斎藤喜博は『私の教師論』で書いている。〈教師には「驚く」ということをなくしてしまっている人間が多い。どんなに美しいものをみても、どんなにすぐれた実践をみても、どんな一級のものをみても驚いたり、たまげたりしない人間が多い。驚いたりたまげたりしないで、自分のもっている貧しい概念や知識にあてはめたり、それを知識としてだけ得ようとしたり、批評的にみたり、うたがい深く、せんさく的にみたりしているものが多い。それでは教育はいつまでも変わらない。〉
私も同じようなことを感じている。教師は公務員であり身分の保障もされている。給料も決まったように入ってくる。競争もない職場である。また、教師は教えることは得意だが、教わることは大の苦手であるようにも思える。そんなところから、仕事の質を上げる工夫や努力もあまりしないように感じる。せめて、よいものにふれたり、見たりするような努力をし、授業や学校を変えていきたい。
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