こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年7月23日 水曜日 かたちんば・夏の100曲 ~想い出のステップ~

2014-07-23 21:26:47 | 音楽帳

今年に入ってからインターFMでも掛かり、そういえば懐かしい、と思ったヒット曲。

■マシュー・ワイルダー 「想い出のステップ」(原題:Break My Stride)1984■
シングル盤の中からこれを拾い上げて”好きだった”想い出が甦る。
雑誌「サウンドール」1984年3月号【最終号】のディスクレビューに並んだ国内発売新譜のラインナップを見つつ、ああそうだったな、と確認する。
雑誌は一ヶ月前の発売盤を事前告知するから、ここにはマシュー・ワイルダー等々2月発売のLPが紹介されている。

かたやYMOの散会ライヴを収めた2枚組「アフター・サーヴィス」もあれば、サイキックTVの2nd、プリテンダーズの”再生復活”アルバムに、フェルト、ネーナ、クリスティン・マックビーの初ソロ、チャイナ・クライシスの国内初LP。。。
実にアトランダムで、イギリスもアメリカも無い混ぜの世界が展開している。
思えば、この当たりでクラフトワークのシングル「ツアー・ド・フランス」がFMで掛かっていた。

今ページをめくると、そのごちゃごちゃ感は”今だから”楽しめて、一冊の雑誌でもスルメのような味わいが続く。

マシュー・ワイルダーのEP盤は持っているがLP盤はここに無い。
この間際になってLPは買うまでも無いだろうが、浜辺の砂から顔を出す女性の横顔ジャケットが、アート的に部屋に飾りたくて欲しかったと当時思っていた。

【国内発売は1984年2月だが、アメリカでのヒットは1983年12月だった。】
スケッチ・ショー前夜、幸宏が細野さんの番組”デイジーワールド”で話していた会話に「なるほど」と当時思ったが、1983年までニューウェイヴ/テクノがヘッドフォン室内世界だったところから”アウトドア”に持っていった契機は、ハワード・ジョーンズのヒットだったのかもしれない。(別に彼のせいでは無いのだが)

1980年YMOワールドツアーに、松武秀樹さんが巨大コンピューターを10トントラックで運んだ時代。
シンセサイザーがあくまで室内楽器だったところ、そこから3・4年で、ショルダー型のシンセが発売され、トンプソンツインズ、ハワード・ジョーンズ等が1984年使い出すことになった。





ハワード・ジョーンズ 「パールと貝がら」(原題:Pearl In The Shell)1984■
1984年夏、この曲を収めたアルバム「ヒューマンズ・リブ」を聴いていた。
うだるナツの御茶ノ水、夏季講習への道と青空に浮かぶ雲を思い出す。
コメント (2)
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