梅様の教室

独り言

戦後の国際秩序

2014-01-30 15:57:41 | Weblog
   安倍首相の靖国参拝について、日本共産党までが「戦後の国際秩序に挑戦するものだ。」と激しい口調で非難を繰り広げています。そこで、この「戦後の国際秩序」というものを少し研究してみました。

   そもそも日本は敗戦により、1930年代の水準に逆戻りさせられ、その後も飢え死にする人が出ない程度の貧しい島国として東洋の片隅(アメリカ人の発想としては太平洋の西のかなた)で細々と生きることを期待されていました。とろろがあにはからんや、戦後20年もたたないうちに新幹線は走らせるは東京オリンピックは開催するはで、当初の予定とはまるで違った勢いのある国となってしまったのです。現在は少々経済面で停滞していますが、それでも東京都の規模がだいたいスウエーデンと同じくらい。韓国も似たようなものです。中国がGDPで日本を追い抜いたと言っても、人口が違いますから、1人当たりに換算するといまだに日本の十分の一にしかなりません。正直に言えば、これほどの「戦後の国際秩序に対する挑戦」はなかったと言えるでしょう。

   しかし共産党に限らず、野党の皆さんが国会での質問で言っていることはただ一つ。「あんたが余計なことをするからアジア諸国が怒っちゃったじゃないか!どうしてくれるんだ!」ということです。彼等はアジア諸国が一体何カ国あるのかといいう計算すらできていません。ぐだぐだと文句をつけてくるのは韓国と中国だけです。フィリピンなどは日本がもう少し軍備を強化してくれることが望ましいと言っています。また、彼等には韓国や中国が立腹のポーズを見せることが筋違いかどうかという検証をする意思すらありません。本来なら、「あんたのせいで近所の組織暴力団がまたすごんでるから、なんとかしてくれ!」と言いつつ組織暴力団の側に味方についているという、お下劣ものなのです。

   では本題に入りましょう。「戦後の国際秩序」とはいかなるものなのか。まずは国連というものについてきちんと押さえておかなければなりません。日本人は国連というものがあたかも公明正大な正義の味方であるかのような錯覚をしがちですが、国連という呼称そのものが間違っているのです。国際連合の正式名は、United (連合) Nations(国) です。そうです。これはドイツや日本といった「枢軸国」とは敵対関係にあるものです。

   国連憲章には、「敵国条項」というものがあって、「敵国」とはズバリ日本とドイツを指します。なおかつ、この「敵国」が第二次世界大戦によって出来上がった国際秩序に挑戦するような行為を行った場合には、国連加盟国はこれに対して独自の判断で軍事的攻撃を加えて良いとされているのです。ですから、中国が勝手に都合の良い判断をして、日本に対して軍事攻撃を加えても国連憲章には違反しないことになります。こんな重要な問題を私たちは学校で教わって来ませんでした。国会で鬼の首を取ったように安倍首相を責め立てている野党議員たちも、きっとこんな細かいことまで知ってはいないにちがいありません。

   私たちは本当に必要な正しい知識を少しも教えられて来ませんでした。そして、それらを教えられてこなかった年代の国会議員たちが、自分達の無智に気づかず、私たちを「敵」と位置付けている国々の側に立って息まいているのです。きちんと正しい教育をすることがいかに大切であるかがよくわかりますね

   

旅行記⑰

2014-01-29 14:31:55 | Weblog

  
最後は仙巌庭園。入場料1,000円也。旧島津家の別邸です。しかしどんなに整えられていても、審美眼のない私の眼にはただの庭。これにて2泊3日の、少しも暖かくなかった「あったか南九州」ツアーは終了です。

   鹿児島空港に戻り、一路羽田へ・・・・。という段取りだったのですが、帰国の便は運良く窓側の席に。日本列島の夜景が楽しめるかも・・・と着席すると間もなく、あの夫婦がやって来ました。私の列のところで止まると、並んで座ろうという体勢。どうやら並び席になったようです。ただでさえ幅を取る夫婦。このままでは窓側の壁に押し付けられて息が詰まってしまう・・・。

   「すみません、私は通路側の方がいいんですが、よろしければ席を代わっていただきませんか?」

   当然の快諾。御主人は優しく、「K子行きなさい。」と奥さんに窓側の席を譲ってあげます。食事の時といい、この御主人は万字が万事奥さまファースト。無理をしているようにも見えませんが、そんなに奥さんを甘やかして良いのでしょうかと思ってしまう私でした。

   真ん中の席に座った御主人、横幅があるので、当然太い腕が横にはみ出して、私の領域を大きく侵して来ます。とっさに通路側をゲットした私の判断がなければ、本当に厳しい空の旅となったに違いありません。少なくとも左側が通路である以上、左に逃げることができます。おそらく100回近く乗っているはずの飛行機の旅ですが、今回ほどとっさの判断力が試されたことはありませんでした。

   やがて飲み物のサービス開始。私は無料のコーヒーをお願いしましたが、隣席の御主人は有料のハイボールを注文。ちびちびと飲み始めると、奥さんも飲みたがり、御主人は優しくコップに注いであげたのですが・・・。しばらくすると突然「すみません。」と御主人の声。アルコールが入ったのでトイレに行くのかと思ったらさにあらず、二人揃って空席へ移動し始めました。

   最初からそうしてくれれば良かったのに・・・と思いつつ見ていると、二人は空席に並んで座らず、相前後して別の列に陣取っています。なぜだ?二人並んで座るのがそんなに苦痛なのか?と更に観察を極めると、どうやら奥さんの方が体調を崩したらしく、ぐったりと座り込んでいます。優しい御主人は奥さんのためにCAを呼んで何やら話をしています。奥さん、顔が真っ赤で、どうやら軽度の中毒症状を起こしている様子。機内で販売しているハイボールの濃さなどたかが知れています。まして御主人が大半を飲んでしまったはず。たかが知れた量で中毒症状を起こすなんて、どこまでアルコール耐性がない人なのか。いや、それ以前にその年になるまで自分が極端にアルコールに弱いということをどうして認識していなかったのか。

