
わたしが生まれたのは大雪降り積もる12月のことでありました。
父親が毎晩飲んだくれていて家におらず、母はつらい日々を送っていて心身ともに参っていたので、胎内のわたしのにも影響があったのでしょう。非常に弱い状態で生まれてきたようです。
生まれてなんとか命はつないでいたものの、次から次と病気にかかりいつ死んでもおかしくなかったと言うことです。後年「母子手帳」を見たことがありましたが、ほとんどの病気が1歳未満でかかっておりました。
その後も入退院や通院が続きました。
古い記憶をたどっていくと、犬のスヌーピーのお人形に至ります。
当時は「スヌーピー」という名前を知らず、わたしは「お兄ちゃん」と呼んで後生大事に抱いていたのを憶えています。
あるいは心の中で呼ぶだけで、口に出して「お兄ちゃん」とは言っていなかったかも知れません。(なぜ「お兄ちゃん」なのかは憶えておりません)
わたしはほとんど言葉をしゃべれなかったようです。いつも黙ってじっと物を見つめていました。陰では「知恵遅れ」と言われていたようです。
父はほとんど家にはおりませんでしたが、年に数回は顔を合わせることがあります。そのときはいつも不機嫌で、わたしが黙って何も言わず震えているのを見ては腹を立てて殴りつけました。父親が家にいるときは地獄でした。
(なぜか妹は父になついていて殴られたこともありませんでした。殴られないからなついたのか、なついたから殴られなかったのか…とにかくわたしとは違って、妹は人に取り入る才があるようです)
そんな小さく弱いわたしに訪れた第1の転機は小学校に上がったことでした。
父親が毎晩飲んだくれていて家におらず、母はつらい日々を送っていて心身ともに参っていたので、胎内のわたしのにも影響があったのでしょう。非常に弱い状態で生まれてきたようです。
生まれてなんとか命はつないでいたものの、次から次と病気にかかりいつ死んでもおかしくなかったと言うことです。後年「母子手帳」を見たことがありましたが、ほとんどの病気が1歳未満でかかっておりました。
その後も入退院や通院が続きました。
古い記憶をたどっていくと、犬のスヌーピーのお人形に至ります。
当時は「スヌーピー」という名前を知らず、わたしは「お兄ちゃん」と呼んで後生大事に抱いていたのを憶えています。
あるいは心の中で呼ぶだけで、口に出して「お兄ちゃん」とは言っていなかったかも知れません。(なぜ「お兄ちゃん」なのかは憶えておりません)
わたしはほとんど言葉をしゃべれなかったようです。いつも黙ってじっと物を見つめていました。陰では「知恵遅れ」と言われていたようです。
父はほとんど家にはおりませんでしたが、年に数回は顔を合わせることがあります。そのときはいつも不機嫌で、わたしが黙って何も言わず震えているのを見ては腹を立てて殴りつけました。父親が家にいるときは地獄でした。
(なぜか妹は父になついていて殴られたこともありませんでした。殴られないからなついたのか、なついたから殴られなかったのか…とにかくわたしとは違って、妹は人に取り入る才があるようです)
そんな小さく弱いわたしに訪れた第1の転機は小学校に上がったことでした。
(次回につづく…)
私も病弱で、病気ばかりしている子供でした。
そして、私も父が苦手でした。
父が近寄ってくると、「ビービー」泣いたそうです。
今でも、父は苦手です。
でも、妹は、父にかわいがられました。
お仲間がいたんだと思ったら、癒されました。
癒されたのでしたらとても良かったです。
実は、私も「スヌーピー」が大好きでした。
私は一人っ子で兄弟がいなかったのですが、いろんなぬいぐるみの中でも、スヌーピーが一番好きで・・・どうしてなのかわからないのですが。
それから、ピーナッツブック・・だったでしょうか、スヌーピーの漫画ばかり読んでいました。
スヌーピーのぬいぐるみはかなりお気に入りでいつも肌身離さずに可愛がっておりましたから、ぼろぼろになって最後は破れて死んでしまいました(涙)
スヌーピーの漫画は読んだことがありません。
おもしろいのかな? 読んでみたいな~
こちらでは今も図書館にあるのですよ。o(*^^*)o
私が持っていたのは日本語版でしたが
図書館には英語版があって、ふきだしは英語ですが
横に日本語が書いてあるのです。
小学生の頃は、月刊スヌーピーという雑誌も買っていました。
私のスヌーピーのぬいぐるみは、耳が取れてしまいました。(涙)
スヌーピーの枕は抱きしめすぎてお煎餅のように・・。
だけど、いつもスヌーピーの下がったお目々に癒されていました。
子どもの頃は、どんな物にも命や心があって、自分と同じように言葉を話さないだけで、心の中ではいろいろ感じているものだと思っていました。
何か物が壊れたりしたとき、その「物」(=わたしにとっては心ある生き物)がかわいそうで泣いていました。
小学1年生の頃のことです。教室が寒いから座布団を持ってきていいということになり、みんな持ってきました。友達は座布団を置いて帰るのですが、私は毎日持って帰っていたのです。「母が、荷物になるから教室において帰りなさい。」そう言っても、やはり持って帰っていました。
夜になって教室が暗くなった中に、座布団がいることが可哀想で淋しそうでたまらなかったのです。
物・・にも心がある・・私もそう思います。
わかっていただけてうれしいです。
でも、子どもの頃は純心だったわたしですが、大人になった今はそんな気持ちを忘れてしまっているような気がします。