梅様の教室

独り言

旅行記⑧

2014-01-19 14:07:16 | Weblog
   ここまで来て温泉に入らないのも馬鹿げています。早朝の開湯と同時に浴室へ。浴室もなかなか鄙(ひな)びています。湯の中には無数に薄黄色いフレーク状の物がふわふわと漂っています。但し書きによればこれはいわゆる「湯の花」というものです。温泉は土地により様々です。無色透明のものもあればこのように湯の花が沢山混じっているもの、ある時には湯につけた新品のタオルが抹茶色に変色してしまうほど鉄分の濃い温泉もありました。温度も火傷しそうに熱い物からぬるめのものまで。この温泉はややぬるめです。かなり浸かっていないと湯冷めしそうです。

   湯あがりにデジタル体重計があったので、試みに乗ってみると、69キログラムしかありません。朝一番とはいえ、これは私としては軽すぎます。去年の秋の初めから始まった減少傾向が止まりません。ここまで月平均1.5キログラムのペースで減少しています。このペースで減り続けると、4年もたたないうちに体重は零になる勘定ですが・・。

   今日は遅めの出発、途中道の駅にはギネス記録を狙った長さ60メートルの足湯が。しかし私は足湯よりも、そこから見た桜島の眺望の方に惹かれて、はるか先まで行ってしまい、バス集合に遅れそうになりました。幸か不幸かぎりぎりになって買い物を始めた二人のご婦人が遅れたので、私は目立たずに済みました。写真はこの道の駅から見た桜島の遠望です。今日は途中で黒い噴煙も上がり、ガイドさんによればあれは小噴火だという話でしたが、小噴火くらいでは話題にもならないようです。私たちが滞在中は真っ白い水蒸気ばかりが上がっていました。

   桜島、かつて一時は頂上まで登ることができ、桜島を登る駅伝まであったそうですが、ここ数年間は年間800回以上の噴火を繰り返しているので、4合目付近まで登ることしか許可されていません。元々九州は二つの島から出来ていたのですが、真ん中に阿蘇山が噴出したために、一つの島になったのだそうです。雲仙普賢岳といい、九州地方の噴火は絶えることがありません。

   

   道中、垂水市という所を通過していると、ガイドさんのテンションが一段と高くなりました。この人は垂水高校の卒業生だそうで、いつも垂水に高校なんてあったのかと言われると嘆いていました。街道沿いに家が立ち並んではいますが、かなりのスカスカ状態で、これで市を名乗って大丈夫なのかと思われるくらいです。彼女の子ども時代の夢は、ズバリ「クラス替え」だったといいます。隣のクラスにかっこいい男の子がいる!なんて夢のまた夢、現在では小学校は複式学級(2学年が一つの教室で授業を受ける)状態になっているほか、廃校になったところもあるそうです。バスが自分の出身小学校前を通過すると、ガイドさんはますますハイテンションになりました。

   バスの右手には鹿屋体育大学の立派な建物が見えます。こんな過疎の地に国立大学を立てたのは、過疎対策の意味もあったのでしょうか。窓越しにキャンパスを眺めながら私は、こちらの大学を苦学して卒業した、とある新人教師のことを思い出し、OSKにメール。「今度会う時○○さんにも声をかけておいて下さい。」

   ところで、桜島の麓にある東桜島小学校には、科学不信の碑と呼ばれる石碑が立っていると本日の新聞にあります。地元の人たちが桜島の変異を感じ取っていたにも関わらず当時の測候所が桜島は噴火しないと説明していたために住民が大きな被害をこうむったからです。石碑には「住民は理論に信頼せず」という言葉も刻まれているそうです。現在は高密度の観測網が敷かれているので大丈夫という建前であるようですが、本当に大丈夫なのでしょうかねえ。私は基本的に学者とか専門家を信用していないので・・・・。彼らの目標はあくまでいい論文を書いて国際的な科学誌に掲載されることなのですから。

   もうひとつの心配は、桜島が前回の大噴火からそろそろ100年目に当たり、再び大噴火があってもおかしくないということなのですが、もし噴火があったとして、前回の噴火とは逆に薩摩半島の方向に溶岩流が流れ、前回大隅半島と桜島が陸続きになってしまったような現象が反対方向でも起こると、鹿児島湾は完全な湖と化してしまいます。鹿児島湾では大規模な養殖漁業が行われているので、現地の産業に対する打撃は大変なものになるでしょう。

また、日本に運んで来た原油は一度当地にある原油基地(直径が200メートル近くもある原油タンクが沢山ならんでいます。)に備蓄されてから全国に配送されるそうなので、鹿児島湾が溶岩流で閉鎖されてしまい、ここにタンカーが入れなくなるとしたら、日本の産業全体が一時的にせよ壊滅的な打撃を受けることでしょう。しかし火山学者たちは誰一人としてそんな懸念を発表してはいません。つまり専門家なんて本当は何の役にも立ってはいないのです