   奥さん、CAが持って来てくれた濡れタオルを首に当て、いかにも苦しそうな様子。そんな奥さんを心配そうに見守り、せっせと脂汗を拭いてやっている御主人。CAも何度もやって来て優しい言葉をかけては面倒を見てくれています。 「あと・・・分で着陸ですから頑張ってください。」などと声をかけているのが聞こえて来ます。

   この二人は私がこれまでの人生で出会った、最もラブラブで幸せそうな夫婦でした。世の中にはこれほどまでに人からの親切を受けるために存在している人がいるのだと思うと、とても不思議な気持ちになりました。

旅行記⑯

2014-01-28 14:29:19 | Weblog


続いて知覧特攻平和記念館。しかし鹿屋航空基地資料館と違い、館内撮影禁止。そんなわけで本日の写真は開聞岳を別の角度から眺めたものを載せてみました。一つは南国風景っぽい開聞岳、そして菜の花畑を前景にしたものが最もポピュラーと思われる開聞岳です。それにしてほとんどような展示物であるにも関わらず、一方は撮影可、一方は撮影禁止というのは解せません。

   記念館の展示はやはりインパクト不足の感が強いものでした。恐らくは予算の関係でこの程度のものに収めてあるのでしょうが、特攻隊の悲劇を本気で訴えたいなら、多少のこけおどしは必要です。せめて建物の大きさだけでももっと壮大なものでなければなりません。内部の展示も、ちまちまし過ぎです。また、今時もっと視覚に訴えた手法を取ることも必要ではないでしょうか。特攻隊員の最後を隊員の視覚から見た画像で表すことも可能です。まだ女の子と手をつないだことすらないような若者が、地元の女学校の生徒達の見送りを受けながら飛び立ち、そのほとんどが敵艦の銃砲の餌食となってむざむざと海の藻屑と消えて行った姿を、ピンボケの古い記録映画で見せるのも結構なのですが、目標を目の前にしながら木の葉のように錐もみ状態になりつつ海中に突っ込んでいく姿を、その視線から見学者に見せていただきたい。 しつこくしつこく。そしてごくまれに敵艦に突っ込んで行き、愛機ごと爆発して果てる姿を。更には地上にあって、敵艦突入を知らせるモールス信号を受けている場面と、そのモールス信号がすーっと途絶えて行く有様を、戦争を知らない人々に見せていただきたい。

   館内にはいくつもの千羽鶴が飾られていました。残念ながらそのほとんどが地元か九州一帯の小中学校の生徒の手によるものです。私たちが押しつけがましく広島や長崎あるいは沖縄に生徒達を引率して行き、そこに奉納させた千羽鶴と、ここに飾られている千羽鶴との間には、意識において大きな隔たりがあります。広島や長崎、沖縄へ生徒達を「行かせた」修学旅行においては、その災禍はあくまでも左翼的な論理の上に立ったものです。特攻記念会館においてはそのような論理は通用しません。なぜならここでは、愚かな政治家たちによって若い命を散らされた若者たち・・・などという偽りのきれいごとは通用しないからです。そうした論理の下では、彼等はすべて犬死したものだとひとくくりに葬り去られてしまいます。

   学校の先生方は、あえて特攻隊からは目をそむけ、これについて多くを語ろうとはしません。なぜなら原爆や沖縄を語る時のようなすっきりと割り切った情緒を持つことが不可能だからです。彼らが原爆や沖縄を語る時、「無差別大量殺りく兵器」原爆を落としたアメリカを非難することも無く、沖縄住民が身を潜めている墓や洞窟に向かって火炎放射機を向け、ゴミでも焼き払うかのように同胞を扱った連中のことを語ろうとはしません。そんな中で、某日大◎高と書かれた千羽鶴を見つけた時、私は胸がすっとする思いがしました。ここに特攻隊に目を向けてくれた学校がある!東京にもそんな学校がある!そんな先生方がいらっしゃる!

   残念ながら都立高校の修学旅行がこの地を対象とすることは未来永劫ないでしょう。また、全国の公立学校も、修学旅行のコースにこの地を組み入れることはないでしょう。入学式や卒業式に日の丸を掲げることに反対し続けている連中が、日の丸をつけて敵艦に突入し、花の命を散らしていった若者たちについて正しく語ることなどあり得ないからです。

   韓国や中国の学校において偏向した反日教育が行われていることは皆さんもご承知の通りです。しかし実は日本の公立学校においては、中国や韓国が反日の姿勢を強めるよりはるか以前から、強力な反日教育が行われて来たことを知っていただきたいと思います。もしあなたが安倍首相による靖国神社参拝を、してはならないことをしたと感じているなら、反日教育はあなたに対して所定の成果を挙げているものと言えるのです

旅行記⑮

2014-01-27 15:36:21 | Weblog


   昼食会場は特攻平和会館の近く。しかしここで問題発生。皆さん事前に真面目に考えていないので、少しでもツアー料金を安く上げようと、オプションをケチっています。ここまで来て特攻平和会館(500円)を見学しない奴がどこにいる!それでも日本人か?と私は思うのですが、実際いるのです。そういう人も。また同時に知覧武家屋敷見学(500円)も申し込んでいなかった人多数。どうせ大したことないだろ?と思っていたに違いありません。加えて昼食を事前申し込みの人と申し込んでいない人があり、ここで添乗員さんは大混乱状態を整理しなければならなくなってしまいました。

   しかしそこは熟練の技、添乗員さんは、事前申し込み者に挙手をさせ、申し込んでいなかった人の不安をあおります。結局全員がその場で申し込むこととなり、一件落着。しかしこの時間がもったいない!これだからおばさんは困るんだ!と、偏見の塊と化す私。とりあえず、昼食を事前に申し込まず、自由に適当に済ませるという方々を置いて、バスは小移動。知覧武家屋敷へと向かいます。

   知覧武家屋敷街といった方がより近いと思われますが、江戸時代からの武家の屋敷が立ち並ぶ一角がきれいに保存されています。その中のいくつかは見学可となっており、地図上に番号が振ってあります。ただし6番の家に行くと、その家の奥様が大変な説明好きで、簡単には帰してくれないので、沢山見学したい人はその点御注意をという話。もちろんすべての家が見学可というわけではなく、立ち入って欲しくないという家の門の前にはお断りの立て看板が立てられています。

