蒲田耕二の発言

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『佐倉義民伝』

2019-05-12 | ステージ
という芝居は、先代の中村吉右衛門が主役を演じるのを大昔に観た記憶がある。頃はあの60年代だったから、権力対庶民の対立の文脈で見ていた。歌舞伎にしちゃ随分とイデオロギッシュな内容だなと思った。まるで、その前の50年代に流行った左翼映画人のリアリズム映画みたい。

これを前進座が恒例の五月国立劇場公演でやっている。で、観に行って驚いたことに、内容からてっきり近代の新作歌舞伎だと思っていたら、『切られ与三』で有名な幕末の瀬川如皐(じょこう)の作なんだと。元は『四谷怪談』や鍋島の化け猫騒動みたいな怨霊もののホラー歌舞伎だったらしい。複雑怪奇な筋立てで、上演時間がむやみに長かったそうな。

それを瀬川と同時代の河竹黙阿弥が適当に刈り込み、近代演劇に通じるすっきりした構成に組み立て直した。それでもまだ長くて、序幕や事実上の大詰めの3幕2場をカットする習わしだったらしいが、今回の前進座は黙阿弥版の通し上演。

復活した3幕2場で、主人公の木内宗五郎は既にお上によって処刑されている。宗五郎の無事を祈って祈祷していた叔父の僧侶・光然は、宗五郎ばかりか彼の妻と幼い子供たちも無残に斬殺されたと聞いて怒り狂い、ホトケなんぞに祈っても無駄だと教典を破り捨てて火中に投じる。のみならず、刑場で晒し首になっている宗五郎の遺体を奪って印旛沼に飛び込む。

このあたり、19世紀末の人権意識の芽生え、みたいなものを感じ取らずにはいられないよな。宗五郎は明治の自由民権運動で歴史的先駆者と評価されたそうだが、民衆のあいだにそういう気運があったからこそ、こんなプロレタリア演劇のタマゴみたいな作品も誕生したんじゃないかね。ホトケの否定なんて、当時にしちゃ随分と大胆な設定だったと思うよ。作者と観衆に、反体制の自覚があったかどうかは知らないが。

主役の宗五郎は、前進座では翫右衛門や梅之助ら歴代の座頭クラスが演じてきた大役だ。今回は嵐芳三郎が演じているが、この人、ちょっと線が細くて大向こうを唸らせる迫力には欠ける。その代わり、エグ味のない現代的洗練を備えてるけどね。それに、レパートリー劇団の強みで脇の隅々までレベルが安定しているから主役一人の出来で舞台が大きく左右されるワケでもなく、3時間の長丁場もダレることはなかった。オレはホント言うと、歌舞伎は古典の荒唐無稽な歴史ロマンの方が大らかな味があって好きなんだけど。

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