畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

評価を高めた2日間・・・稀勢の里

2017-03-29 20:08:18 | 篆刻


3月25日・26日の2日間に亘る土俵。
稀勢の里伝説の誕生ともいえるでしょう。
負傷にめげず土俵に上がったこと、そして見事優勝したこと、この勇気ある行動と精神が
稀勢の里の評価を一気に高めたことは万人認めるところです。
もし仮に休場していたら「仕方ないわね」で終わったことでしょう。
「あれで、相撲とれるのかしら」
そして「えっ、優勝!」
稀勢の里の相撲人生で評価を一気に高めた行動。
勇気をもらった方も多いと思います。

篆刻を齧っていますと、わるい癖、2日間の稀勢の里の土俵はどんな言葉が適切か
考えてしまいました。
そして字書を開きました。適切な言葉はほかにもあるとは存じますが。
ちょっと理屈ぽくて恐縮ですが列記します。

臨難毌苟免  難に臨んではいやしくも免れんとするなかれ
       3文字目は母(はは・ぼ)ではなく、「田」の4画目が左右ともに線が
       突き出た字で「カン」(貫く)という意です

不撓不屈   強い意志でどんな苦労や困難にもくじけない

緊褌一番   難事や大勝負などを前に心を引き締めて物事に取り組む

不惜身命   身や命をささげ惜しまない

勇往邁進   勇敢に突き進む

艱苦奮闘   困難などに対し力の限り尽くす

胆勇無双   並ぶ者がないほど大胆さと勇気をもっているさま

不抜之志   決してくじけない堅い意志のこと

全国何千万人がTVを食い入るように土俵上を見て応援する、こんな大一番は
一般サラリーマンには別世界のようですが。
それにしても稀勢の里のたぐいまれな勇気に敬意です。
そしていつか上記の中で選び、篆刻作品を制作してみたいものです。

国内には篆刻家の主たる団体が東京と大阪に2ケ所あります。
小生は東京の会員数200名弱の団体に所属し(と申しても末席も末席)
毎年の出品には現在の心境や現状を表す文字を選んで制作出品しています。
作品展の開催場所は東京1ケ所で残念ですが。
今年は「歩歩艱難」
高齢になって歩く姿も横から見ていてもヨボヨボ状態、「闊歩」は程遠い状態。

教育界の関ヶ原

2017-03-25 20:01:27 | 日記



長いこと「にんげん業」をしておりますと引き籠り状態の時もあります。
まあ、2週間ほどですが。

この間、手元の本を読んだり、篆刻の作品展出品の準備、ついでに自用の落款印を2ケ制作
したりしました。
落款印は1cm四方と1.2cm四方の小さな石材です。
とても集中力を要求され、長いこと作業していますと眼もショボショボ状態です。

現在、森友学園の問題で大騒動ですが肝心の国家予算は脇に追いやられ、何が最優先なのか
優先順位がお分かりにならないせめぎ合いの如くです。

教育界では教育問題について2つの価値観の対立が続いているそうです。
「学力」
「考える力」

学力は基本的に大量の知識を記憶し、その正しさで評価されるもの。
正解が存在することが前提です。

考える力は正解のない問題や未知の状況に対して論理的に判断を下す力。
 
2つは必ずしも対立せず、どちらも必要であることは誰でも体験的に知っていますが
どちらを重視するか、が教育界で長年論争されてきたそうです。

背景にあるのはAI(人工知能)の台頭など化学技術革新による産業や社会構造の激変です。
人口減少に進む日本は「解なき問い」に答えられる高度人材の育成が急務とされています。
将来の日本を支える人材の教育にとってとても重要なテーマです。
ということを記して
これ以上の専門的議論には小生レベルでは入り込めませんので勝手ながら以下略です。

「読み・書き・そろばん」ということばがありますが、昨今ソロバンの魅力が見直されて
いるようです。
「数的感覚の習得」
ソロバンの形状から数字のケタの概念が視覚的に身に付くメリットがあります。
そして集中力や忍耐力が身につくこともあるそうで、小生も孫にプレゼントしました。
家内も電卓よりソロバンを重宝しています。

ソロバンといえば、渋沢栄一の「論語と算盤」という著書もあります。
ソロバンは計算機であるだけでなく、利潤と道徳を調和させる比喩でもあるようです。


そして話全く変わって、先日の数十年前の日展図録から。
思わずニンマリのようなハハーンのような。
「出品作品の意図を語る」
鈴木翠軒
 無為ー腹にも頭にもなんにもなく、意図も意欲も更にない心のようすの時かいたもので
 あるが、内容がさらさら出ないでお恥ずかしいです。

松丸東魚
 私だって多少の「意図」がないわけでもありません。
 それは手前味噌に違いないのだから、キマリがわるくて何とも申し上げられません。
 率直にいってこんな質問は私はキライです。

西川 寧
 モディリアーニの婦人像のひとつに、右の目のあたりにひと筆刷いて、墨の霞が
 かかったのがあって、その風味にこころひかれたことがあります。
 この私の作に、クモの巣がかかったような効果があらわれたのが捨てがたく、一部に
 まずい所があるのですが、ままよと出品しました。

極めて率直なコメントもあり、当時の時代を反映しているようです。

何とも雑なブログにて・・・

悪い習慣

2017-03-22 12:15:55 | 日記



自分ではごく当たり前の日常生活、習慣が決して正しいことでないことに
気がつけば当然のことですが軌道修正が必要になってきます。

人生の節目、還暦・古稀・喜寿・傘寿・卒寿・白寿・百寿などを迎えたときは
一般的には「反省」よりも「喜び」が大きいのではないでしょうか。

長寿社会になって還暦を迎えたときは大部分の方は現役で働いておられると思います。
そして無事勤めを終えて古稀・喜寿と段々と階段を登るようになりますと、
「いやあ、よくぞここまで生きてきたなア、祝杯でも上げようか」
と、家族揃ってのお祝い行事が一般的です。