   見学可の屋敷といえども、現在まだ主は居住中で、普通に生活を送っています。見学できるのは門から入って最初の部屋と庭まで。在住の皆さんはというと、昼間は奥の部屋に引っ込んでいて、5時を過ぎると平常の生活に戻るのだそうです。見学を拒否しておられる皆さんのお気持ちも当然だと感じました。残念なのは、こうした屋敷の内何軒もが「営業活動」を開始していること。表にはカフェの看板だとかレストランの看板だとかが掲げられています。これ見よがしに土産物屋を営業している家がないのはさすがに武家の自尊心に関わるという気持でしょうか。願わくば福島県は大内宿のように、一帯の古民家すべてが店を営業しているという、風情台無しの観光地にならないことを祈って、バスに戻りました。

   私たちのグループは再びバスで小移動、レストランに戻って昼食となりました。今回はあの夫婦とは離れ、ひたすら食事に没頭することができました。食べ終わった人から順に各自周辺の見学に回ります。3分ほど歩くと特攻平和会館、その横には正式名称は忘れましたが民族資料館的なものがあります。


旅行記⑭

2014-01-25 14:28:49 | Weblog


    開聞岳・・・一般には知名度が低く、あえて取り上げるほどの山ではないのですが、私には西都原古墳群とならんで幼少から脳裏に深く刻み込まれた山です。この山は形の良さもさることながら、一面の菜の花畑を前景として撮影された写真が多いのですが、実はほとんど島と言って差し支えありません。写真を見ると本来は海底から噴出した火山であることが良く分かります。

   そして本日次の目的地は「釜蓋神社」。正式名を射楯兵主神社といい、この神社にある釜の蓋を頭に載せて落とさずに参拝できると戦争に行っても無事に帰れるという言い伝えがあり、戦時には出征前にこの神社にお参りしてから戦地に向かった兵士が沢山いたという話です。実にささやかな神社で、鳥居から本殿までは10メートル少々しかないと思われますが、本殿前の石段を頭に釜の蓋を載せたまま手を使わず登りきるのはそれなりに神経を使います。中には途中で落として割ってしまう人もいました。

   バスへと戻る道で、突然男子用トイレに例の奥さんが突入してきました。女子用トイレがあるのに、と思っていると、女子用は汚れているのだとか。男子用トイレに堂々と入れる資格を持つにはあと10年ほどたたなければならない年齢と思われますが、背に腹は代えられず?個室へ入ります。その間、彼女のやさしいだんな様は個室の前に立ち、しっかりと「不審者」から奥さんを守っていました。本当はあと100mも戻らないうちに、清潔で真新しい公衆トイレがあり、ここへ来るまでにその横を通過して来たのではありますが・・・。添乗員さんも首を傾げていました。

   そのきれいな方の公衆トイレの前には、大きく「車両進入禁止」という看板が目につくところに掲げられています。そこへやって来た、大型バイクのツーリング軍団、先頭車両がその場で停車すると後続車両もそれに合わせて停車します。が、先頭車両がまた発車、神社に向かうと、後続車両も迷わず全車発車して神社に向かってしまいました。神社に入る時は、昔なら馬を下りて参拝するのが習わし。鉄の馬も例外ではありません。添乗員さんと私は二人しておおいに呆れてしまったのでした。帰りに罰が当たって事故らないことを祈るのみです。

   ところでバスガイドさんは御当地娘なので、現地の細かい情報を良く知っています。彼女は実の父母と会話をするには、母親の通訳を経て初めて意志が通じるくらい、方言がきつかったそうです。また、狭い地域であるにも関わらず、更にいくつもの方言に分かれていたともいいます。台湾には大きく分けても10以上の少数民族がいますが、恐らくこの地方もかつて南方から渡って来たさまざまな少数民族がごとに分かれて住んでおり、近代までその民族ごとの言語の影響が強く残っていたものと思われます

旅行記⑬

2014-01-24 16:07:26 | Weblog


   次は長崎鼻。薩摩半島最南端の岬です。溶岩流が海の中に流れ落ちて固まったのだということがありありと見て取れる地形です。頑張ってこの岬の尖端まで行くと、潮だまりの中に熱帯魚が泳いでいるのが見られるということを、戻って来てから看板を見て知りました。しかし熱帯魚を見るためにもう一度尖端まで行くのも面倒なので、そうなのかと納得して終わりにしました。岬の付け根のところには掘立小屋に毛の生えたような土産物屋があり、人懐こい夫婦が暇そうに営業していました。特に商売っ気も無く、話しかけてきます。

   「お客さん、どっから来られた?」
   「埼玉です。」
   「埼玉ってどんなものがあるんですか?」
   「埼玉は・・なんにも無いなあ・・・。」
   「でも芋があったでしょう。」
   「ああ、川越芋がありますけど・・・。」

などとたわいないやりとりの末、何も買わずに退散。まあ、のんびりとしたというか、あわてず騒がずという、あまり商売っ気のない場所ではありました。「駐車料金を払わなかった人は演歌を二曲歌ってもらいます。」という掲示があったのはこの場所です。同じ駐車場には、「男性のたちション禁止」という良く分からない掲示もありました。

   ⑬はあっさりとこんなところで終わります。花金につきお読みになる方も少ないので手抜き。
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旅行記⑫

2014-01-23 18:11:27 | Weblog


   三日目の朝食、私は再びあの夫婦と隣合うことになりました。気にすまいと思えどもなんとも気になるお二人の様子。すぐ隣なのですべてが筒抜けです。前日の夕食と同じく、奥さんは偏食を連発します。焼き魚、肉みそ、大根おろし、海苔・・・朝食のおかずからこれらを抜いてしまったら何が残るというのでしょう。なおかつ、奥さんが食べないからと言って拒否した物を御主人がすべて食べてあげるという必要もないはず。しかし御主人は奥さんが残したものを余すところなくきっちりと食べてあげています。

