梅様の教室

独り言

旅行記⑨

2014-01-20 16:14:14 | Weblog


   本日の旅程のメインは海上自衛隊鹿屋航空基地史料館。私が今回のツアーに参加した目的は3つ。その内の一つがこの資料館です。そもそもは旧海軍の航空基地でしたが。現在は海上自衛隊が使用しています。今日はこの資料館のHPからそのまま転載させていただきます。読むのが面倒だと思ったら飛行艇の話の次まで飛ばしてください。

特攻基地と言えば鹿児島知覧が有名で旧日本陸軍の航空基地でありますが、鹿屋市は旧日本海軍航空基地があり、太平洋戦争(第二次世界大戦)のとき特攻作戦の基地として使用され、多くの尊い命が飛び立って行きました。鹿屋航空基地から908名と串良航空基地から363名が飛び立って再び帰ることができなかったそうです。

特攻基地の鹿屋航空基地跡には現在海上自衛隊鹿屋航空基地が置かれ、東シナ海・日本海・太平洋海域等の防衛警備や災害派遣、医師のいない離島等への急患輸送等行っております。この海上自衛隊鹿屋航空基地正門横に海上自衛隊鹿屋航空基地史料館があり、基地の外にありますので気軽に行けます(料金も無料です)。1階には海上自衛隊の歴史等の展示、2階には特別攻撃隊関連の資料展示があり戦争を知らない世代の私たちにはいろいろと考えさせられます。個人的には公共交通機関や地理的な不便はありますが、時間をかけても一度は来てほしいところです。

海上自衛隊鹿屋航空基地史料館(鹿児島県鹿屋市)

鹿屋航空基地史料館は全国的に知られていないと思いますが。特攻隊の資料、海上自衛隊の歴史資料等があり、特攻隊の資料展示は胸詰まる貴重な体験ができる施設と思います。是非一度は訪れていただきたいです。

史料館に行くとまず目に入るのが二式大型飛行艇12型。昭和15年当時世界一高性能の大型飛行艇だったそうです。米国国内に保管されていた、世界に一機しかない当時の技術を駆使して作られた飛行機を、船の科学館の故笹川良一初代館長が資金援助と受け入れをおこない、その後海上自衛隊第1航空群が引き渡しを受け現在の場所へ展示されています。

   ところで世界に一機しかないはずのこの二式大艇、私は何度も他の場所で見た記憶があります。子ども連れで至近距離で見たこともあれば、首都高湾岸道路をマイカーで走りながら車窓越しに見たり・・・。実はかつては江東区夢の島にある船の科学館の庭に展示してあったのでした。現在は鹿児島まではるばる行かないと目にできなくなってしまいました。

  観覧後まず感じたのは、日本人の宣伝下手です。本当に伝えたいことがあるのなら、資料館もそれにふさわしいものでなければなりません。一つには資料館自体が小さすぎます。韓国ソウルの戦争資料館などは庭の一角に(隅っこに)世界最大の戦略爆撃機B52が展示されているほか、戦車に潜水艦まで屋外に展示されています。建物も極めて壮大ですし、内部も空間を実にゆったりと使っています。朝鮮半島の半分しかない小国のくせに見栄っ張りと言えばそれまでですが、宣伝効果を考えればそれくらいやって当たり前でしょう。この資料館で一番広い展示室も、ゼロ戦一機でいっぱいいっぱいになってしまいます。

   更に、あまり軍事色を強調したくないという気持は分かりますが、説明してくれる退役自衛官があまりにもおとなしすぎます。きちんと歴史と現実を伝えたいのであれば、それなりに雄弁で説得力のある話術の持ち主を任命すべきなのです。自衛隊関係の資料館はどこへ行ってもこの調子です。もっと話したいことが沢山あることが言葉の端々からうかがえるのに、ぐっと我慢をさせられている感があります。

   入館するとまずは解説に当たる退職自衛官が登場して、映写室へと私たちをいざないます。しかしわざわざ上映してくれたのは予想に反して、資料館の展示内容の解説ビデオのみ。館内には別に特攻シーンの記録フィルムを上映するコーナー(部屋ではない!)があるのですが、正味は5分程度しかありません。他には特攻隊員の遺書なども展示されていますが、全体の構成がインパクトに欠けます。また、日露戦争関係の展示があったりして、どうにも統一感がありません。この際ここは海軍と海上自衛隊関係の展示と解説並びにPRに徹し、特攻関係の資料はすべて知覧の特攻平和会館にまとめる方が良いと思います。