蒲田耕二の発言

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表現の不自由

2019-08-05 | 社会
「平和の少女像」(とはまた、なんと偽善的な呼び方)なる美術品(?)の展示が猛烈な反発を呼んで、たった三日間で中止になった。国境なき記者団の報道の自由度ランキングで日本がG7中最下位にランクされたのはこの4月のことだが、それが見事に裏書きされたワケだね。報道の自由も表現の自由も、根は一つだ。

きわめて残念、と言うより腹立たしいのは、この展覧会が韓国を含む全世界に対して日本の民度と文化の成熟を証明する絶好の機会だったのに、日本みずからがその機会を放棄してしまったことだ。

韓国では『帝国の慰安婦』の朴裕河教授が有罪(罰金刑)になり、元徴用工問題に関して、日本人と朝鮮人のあいだに賃金格差はなかったとジュネーブの国連本部で証言した経済学者の李宇衍氏は、暴漢に襲われたという。

日本はもはや、韓国社会のこうした愚かさを笑えないではないか。出展者の美術家・中垣克久氏の怒りは、もっともだ。

個人的な見解を言わせてもらうと、あの少女像に美術的価値があるとは到底思えない。ことさらあどけなく見せる造型が、いかにも低次元であざとい。カーネル・サンダースやくいだおれ太郎と変わらないレベルだ。オレが美術評論家ならクソミソにケナすだろう。

日本の取るべき態度は、展示を認めた上で存分に酷評することだった。それがオトナのやり方だ。気に入らないから隠せ、は駄々っ子のワガママ以外の何物でもあるまい。

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