段ばかりに衆目の注目が集まっている気がしないでもないのだが、世に「美術品」と称されるもののなかで価格の相場が決まっているものは、その一部に過ぎないのだそうだ。まずなによりも真贋の鑑定が可能であること、真贋が鑑定できたとして適正規模の需給が存在すること、それがオークションなどの市場で価格として表現されること、などが相場形成の条件だという。当然のことではないか、と思うかもしれないが、大前提となる真贋の鑑定ができる対象というのは相当に限定されるのである。日本の美術品に関しては、江戸時代以前の物に関しては鑑定可能な作品というのは極端に少なくなるのだそうだ。

現在、日本の作家で鑑定可能なのは約250名。これにオーソライズされた鑑定人や鑑定機関が存在しないが流通可能な作家が50名ほど、現存作家約300名を加えた約600名が、作品の相場が成り立つ作家の数なのだそうだ。今、日本で「画家」人口は3万人ほどだが、画業だけで生計を立てているのはその1割にも満たないのだという。

そのようにして選び抜かれた作家の作品については、その相場がほぼ日経平均に2-3ヶ月遅行しながら連動して動くらしい。こうして衆目に認められた美術品には資産の一形態という側面があるという、当然のことが確認される。こうして相場の透明性がある日本の美術品市場の規模は高々1,000億円程度に過ぎない。内訳はオークションの落札総額160億円、交換会や百貨店・画廊での販売が500億円、輸入が340億円とのことである。

要するに、美術品というのは、ごく限られた作品以外は、資産たりえないということだ。それぞれの作品にそれぞれの歴史があり、その誕生にそれぞれの想いが込められているものが、相場などという浅薄な尺度で規格化されてしまうようでは、人間の創造性が否定されるも同然だ。ある人にとっては100万円のものが、別の人にとっては100円にもならない、というのが本当に価値あるもののまっとうな姿だと思う。誰にでもわかるものは、要するに誰にも理解されていないということだ。わかる人にだけわかる、そういうものこそ、鑑賞したり所有したりすることで心の芯から喜びを与えてくれるのではないだろうか。そして、本当の喜びというのは貨幣価値などでは表現できないものなのではないだろうか。単一の尺度で全てを判断しようなどと考える有象無象とは一線を画してこその「美」があると思うのである。美術品の多くが、株式市場だの不動産市場だのといったものと同列の「市場」には属さないということを知って、妙に安心した。

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