梅様の教室

独り言

旅行記③

2014-01-14 13:45:44 | Weblog


    ディスプレイがついていて映画が鑑賞できるタイプの機体ではないので、先ほど購入した文庫本を読みながらの飛行。274頁のこの本は30分ほどで読了。やがて飛行機は鹿児島空港へ着陸。38年ぶりの鹿児島空港。規模は台湾の国際空港とだいたい似たようなもの。しかし空港ビル内の店舗などの充実ははるかに勝っています。

   今回のツアー同行者は、なぜか静岡県からの参加者が大変多く、その関係からか添乗員も読売旅行・静岡の女性でした。羽田までの送迎をバスで行ったらしく、帰りも羽田空港の到着ロビーには「あったか南九州みどころ10景と名湯 指宿・霧島温泉3日間」と書かれた紙を持った係員が待ちうけておりました。

   添乗員さんはKTSで同僚だった英語の先生とそっくりさんだったので、親近感抜群。一方今回のバスガイドさんと言えば、お世辞にも小肥りとは言い難い体格の女性、自称「南国の柳沢可奈子←これで合ってますか?、年の頃は25歳から30歳くらい? いや、最近のベッキーと同じ経年劣化による皮膚のたるみと二重あごが見られるので、30くらいか? 南国には似合わない色白でとってもアニメ声、独特の個性の持ち主です。どんなガイドぶりを見せてくれるのかちょっと期待しながら空港駐車場へと向かったのでした。いや、小柄で太めでおしゃべりで元気・・・・。ど真ん中のストライクなのです。

   バスに乗ると、運転手さんがやおら立ち上がり、客席の方を向いて丁寧にお辞儀をし、氏名を名乗って挨拶をしてくれました。長年生きて来ましたが、運転手の姓名をガイドさんが紹介することはあっても、自身が立ちあがりこちらを向いて挨拶してくれたのはこれが初めてでした。

   空港を出ると5分ほどで、大きな西郷さんの銅像へ。鹿児島人としてはやはり郷土の英雄、「西郷どん」の銅像へは、是非ともお参りしてもらいたいというところでしょうか。ただし上野公園にあるあの銅像は、除幕式でその姿を現したとたん、奥さんが烈火のごとく怒ったという、いわくつきの物です。なぜなら西郷隆盛は根っからの写真嫌いで、彼の写真はただの一枚も残っていないのです。弟の容貌を参考に、周囲からの聞き取り調査によって完成した西郷隆盛の「想像」像、実は実物とは相当に異なるもののようです。ということは、どこにあるある西郷隆盛像も、実物とは違うということになります。

   奥さんが要望にもまして不服だったのは、西郷さんが貧相な着流し姿に作られてしまったことだったそうです。「うちの人はこんなみっともなくなか。もっと品のある人ばい。」という趣旨のことを言われていたそうです。

   後でその横を通過することになる小さな小さな藁屋根の家、西郷隆盛はその家で相談の結果、男同士で海に身を投げて心中します。そんなところから西郷隆盛おねえ説という話を聞いたことがあります。この時は心中の相方だけが死亡し、ご本人は地元民に救助されて一命を取り留めたということです。一方奄美へ島流しにされていた時にはちゃっかり現地妻を娶取っていたり、やることはしっかりやっていたという側面もあります。

   ともあれ、西郷隆盛の容貌は、明らかにポリネシア系の特徴を備えています。鹿児島県南部は、狭い地域であるにも関わらず、かつてはいくつもの方言に分かれていたといいます。台湾はあの狭い島の中をたくさんの少数民族が住み分けていますが、鹿児島も大昔は様々な民族が南洋から渡って来て、それぞれに分かれて住みつき、少しずつ違った文化を持ち、それぞれの言語を話していたのではないでしょうか。

   たった2泊3日の旅行。旅行期第三回であるにも関わらず、未だに鹿児島空港を出発してから5分しか経っていません・・・・。私の悪い癖で話が広がってしまいますが、私の書くいていることが、初耳だという方も多くいらっしゃると思いますので、気にせずマイペースで書かせていただきます。あしからず。