畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

「徒然草」的生き方

2016-03-30 20:37:22 | 日記


江坂彰氏は1936年生まれ。作家・経営評論家。
 
 今から千年も昔の書ですが今に時代に読んでも結構面白い書と勧めています。

「生き甲斐探しに苦しむ中高年が多いが、私は人生に生きがいなどないと思う。
 かりにあるとしても、この大長寿時代、それは一瞬のはかない花火のようなもの。
 別になくても、心豊かな余生を送れる。
 人生それぞれ、人さまざま、多種多様な生きようの時代である。
 会社の出世レースやマネーゲームじゃあるまいし、出世や他人の生き方を比較するのは、ほどほどに
 しておいた方が良い。

 健康ごっこもいいが、たまには不健康なこともやろう。人間なんだから。

 ちっぽけな財産は、子供に残すより生きている内に、なるべく使ってしまいたいもの。
 ちょっと贅沢、ちょっと質素が面白い。

 良い人ごっこは本当に心が疲れる。
 自分の性格にあった仕事や趣味を見つけよう。

 自分に親友がいないとなげく若者が増えているが、親友とは生涯の宿命的出会いであり、まあ運のようなもの。
 別にいなくても引け目を感じることもあるまい。
 気軽な友や、たよりになる知人が何人かいるだけで充分じゃないか。」

 生き甲斐たっぷり、首尾一貫した悔いなき人生など退屈でつまらん。
 鎌倉末から南北朝の乱世を生きた兼好が「徒然草」でしっかり、きちんと書いている。

 孤独を怖がらず、花鳥風月を愛でながら俗にもまじわるという自由自在。
 

 徒然草「序段」
 徒然なるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく
 書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。
  
 第1段から第243段までありますが、人によっては徒然草は若いひとには毒になる!という論もあります。
 読んでいきますと内容的に若い人向きでないかもしれません。

 

耳が遠くなる・・・

2016-03-28 19:57:07 | 日記


中國の詩人・蘇東坡も耳が遠かった、と思われます。
「耳聾喚不聞」喚(よ)べども聞えず、という詩を作っています。

聴力の減退は外耳・忠治・内耳の内、老人性難聴は内耳障害が多いようです。
初期のころは高音域が聞きづらく、次いで中音域、低音域と聞きづらくなるようです。

小生も人並みに聴力減退を実感いたしており、講演会などで声量の小さい講演者や発音の明瞭でない講演者では
講演内容の把握に苦労します。
日常会話でも聞き直すことが増えてまいりました。
NHKアナウサーの声は明瞭に聞こえますが、これはNHKアナウサーなどは発声練習の訓練をしているのでは
ないでしょうか。

高齢になりますと発声も小さくなる傾向があり、口の中でモゾモゾと発音する方もあるようです。
デパートなどで買い物などいたしますと若い店員の発声の音量の大きさに驚きます。
そして早口です。
デパートの店員さんは相手の年齢層を観察してゆっくり、明瞭に話して欲しいと常々感じています。
こうした日常生活で感じますのは、会話などで「発音は明瞭に、大きな声で」を心がける必要があるようです。

テレビなども聞き易い音域を自由に操作できると有難いと思うのは小生だけでしょうか。

医薬メーカー情報では聴力アップのためにはビタミン12の摂取が有効とされています。
レバー、あさり、しじみ、さんまなどの食品です。

考えてみますと人間のからだは超精密構造で、ちょっとバランスが崩れますと病気などの症状がでます。
高齢になることを別に悲観もいたしておりませんが、若いころと異なり、躰から発信される信号を見落とさず
慎重に躰を点検し、躰と相談、会話しながら生活する必要を感じています。

「よもぎ」の利用法

2016-03-27 09:35:01 | 篆刻


桜の満開情報が新聞、テレビなどで報道され、いよいよ全国各地でお花見シーズンです。
お茶の友に「よもぎ餅」を楽しむシーズンでもありますね。

「よもぎ餅」と「篆刻」?
何の関係があるのでしょう。

篆刻は石に文字を刻して印泥(朱肉)を付けて紙に押しますが(印ーけんいん)、その印泥の原料に「よもぎ」が
使用されています。
印泥の原料は硃料(硃砂と硃磦の2種類あり)という硫化水銀、油材のヒマシ油と菜種油、及び「よもぎ」が
原料とされています。
印泥用には「よもぎ」の成長した葉から抽出されているようです。
詳細は企業秘密になっており主に中国で生産されています。

印泥で有名なブランドは「西冷印社」製で「光明」「美麗」「箭鏃-せんぞく」などが主です。
その違いは色調と線のシャープさの表現力です。
高級品ほど押した印線が忠実に表現できますが、安価品は分かり易く申せばベタベタとして石材に印泥を付けて紙に
押します時、印面の凹に印泥が入り込み、文字の線ににじみが出ます。
最近の中国は人件費が高騰しており、印泥も数年前の2倍程度の価格になっています。
箭鏃の5両装(150グラム)で現在は3-4万円程度にもなっています。

印泥の販売単位は1両装(約30グラム)、3両装、5両装です。
落款用であれば1両装で充分です。

印泥(いんでい)は篆刻作品に使用されますが、書道作品の落款印にも使用されています。
「落款」は落成款識の意味で、落款を押してやっと完成ですが、書道作品を拝見していても結構ぞんざいに
押してある場合があります。
斜めに押してあったり、印泥が充分に付けて押して無かったりで折角の作品の品位が落ちてしまいます。
丁寧に押して完成ですから。

以上「よもぎ」物語です。

中日ドラゴンズ 創立80周年!