それにしても仲良く壮大に太ったこの夫婦、一体どういう関係なのでしょう。いや、夫婦に決まっていますが、御主人は食事に限らず、奥さんの言うことを何から何まで、すべてやさしく聞き入れてあげます。その様子を見ていて私は二つの可能性を推理してしまいました。
  ①和風のおかずをすべて残すところと太り方を見ると、この奥さんはロシア人である。しかしロシア人にしては日本語の発音が完璧過ぎます。
  ②余命三カ月の花嫁・・・本人の望みをすべてかなえてあげて、思い残すことなくいくばくもない人生を楽しんでもらいたい・・・・。会話の内容や行動からみると、そんな風にもとても思えない。
   奥さんは自分の我儘をこらえることなく、とても自然に態度に出します。御主人はそれをごく自然に受け入れていて、そこには我慢とか忍耐といった気持は全く見られないのです。私にはなんとも理解不能な夫婦なのでした。しかし二人はとっても幸せそうだったので、他人がとやかく言う筋合いはないということになるのでしょう・・・。

   本日最初の訪問地は日本本土最南端の駅という「西大山駅」。周囲は畑ばかりの完全な無人駅です。しかし何もなかった嘉例川駅とは違ってこちらには一軒だけですが、土産物屋がありました。中は農産物が中心で、いわゆる観光名所の土産物屋とは趣を異にしていますが、それでもこちらは多分商売にはなっているのでしょう。ただし駅そのものは嘉例川駅とは違い、駅舎すらありません。その代わり、周囲の景色が360度見渡せるという風光明美なホームとなります。

   無人駅なので、皆さん当然のごとくホームに上がり、最南端の駅であることを表示する標識の前で記念撮影をしています。しかし私はその時、なんともいえない違和感を感じていました。ここからはあの薩摩富士こと、開聞岳が程良い距離でくっきりと見えるのです。しかし皆さんはこちらには何の関心もないようで、ひたすら駅にばかりご執心のようでした。

   何を隠そうこの私、国内でまだ行っていなかった土地のうち、最も行きたかった場所がこの開聞岳と、宮崎県にある西都原古墳群なのです。どちらも関心のない人にとってはどうということのない場所です。開聞岳は桜島と比べたらスケールが落ちますし、西都原古墳群より千葉県にある古墳群の方がおそらく大規模なはずです。しかし、その昔、小学校の教科書に乗っていた西都原古墳群に対する憧憬の気持は今も変わらず私の胸を揺さぶります。実は西都原古墳群に行く大変お得な一泊二日のツアーがあったので申し込もうと思ったのですが、よくよく見ると何と「広島発」とあるではありませんか。少しだけがっかりしてしまいました。

   それはともかくとして、開聞岳は桜島と違って、頂上まで登ることができます。標高900メートル少々。筑波山よりは高めです。しかし次回はフリーで来て、この山の頂上を極めたいと思っています。独立峰なので、きっと素晴らしい眺望が楽しめるはずです。生きている内の二大願望・・・本当にささやかな願望なので、絶対にかなえたいと思っています

旅行記⑪

2014-01-22 14:31:51 | Weblog


   とりあえずホテルの窓から見た漁船の風景。

   設備に比例して食事もこちらのホテルの方が格段に上。さすがに2泊とも昨夜の様なホテルでは次回よりの参加者が見込めますまい。一泊は上々のホテルでという業者側の戦略なのでしょう。

   ところで、毎回の旅行記につきものの人間観察記録が今回は欠けていたことにお気づきの方もいらっしゃるかとおもいます。今回はとにかく皆さんとても良識ある方々ばかりで、私が眉をひそめたりするようなことが起きなかったのです。こうなると楽しいはずの旅行も興味半減・・・いや、普通の人が嫌がるような出来事が起きることを楽しみにしている変態な私なのです。

   夕食時間となり、会食の場となる宴会場へと足を運ぶとまだ誰も到着してはいません。それもそのはず、皆さんは指宿名物「砂風呂」へと出かけていたのです。砂風呂とは読んで字の如く、砂を掘った中に寝そべり、上から砂をかけてもらうと、地熱により15分ほどで耐えられなくなるほど体が温まるという代物です。面倒くさがりの私は歩いて10分ほどかかるという砂風呂はパスして、ゆっくりと休憩の後、宴会場へ赴いたというわけなのです。
   
   やがて三々五々皆さんが集まり出し、私の隣の席には、向かい合って一組の夫婦が座りました。三十代半ばと思われる夫婦は二人揃ってなかなかの体格です。とくに奥さんの方は、分かりやすく言えば白人の太り方をした立派な体型をお持ちでした。歩く時も両足の左右の間隔が広く開き、いわゆる「お相撲さん歩き」をしていました。そんな奥さんですからさぞや気持良いくらい沢山食べる人で、食欲旺盛なのだろうと思っていたのですが・・・。

   この奥さん、あれは食べられない、これも食べられない、と、ごく普通の品を受け付けません。旦那さんはそれをやさしく受け止め、彼女が食べられるはずの物を見つくろって、自分のおかずと交換してあげています。しかしどう考えても彼女の食事の仕方では現在の見事な体型を維持できるとは思えません。食事時間以外にこの体型を維持するための「努力」を密かにしているものと思われました。太り過ぎに偏食・・・この人は40代で成人病にかかるか膝に水が溜まるか・・・。人ごとながら心配になります。

   さて、夕食時にはアサヒ・スーパードライの中ジョッキを注文し、そこそこの気分で就寝、翌朝は5:30の開始とともに朝風呂へ一番乗り。脱衣場には冷水器が設置されており、私としては口をすすぎたかったのですが、飲料用の冷水器で口をすすぐのは、と思って控えていると、後から来た男性が盛大に口をすすいでおりました。お湯は昨日とは違って透明。後で聞いたところでは塩分を多く含んでいるので、飲めば塩辛かったはずだとのこと。温度も程よく熱く、気持良く入浴できました。

   湯上りには、浴室の外にスタッフが待機しており、お茶と小梅のサービスが。昨日のホテルとは打って変わったサービスの良さです。部屋に戻ればドアノブに、ビニール袋に入れられた今朝の朝刊が掛けられており、気配りの細かいホテルでした。これで夜間に室温がもう少し上げられれば満点だったのですが、高めに設定しても駄目だったので、恐らくは部屋の大きさに対してエアコンの能力が不足していたものと思われます。
   