飲酒経験のない方は例外または例外でない?本人の躰はいつの間にか疲れ果てた状態、
特に内臓諸君の胃や腸、肝臓、心臓などその他周辺の臓器はかなりの悲鳴だと想像します。
内臓にとっては自分の意志に関係なく、人によっては毎日怒涛のごとくそれビールだ酒だ、
焼酎だと流され込み消化せねばなりません。

そして、これ以上消化できなくなったとき「痛み・激痛」のサインが送られます。
その痛みは短期間での悪い習慣からではなく、長期間の悪い習慣が起因していることに
気がつくのはかなり内臓の傷が深くなってからの場合が多そうです。

退職以来、自己流の自己管理をやってまいりました。
特に食事・飲食には留意してきましたが、その留意不足で思わぬ事態も起こります。
気持ちの若さとは別に体力は確実に低下しつつあるようです。

どうしても好きなことには自分を甘やかすもの。
日頃、健康第一と申しながら本当の意味を理解するのは大変なこと。
再度、見直しの時期到来と実感しているこの頃です。

貝原益軒は70歳、80歳の晩年に至ってもなお少しも衰えず、刻苦勉励、畢生の大業を
成し遂げています。
70歳からの著述では
5倫訓74歳・以下書名略で75歳・76歳・79歳・80歳・81歳・82歳・84歳・
85歳の年齢に名著を出しています。

益軒いわく
養生の害二つあり。元気をへらす一なり。
元気を滞らしむるもの二也。
飲食、食欲、色欲、労働を過ごせば元気やぶれへる。
飲食・安逸・睡眠を過ごさば滞りてふさがる。

すなわち養生の道を弁え、心の平静が大切である、と教えています。
特に八五歳の高齢を迎えても脳の柔軟性、みずみずしさを少しも失わず、とされています。

にんげん誰でも長寿を願うものです。
篆刻でもよくお目出度いことばを刻します。
不老長寿
美意延年
長命富貴
南山之寿
鶴寿千歳
延年転寿
七十古稀
松柏之寿
などなど

以前、ベストセラーになった「七つの習慣」(ステイーブン・R・コヴィ著)を
もじって、良い習慣を目指そうと思っています。

昭和35年の日展

2017-03-18 17:51:37 | 篆刻


今から約60年前の日展作品・篆刻のご紹介です。(正確には57年前)

当時の貴重な資料をお借りしましたので、篆刻作品を掲載させていただきます。

昭和35年の「書」の部門は応募者数1,692点 入選点数 365点 (内・篆刻28点)入選率21.5%

平成28年の「書」応募点数 8,402点 入選点数 1,000点 入選率11.9%

ここにアップしましたのは昭和35年発行「書品」(発行・東洋書道協会)の図録からです。
中村 蘭台・保田孝三・山田正平・生井子華・殿木春洋・(故)北村春歩
松丸東魚・吉野松石・古川悟・森田緑山・佐藤桃巷・小林斗庵・中村淳・
内藤香石・梅丁斎・大久保翠洞(敬称略)

「小林斗庵」先生も当時42歳ですから随分お若いです。

入選者のお名前では
菅原石蘆・関正人・所洞谷・中島藍泉・中村淳・二葉一成・古川悟・吉野松石・各氏の
お名前も出ています。
年齢的には30代から40代と思われます。

因みに審査員は石井雙石・保田孝三・松丸東魚などの各氏です。

今回の冊子は「書品」第115号で主幹は
西川寧・松井如流・青山杉雨・伏見沖敬・芳賀文太郎・壱岐るり子
になっています。

砥石と硯の共通点とは

2017-03-14 13:08:35 | 円空


世の中には様々な道具があり、文具もあります。ほとんどの道具や文具はそのまま機能を有しています。

道具では身近なところで金槌・鉋・のみ・ノコギリなど、1つや2つは用意されて
いると思います。

また、文具では鉛筆・ボールペン・ノート・サインペン・筆・クレヨン・定規など
どのご家庭でもどこかに隠れていたり机上にあると思います。

写真の硯は道具というより文具です。
「文房四宝」のひとつですから。

上記に掲げた道具や文具はそのまま使用でき、機能します。

しかし砥石と硯は自分だけでは機能せず、なんの役にも立ちません。
例えば砥石の上に鑿を置き、研いだとしても傷がつくだけです。
同様に硯の上で墨を擦っても何の効果もありません。

「砥石」「硯」だけは「水」という相棒が無いとなんの役にもたちません。
まあ、当然と言えば当然ですが考えてみますと興味深いものがあります。

砥石を使用する場合、素人では充分に機能を発揮できません。
粒子の大きさで荒砥石や中砥石、更に仕上げ用砥石など種類が豊富です。

小生のような素人では鑿(のみ)を研ぐとき、全体に万遍なくきれいに研ぐことは
至難で、鑿の先が丸みを帯びたり、尖り具合が変形したり、散々です。
使用法は書いてありますが実際に研ぐということは特殊技術が必要なようです。

また砥石も天然石と人工砥石もあって、素人にはどちらが優れているかも分かりません。
でも、自分でできる範囲で鑿を研いでいますが失敗ばかり。

一方、硯は水をちょっと垂らし、力を入れずゆっくりゆっくり擦れば、硯の先端である
「池」とも「海」とも言われる窪みに墨液はできます。

場合に依っては「相棒」が不可欠なのですね。