2016-03-25 17:11:26 | 日記


プロ野球ファンにとっては待望のシーズン開幕です。
本日25日から長い長い1年間の戦いです。

グランドでプレーできるのは9名だけですが、その陰には大勢のバックアップがあり、グランドでプレーできない
控え選手がいます。

中日ドラゴンズを例にとりますと
1軍 監督
  ヘッドコーチ
  チーフ打撃兼野手総合
  打撃      1名
  投手コーチ   2名
  捕手コーチ   1名
  内野守備コーチ 1名
  外野守備走塁  1名
  守備      1名
  チーフコンディショニング 1名

2軍もほぼ同様で1軍、2軍併せて28名

チームスタッフ・打撃投手・ブルペン投手・捕手など15名
スコアラー数名・スカウト数名

選手数では 投手41名・捕手8名・内野14名・外野15名でグランドへ出るのにも猛烈な競争率、

スタッフで最高年齢は松岡功祐氏で73歳! 育成と昇竜館の館長でもあります。(寄宿舎)

因みにここ数年の成績は
2011年  75勝59敗  10分け
2012年  75勝53敗  16分け
2013年  67勝77敗  3分け
2014年  67勝73敗  4分け
2015年  62勝77敗  4分け

我々はグランドで出場する選手の活躍ぶりしか目にすることはありませんが、その陰で選手が活躍できるように
サポートしている方が本当に大勢居られます。
打撃投手、ブルペン投手、捕手などファンがその活動ぶりを見ることはまずありません。

中日ドランゴンズは今年創立80周年、その記念すべき年に彩を添えて欲しいものです。

芸術家への道

2016-03-22 20:31:41 | 美術


魯山人の芸術ジャングルに共通するたった1つの信念、たった1つの態度、「芸術家への道」として、未来の美術を
担う青年たちに向けてこう書いています。
「美術面に於いて、現存者から師を仰ぐことはなかなか難しい。
先輩にあってもその人が、何等かに偏し、且つその道の一つに囚われているからである。
これらの1人2人を師と仰ぎ、ひたすら教えを乞うとせば、必ず後日悔いを遺さねばならない。

例えば、画青年が梅原龍三郎、安井曽太郎を選ぶとせよ、また、小林古径、安田靱彦に師事したとせよ、何れを
選んだとしても、真の自由は失われ視野は狭まってゆく。
想うところの自由と自然なるものを見捨てねばならない羽目に陥る。
これで悔いを遺さぬ者ありとせば、それは元々禄でもない徒輩(あだやから)である。

私は敢えて美術青年に警告してみたい。
君らが師と仰ぎ師事せんとするならば、少なくても200年、300年の昔の美術に注目せよ。
500年、千年、2千年、否もっともっと先の年代に成る幾多の作品に目を移して視よ。
そしてその年代の人間は、天地を貫く自然の美妙を如何に観たか。
そして如何に道理に背くことなく、素直に美しいものを造り遺していったかに注目せよ。

無理やりに生き続けている今時の先生などに眼をくれて、あれこれ調法しようとか、金をかけるなどは、自分の
生き方に眼が覚めていないこととなる。
作陶に例をとってみるならば、無釉時代の技能と精神とに注目すべきである。
更に500年、千年、2千年、否もっともっと上がったところに注意するがよい。
注目すべき画の世界にも、彫刻、工芸の世界にも数々遺されている。

遠い昔の人間は今の人間から見ると、はるかに純情であったようだ。
恰も幼児のようにである。

日出づれば起きて働き、日没すれば安臥するという、いとも自然なる生活である。
自然美に富んだ作品が生まれ出づるのは当然の帰趨である。

私はこの古い昔の人たちの遺した作品を師として仰げというのである。
束縛を受けながらも1人の先生に師事して学ぶ要のあったのは過去のことである。

古美術が遺っている。写真や活字がありとあらゆることを教えてくれる世の中になっている。
1人の師を仰ぐ要はなくなっているのである」
(青年よ師を無数に選べ)「独歩」3,4号 昭和28年7月。

この引用文献詳細メモが残っておらず、上記の内容のみの紹介です。

魯山人のコメントは本格的に勉強している青年が対象で、高齢者の趣味生活の方には該当しないかも知れません。
というのも入門レベルから昔の書物で全て学ぶことは困難だからです。
しかし、師匠にそっくり真似るのでなく、「守破離」の「破離」が大切なことを警告しているのでしょう。