旅行記⑩

2014-01-21 14:42:10 | Weblog


   鹿屋航空基地資料館の周りは海上自衛隊の基地となっています。二式大艇の他にもヘリコプターや単発プロペラの練習機などが屋外に展示してあります。見学可能な自衛隊基地には必ず一般客が購入できる売店が併設されているのですが、本日はスケジュールの関係で時間がとれず、大半残念がっている人もいました。何しろ解説員の方には話したいことが山ほどあるので、見学時間は押して押して押しまくってしまったのです。別れ際に確認すると、特攻隊員の中には朝鮮人も混じっていたのですが、住所を移し、内地の人間として特攻に向かったとのことです。また、最初に見せる案内ビデオの言語が北京語、広東語、日本語と三種類あるにも関わらずハングルが含まれていないことをやんわりと追及すると、台湾と香港からの観光客が(は?)立ち寄ってくれるのでその人たちのために用意してあるのだということでした。

   資料館を離れてしばらく行くと昼食タイム。記念撮影用に作られた築山の上に並び、桜島をバックに記念撮影。私は見本写真も見ずに次の人に回してしまったので、どんなふうに写っているのかすら知りません。そしてこの築山が敷設してある土産物屋兼食堂で昼食。薩摩御膳という定食を食べたはずなのですが、どんなものだったか記憶が定かではありません。ただ御当地の食事には必ず豚肉とさつま揚げがついているのが印象的でした。熊本では馬を食べさせますが、鹿児島まで来ると豚。沖縄に通じるものを感じました。

   更にフェリーに乗って錦江湾クルーズ。錦江湾とは鹿児島湾の美称ですね。桜島が徐々に遠ざかっていくのですが、この方角からは湧きあがる真っ白い水蒸気もほとんど見えません。噴火口の反対側になってしまっています。しかし海は驚くほどきれいです。フェリーの航跡を見てもそのきれいさはありありと分かると思います。

   フェリーを降りると、「かるかん」とさつま揚げ工場の見学です。かるかんとはヤマトイモをすって練りこんだ皮で包んだ饅頭のことですが、軽いので持ち帰るお土産には最適かもしれません。一方さつま揚げ工場の方は本日稼働しておらず、止まっている機械の前を素通りしながら通り一遍の説明をおざなりにしてくれただけでした。

   本日最後の日程は屋久杉工房、つまり屋久杉を使った工芸品や家具の製造販売所です。屋久杉は伐採を禁じられているので、倒木が原材料となるそうです。材料が不足するせいか、工芸品としては大した芸術性が感じられない物でも、二百数十万円の値が付いていました。土産物の目玉になるのは焼酎を入れるミニ・酒樽です。これに一晩入れたという焼酎と、入れていない焼酎を飲み比べさせてくれるのですが、確かに味がまろやかで高級になります。しかし一リットル用が6万円。一割くらいはまけてくれるようですが、ちょっと手を出す気がしません。店員は一生物(いっしょうもの)ですから、と言うのですが、私の一生が後何年あるかわからないので、パス。本日も買い物なしで無事終了となりました。

   そして本日の宿へと向かいます。途中バスは乗客の全てが絶対不可能と思った狭い道での左折を見事にこなし、ホテルへ到着。部屋へ案内された後、夕日がいい具合に傾くのを待って窓の下の海を撮影してみました。グアムで撮ったと言っても信じてもらえそうな風情です。部屋そのものは昨日のホテルとは段違いで、冷蔵庫の中身もコンピュータ管理、テレビはBSも入ります。こちらはあるべきものが普通に備わっています。ただし暖房は移設の後も生々しかった昨日のホテルの方が良く効いており、こちらのホテルは夜中になると肌寒く感じられたのが難点でした。

旅行記⑨

2014-01-20 16:14:14 | Weblog


   本日の旅程のメインは海上自衛隊鹿屋航空基地史料館。私が今回のツアーに参加した目的は3つ。その内の一つがこの資料館です。そもそもは旧海軍の航空基地でしたが。現在は海上自衛隊が使用しています。今日はこの資料館のHPからそのまま転載させていただきます。読むのが面倒だと思ったら飛行艇の話の次まで飛ばしてください。

特攻基地と言えば鹿児島知覧が有名で旧日本陸軍の航空基地でありますが、鹿屋市は旧日本海軍航空基地があり、太平洋戦争(第二次世界大戦)のとき特攻作戦の基地として使用され、多くの尊い命が飛び立って行きました。鹿屋航空基地から908名と串良航空基地から363名が飛び立って再び帰ることができなかったそうです。

特攻基地の鹿屋航空基地跡には現在海上自衛隊鹿屋航空基地が置かれ、東シナ海・日本海・太平洋海域等の防衛警備や災害派遣、医師のいない離島等への急患輸送等行っております。この海上自衛隊鹿屋航空基地正門横に海上自衛隊鹿屋航空基地史料館があり、基地の外にありますので気軽に行けます(料金も無料です)。1階には海上自衛隊の歴史等の展示、2階には特別攻撃隊関連の資料展示があり戦争を知らない世代の私たちにはいろいろと考えさせられます。個人的には公共交通機関や地理的な不便はありますが、時間をかけても一度は来てほしいところです。

海上自衛隊鹿屋航空基地史料館(鹿児島県鹿屋市)

鹿屋航空基地史料館は全国的に知られていないと思いますが。特攻隊の資料、海上自衛隊の歴史資料等があり、特攻隊の資料展示は胸詰まる貴重な体験ができる施設と思います。是非一度は訪れていただきたいです。

史料館に行くとまず目に入るのが二式大型飛行艇12型。昭和15年当時世界一高性能の大型飛行艇だったそうです。米国国内に保管されていた、世界に一機しかない当時の技術を駆使して作られた飛行機を、船の科学館の故笹川良一初代館長が資金援助と受け入れをおこない、その後海上自衛隊第1航空群が引き渡しを受け現在の場所へ展示されています。

   ところで世界に一機しかないはずのこの二式大艇、私は何度も他の場所で見た記憶があります。子ども連れで至近距離で見たこともあれば、首都高湾岸道路をマイカーで走りながら車窓越しに見たり・・・。実はかつては江東区夢の島にある船の科学館の庭に展示してあったのでした。現在は鹿児島まではるばる行かないと目にできなくなってしまいました。

