どんな分野でも同じようなことがあると思います。
ある分野、小生の場合「篆刻」ですが所謂、師匠(先生)と
いわれる方から全てを学ぶことは難しいと思います。
長年研鑽されてきた師匠(先生)のレベルと、小生の如き受け手の経験も浅く
理解力の劣る小生との乖離もあります。
また、目指す方向は必ずしも全く同一とはいえません。
師匠(先生)と呼ばれる方も、先輩の師匠(先生)より学んでおられ、
理論上、全てを手中にされている師匠(先生)は少ないと思います。
また、師匠(先生)が年齢的に生徒より若い場合、指導方法にも
遠慮が生じ、耳障りの良い言葉に惑わされてはいけません。
初学生の小生は自分の目指す道を探求し、そのための自分流の勉強をし、
少しでも多く摂取することを心がけています。
一般論ですが師匠(先生)にも得意な分野とそうでない分野もあることと
思われます。
書道家といわれる先生でも甲骨・金文・篆書体・隷書・行書・草書・
楷書の全てに通じている方は希少です。
大切なことは書家の村上三島先生も申されていますが公募展の入選、
入賞に一喜一憂しないこと。
作品作りでは公募展はどうしても他人との差別化が必要です。
その道一筋の師匠(先生)と趣味的制作の小生の間で生じる充足感の
空白をどのように埋めるか。
それをカバーする方法、「私淑」です。
現在は幸いなことに様々な出版物が発行されています。
自分の望んている作品に出合う喜び、ひとり(うふふ・・・)
出来れば作者と会話したいのですが、生誕の時間的な差は埋めようが
ありません。
長らく制作していても、ひとによって異なると思いますが、
作品論で真剣に議論する機会ってあまりありません。
残念なことですが。
書籍を通じての私淑は本棚を探検すると思わぬ出会いがあります。
刹那的な喜びでなく、じ~んと来る心からの喜びです。
勿論、家内は関係なし!