このは紅葉のお絵かき日記

トランプ大統領・たつき監督・irodoriの味方だよ

#330 すずめ

2007年04月04日 | 
ボールペンでらくがきしました。

絵の勉強をしなければいけない?
こういう話を聞きました。
「デッサン教室に通っているのですが、毎回課題が出されて、次回までに完成させて提出しなければならないのです。仕方なく続けていますが、もうイヤになりました」
くわしく話を聞いてみますと、こういうことらしいです。

1.素晴らしい絵を見て自分も描けるようになりたいと思った。
2.自分が絵を描けないのはデッサンが出来ないからにちがいない。
3.だからデッサン教室に通わなければならない。

わたしはこの考え方を「デッサン教信仰」と名付けました。
どうやら、絵をほとんど描いたことがない人がこれから絵を趣味にしようと思ったときに入信する傾向があるようです。

絵を描くということは、決して「しなければならない」ことではありません。
農作業をしなければならない、あるいは、漁に出でなければならない、ということはありますが、絵を描かなければならないということはありません。

絵を描くということはしなくてもよいことですから、「絵の勉強」など当然する必要なく、嫌々デッサン教室に通うということもまったく必要ありません。

デッサン教室に通ってはいけないということではありません。
通いたい人が通うのは当然のことです。どんどん通ったらよいと思います。
通いたくないのに通わなければならないと思いこんでいる人は、通うべきではないということです。
「デッサンを勉強したいからする」ものであって、しなければならないということはありません。

「プロの絵描きになりたいから絵の勉強をしなければならない」という人も散見しますが、そういう人は専門家には向いていないでしょう。
絵を描きたくて仕方がない、どうしても絵の勉強を続けたい、という人が専門家に向いていると思います。

わたしがなぜ絵を描くかというと、描きたいからです。義務や強制で描かされているわけではありません。気分が悪くて描きたくないときは描きませんし、また、描けません。
「絵の勉強・練習」はしたくないのでしていません。
楽しむために絵を描くのですから、自分が楽しくないことはしない方がよいのです。
楽しく自由にのびのびと「らくがき」を描いているならそれに勝るものはなく、堅苦しい「勉強・練習」など必要ないというのがわたしの考えです。

もちろん「勉強・練習」も好きでするのであれば結構なことだと思います。

「やりたいからどうしてもやる」と「やらなければならないから仕方なくやる」とでは雲泥の差があります。
同じことをしているように見えて、片方は「幸」、もう片方は「不幸」なのです。
自ら不幸を背負い込むことはありません。