  観覧後まず感じたのは、日本人の宣伝下手です。本当に伝えたいことがあるのなら、資料館もそれにふさわしいものでなければなりません。一つには資料館自体が小さすぎます。韓国ソウルの戦争資料館などは庭の一角に(隅っこに)世界最大の戦略爆撃機B52が展示されているほか、戦車に潜水艦まで屋外に展示されています。建物も極めて壮大ですし、内部も空間を実にゆったりと使っています。朝鮮半島の半分しかない小国のくせに見栄っ張りと言えばそれまでですが、宣伝効果を考えればそれくらいやって当たり前でしょう。この資料館で一番広い展示室も、ゼロ戦一機でいっぱいいっぱいになってしまいます。

   更に、あまり軍事色を強調したくないという気持は分かりますが、説明してくれる退役自衛官があまりにもおとなしすぎます。きちんと歴史と現実を伝えたいのであれば、それなりに雄弁で説得力のある話術の持ち主を任命すべきなのです。自衛隊関係の資料館はどこへ行ってもこの調子です。もっと話したいことが沢山あることが言葉の端々からうかがえるのに、ぐっと我慢をさせられている感があります。

   入館するとまずは解説に当たる退職自衛官が登場して、映写室へと私たちをいざないます。しかしわざわざ上映してくれたのは予想に反して、資料館の展示内容の解説ビデオのみ。館内には別に特攻シーンの記録フィルムを上映するコーナー(部屋ではない!)があるのですが、正味は5分程度しかありません。他には特攻隊員の遺書なども展示されていますが、全体の構成がインパクトに欠けます。また、日露戦争関係の展示があったりして、どうにも統一感がありません。この際ここは海軍と海上自衛隊関係の展示と解説並びにPRに徹し、特攻関係の資料はすべて知覧の特攻平和会館にまとめる方が良いと思います。

旅行記⑧

2014-01-19 14:07:16 | Weblog
   ここまで来て温泉に入らないのも馬鹿げています。早朝の開湯と同時に浴室へ。浴室もなかなか鄙(ひな)びています。湯の中には無数に薄黄色いフレーク状の物がふわふわと漂っています。但し書きによればこれはいわゆる「湯の花」というものです。温泉は土地により様々です。無色透明のものもあればこのように湯の花が沢山混じっているもの、ある時には湯につけた新品のタオルが抹茶色に変色してしまうほど鉄分の濃い温泉もありました。温度も火傷しそうに熱い物からぬるめのものまで。この温泉はややぬるめです。かなり浸かっていないと湯冷めしそうです。

   湯あがりにデジタル体重計があったので、試みに乗ってみると、69キログラムしかありません。朝一番とはいえ、これは私としては軽すぎます。去年の秋の初めから始まった減少傾向が止まりません。ここまで月平均1.5キログラムのペースで減少しています。このペースで減り続けると、4年もたたないうちに体重は零になる勘定ですが・・。

   今日は遅めの出発、途中道の駅にはギネス記録を狙った長さ60メートルの足湯が。しかし私は足湯よりも、そこから見た桜島の眺望の方に惹かれて、はるか先まで行ってしまい、バス集合に遅れそうになりました。幸か不幸かぎりぎりになって買い物を始めた二人のご婦人が遅れたので、私は目立たずに済みました。写真はこの道の駅から見た桜島の遠望です。今日は途中で黒い噴煙も上がり、ガイドさんによればあれは小噴火だという話でしたが、小噴火くらいでは話題にもならないようです。私たちが滞在中は真っ白い水蒸気ばかりが上がっていました。

   桜島、かつて一時は頂上まで登ることができ、桜島を登る駅伝まであったそうですが、ここ数年間は年間800回以上の噴火を繰り返しているので、4合目付近まで登ることしか許可されていません。元々九州は二つの島から出来ていたのですが、真ん中に阿蘇山が噴出したために、一つの島になったのだそうです。雲仙普賢岳といい、九州地方の噴火は絶えることがありません。

   

   道中、垂水市という所を通過していると、ガイドさんのテンションが一段と高くなりました。この人は垂水高校の卒業生だそうで、いつも垂水に高校なんてあったのかと言われると嘆いていました。街道沿いに家が立ち並んではいますが、かなりのスカスカ状態で、これで市を名乗って大丈夫なのかと思われるくらいです。彼女の子ども時代の夢は、ズバリ「クラス替え」だったといいます。隣のクラスにかっこいい男の子がいる!なんて夢のまた夢、現在では小学校は複式学級(2学年が一つの教室で授業を受ける)状態になっているほか、廃校になったところもあるそうです。バスが自分の出身小学校前を通過すると、ガイドさんはますますハイテンションになりました。

   バスの右手には鹿屋体育大学の立派な建物が見えます。こんな過疎の地に国立大学を立てたのは、過疎対策の意味もあったのでしょうか。窓越しにキャンパスを眺めながら私は、こちらの大学を苦学して卒業した、とある新人教師のことを思い出し、OSKにメール。「今度会う時○○さんにも声をかけておいて下さい。」

   ところで、桜島の麓にある東桜島小学校には、科学不信の碑と呼ばれる石碑が立っていると本日の新聞にあります。地元の人たちが桜島の変異を感じ取っていたにも関わらず当時の測候所が桜島は噴火しないと説明していたために住民が大きな被害をこうむったからです。石碑には「住民は理論に信頼せず」という言葉も刻まれているそうです。現在は高密度の観測網が敷かれているので大丈夫という建前であるようですが、本当に大丈夫なのでしょうかねえ。私は基本的に学者とか専門家を信用していないので・・・・。彼らの目標はあくまでいい論文を書いて国際的な科学誌に掲載されることなのですから。

   もうひとつの心配は、桜島が前回の大噴火からそろそろ100年目に当たり、再び大噴火があってもおかしくないということなのですが、もし噴火があったとして、前回の噴火とは逆に薩摩半島の方向に溶岩流が流れ、前回大隅半島と桜島が陸続きになってしまったような現象が反対方向でも起こると、鹿児島湾は完全な湖と化してしまいます。鹿児島湾では大規模な養殖漁業が行われているので、現地の産業に対する打撃は大変なものになるでしょう。

また、日本に運んで来た原油は一度当地にある原油基地(直径が200メートル近くもある原油タンクが沢山ならんでいます。)に備蓄されてから全国に配送されるそうなので、鹿児島湾が溶岩流で閉鎖されてしまい、ここにタンカーが入れなくなるとしたら、日本の産業全体が一時的にせよ壊滅的な打撃を受けることでしょう。しかし火山学者たちは誰一人としてそんな懸念を発表してはいません。つまり専門家なんて本当は何の役にも立ってはいないのです

旅行記⑦

2014-01-18 14:08:38 | Weblog


     霧島神宮を拝観して初日のスケジュールは無事終了。バスは3つのホテル分宿に向けて客を配送します。最初のホテルから最後のホテルまではバスで30分ほどかかりましたから、7,8キロは離れているのだと思います。明日は逆にバスは回って来るので、私の出発は8:40。少しゆっくりできそうです。私の部屋の窓からは白く立ち昇る湯気と、もうすぐ西の空に沈もうとしている太陽と、徐々にシルエットと化して行く桜島の姿が見えます。

   ホテルの部屋に入るとすぐ可愛い女の子が巡回してきて、非常口の確認等をしていきます。まだ全く商売ずれしていない、高校生くらいの女の子です。あるいはアルバイトかもしれません。女の子が帰った後、結構きめ細かいサービスをするのだな、と思いながら、部屋の設備の点検にかかると・・・・。
 
   冷蔵庫は全くの空です。冷蔵庫のドアには仰々しく但し書きがしてありますが、私の推測では中身の盗難が多くてこのようになってしまったのではないかと思います。韓国人の団体でも泊めたのでしょうか。対馬では韓国人の客が灰皿からテレビまですべて持ち去ってしまうので、ホテルの部屋の中は完全に空っぽにしてあるそうです。

   加えて、テレビは地デジも無ければ衛星放送もなし。もちろんたいていのホテルにある、「いけない」ビデオチャンネルはありません。あるのは地デジを地上波に変換したものだけ。台湾のホテルなどは何十チャンネルもあるというのに、この潔さは何なんでしょう。もっとも台湾の場合、道教のお坊さんがアップで登場して延々とお説教をしてくれるだけのチャンネルがひどく多いのではありますが。

   ラジオには「故障していて使えません。」という張り紙。ベッドサイドのランプは和紙を張ったシェードがかぶされていますが、何故か原因不明の染みだらけ。エアコンはさすがにありますが、一度付け替えたらしく、元のエアコンが取り付けられてあったねじ穴がきっちり4個、埋められないまま残っている上、本体の後がくっきりと白く残っているので、元は真っ白い壁であったことが分かります。2泊3日、九州まで飛行機に乗ってのツアーで29,800円也ではこれもしかたないのかもしれません。しかし中国の江南まで行っても同じ値段で5泊できるのですが・・・・。まるで明日から廃業してしまいそうなお粗末な設備です。やる気の「や」も感じられません。

   しかし、前述のように、窓からの眺めはなかなかのものがあります。夕暮れとともに徐々に黒いシルエットと化して行く桜島はやはり壮観です。ところで、案外知られていないのが、桜島は二重式火山の中央火口丘だということです。鹿児島湾は、外輪山の内側の平原に当たるところに海水が入っていることになります。更に南に下ると、海底にも巨大な姶良カルデラというものが隠れています。二重式火山というものはなかなか馬鹿にできません。阿蘇山が陥没する前には関東地方にまで火山灰が降り積もるほどの噴火があり、それだけの内容物が噴出した後の空洞がつぶれてできたのが現在の阿蘇山なのです。姶良カルデラ形成時にはもっと大変なことが起きていたに違いありません。一説には九州地方の縄文人はこうした火山の噴火の被害を受けて消滅してしまったとさえ言われているほどですから。

   設備の超がつくほどの「簡素さ」とは対照的に、夕食時のレストランでは、地元のおばさんやお婆さんと思しき従業員⇒ウエイトレスと言うには年季が入り過ぎているうえ、作務衣ルック、が大変至れりつくせりのサービスをしてくれます。とびきりの笑顔で、事務的ではない心のこもった対応をしてくれるので、部屋のお粗末さもこれでとりあえず帳消しと言うところです。少なくとも廃業予定ではなさそうです。

  冷蔵庫の中身がない代わりに、私の部屋の真ん前が自動販売機という幸運に恵まれ、私は久しぶりにアサヒ・スーパードライを購入して堪能、眠りにつきました。温泉なのに、入浴することなどすっかり忘れて・・・・。それにしても、足裏マッサージはいかが?とか、エステもあるでよ! いや、もっと面白いところ案内するよ! といった、海外旅行に付きもののうるさい勧誘がないのは国内旅行の良いところですね。

  たった一日分の旅行記で⑦まで書いてしまいました・・・・。

旅行記⑥

2014-01-17 16:02:37 | Weblog


   初日はとにかくバスに乗る・・・ちょっと走る・・・・降りる・・・の繰り返しで、せわしないことこの上なしでした。次に向かったのは「塩浸温泉」。坂本龍馬が西郷隆盛のアドバイスで療養を兼ねて妻お滝とともに訪れたのがこの温泉で、これが日本史上初の新婚旅行であったと言われています。それにしてもはるばるここまで歩いてやって来たのでしょうから、昔の人の体力は半端ではありません。

   歩くと言えば、戦後間もなくインドが敗戦の傷跡いまだ癒えぬ日本に象を寄贈してくれたことがありました。この象、東京港に到着後クレーンで吊り下ろされた後、昭和通りを歩いて、秋葉原の現在のヨドバシカメラ近くを通りながら、上野動物園まで歩いたのでした。いや、江戸時代にはもっと長距離を歩いた象がいました。当時日本の窓口は長崎のみでしたから、そこから陸に上げられた象は、はるばる江戸まで1,200キロの道のりを歩いてやって来たのでした。まあ今回の旅行記とは何の関係も有りませんが。

   この「塩浸温泉」、誠に惜しいことにコンクリート造りとなっており、何の風情もありません。もう少し真面目に観光資源として工夫を凝らせばよいものを、何故にこんないい加減な扱いをしているのか理解に苦しみます。少なくともこうして観光バスが立ち寄るのですから、地域振興のためにも、もっと考えるべきではないでしょうか。谷川の向こう岸に旗などが立っていなければ、誰でも見逃して通り過ぎてしまいそうです。もちろん坂本龍馬が逗留したという記録がなければ、山間のあまりにもささやかな温泉に過ぎませんが。宿泊施設があるわけでもなく、NHKが大河ドラマでも放送しない限りじり貧となって行くことは間違いないと思います。とにかく創意工夫や商売っ気が無さ過ぎます。

   現地での滞在時間は20分とガイドさんから告げられました。衣服の着脱に5分ずつかかるとして、10分間は湯に浸かれるではないか・・とも思ったのですが、さすがに少々冒険かなと思い、断念してしまいました。

   本日最後の訪問先は、霧島神宮。日程表によれば明日立ち寄る場所のはずなのですが、この団体さんは修学旅行以上に集合時間を厳守する皆さんが揃っており、あまりにも順調に行動できたために、予定を繰り上げた模様です。霧島神宮と言えば、日本神話にまつわるお話が伝わる由緒正しい神社のはずなのですが、ご覧の通り、風情というものが全く感じられません。気温がぐっと下がって冷え込んできたこともあり、全くの興ざめとなりました。本来はもっと奥にあったものらしいのですが、噴火の被害をもろに受ける場所に当たるので、この場所まで避難してきたのだそうです。それならそれでもう少しありがたみのある建築に出来たはずなのですが、コンクリート造りとあってはあまりにもこぎれい過ぎて誠に残念でした。

旅行記⑤

2014-01-16 13:27:01 | Weblog

   焼酎工場を出ると、日本で一番古いという無人駅へと向かいます。しかし私は駅舎そのものよりも、その手前にある墓地の方に惹かれるものがあったので、バスを降りるや否や他の皆さんとは反対の方向へと歩きます。じめじめごちゃごちゃという形容がぴったりの葛飾区あたりの墓地と違って、清潔・整理整頓という言葉がぴったりするこのコンパクトな墓地は、お寺の境内にあるのではなく、あくまで墓地単独で存在しています。かつ、この地域の墓地には例外なく屋根がついているのです。

   墓参は日常的な行事で、命日や正月に限定されてはいないとのことですが、多くの墓に立派な花が飾られているのが目を引きました。写真のお墓では、お婆さんがとてもゆっくりとした動作で、今は無きおじいさんのお墓?に静かに詣でる姿が見られました。墓石に水をかけ、お参りを済ませるとお婆さんはシニア・カー(電動の一人用車椅子)に乗り、静かに、ゆっくりと去って行きました。時間の流れがとてもゆったりとしているように感じられた数分間でした。

   後で聞いたことなのですが、この一帯の墓地がすべて屋根付きであるのは、活火山である桜島が噴火する度に大量の火山灰が降り積もるので、火山灰から墓地を守るためなのです。何気なく見過ごしていた路面を見やると、前回の噴火の名残である火山灰が道端にしっかりと残っています。後でバスガイドさんが実物を見せてくれたのですが、降灰があって数日すると、自動的にすべての家のポストに「克灰袋」と印刷された黄色いビニール袋が配達されるのだそうです。それくらい当地では桜島の噴火が日常的な出来事として受け止められているわけです。

   「嘉例川駅」というのが登録無形文化財の駅舎になります。全くの無人駅で、ささやかな駅前広場も超ローカルな駅らしく舗装もされていません。あたりには人家もまばらで、校内にある古い大木ばかりが目を引きます。風情があるといえばあるので、マニアの間では垂涎の駅なのかもしれませんが、私たちがいる間には他に観光客の姿はありませんでした。

旅行記④

2014-01-15 14:00:21 | Weblog


   西郷隆盛の銅像を見学してまたバスに乗り、あっという間に次の見学地、焼酎工場へ到着しました。鹿児島や熊本においては酒と言えば焼酎であり、清酒なんか飲んでいる奴は男じゃない、という気風だと聞いたことがあります。ついでながら当地では社民党はアカ、共産党はもう人間のうちに入らんという話も・・・・。

   工場と言っても、石油精製工場とは訳が違います。大規模なわけではありません。やけに活舌の良い社長さんがまずは工場の案内をしてくれます。ガラス越しに蒸留釜の見える廊下を少しばかり歩き、左側のケースに飾ってある商品の講釈を述べた後、一気に商品の売り場へと導入されます。

   ここでの売り物は焼酎の飲み比べとマッコリの試飲。私はあまり飲むわけにはいかないので、一種類の焼酎にちょこっと口をつけ、大好きなマッコリを一口飲んでみました。スーパーで598円で買えるマッコリは、数種類の添加物の他に小麦粉まで添加してそれらしく見せてありますが、こちらの製品は純粋な発酵製品だとか。確かに飲んでみると舌触りに粉っぽさがなく、実にまろやかです。ただし値段は三倍します。

   韓国名産と言われるマッコリ、実はこの工場にあった河内菌と呼ばれる麹を韓国人青年が持ち帰って広めたものだそうです。しかし本来は放置すれば発酵が進んでしまう性質があり、この工場の製品は冷蔵庫に入れて一カ月の間にアルコール度数が出荷時の7度から10度まで上がり、そこで止まるのだそうです。生ものつき、賞味期限が一カ月、瓶のキャップには短いストローが付いており、中の菌が呼吸できるように立てて保存せよとのことでした。スーパーで売っている物はそんな注意はいりませんから、比べてみればまがい物と言えるのかも知れません。

   こちらのマッコリ、とても魅力的です。しかし今回は購入はあきらめて・・・と思っていたところ、店の出口付近にパンフレットが置いてあるのを発見。インターネットで購入できるとのこと。毎回注文も出来るのですが、面倒な人は1の付く日に定期的に三本ずつ配達できる方式もあるようです。しかしそれでは意地汚い私は飲み過ぎてしまうこと間違いなし。とりあえず帰ったら三本セット割引で8,600円也を注文してみることに。

   もうひとつ社長がいたずらっぽい目をしながら宣伝していたのが、「前立腺の友」というドリンク。度数が1パーセントにしかならないものですが、まあ、そういう効能があるのだそうです。ただし一本が100ミリリットル入りで300円。原料も使用されている菌も同じなので、マッコリの方を飲めば用が足りるのではないかと思いました。マッコリの方の宣伝文句も、「飲んで健康に!」とありますし・・・・。