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集団指導よりも個別指導のワケ

2012年02月03日 | 教育
 イマドキは「個別指導」花盛りである。
 塾は個別指導の塾が人気あるようだ。学校も、(たぶん)「個性」が入り込んできてからというものの「個別指導」が効果的だと考える人が増えてきた。生徒もそれを望む者が増えてきた。
 個別指導をすると、指導者に「良いこと」がある。「先生のおかげで合格できました。」そうでなくても、「先生、ここを教えてください」と生徒が寄ってくるのは、快感なのである。承認欲求が満たされるからだろう。

 しかし、だからといって、生徒が力を付けるとは限らない。
 「いや、個別指導で伸びる生徒は多い」と反論される。そりゃ、当たり前である。指導はないよりあった方が良い。

 ところが、問題はここからである。

 「学校の先生」の数は限られている。これは、指導に掛けるエネルギー総量も限られていると言うことだ。すべての生徒に個別指導をすることはできないのである。
 これが問題である。

 個別の生徒の指導に掛けられたエネルギーは、その生徒にしか還元されない。もっとも、その生徒が何らかの形で教室に戻って、他の生徒に良い影響を与えてくれればそれで良い。しかし、まあ、これ、あまりない。だって、「個別指導」は特別な指導なから、個別指導を受ける生徒と、そうでない生徒で微妙な温度差が生まれるものである。何らかの理由で、先生による個別指導を受けられない生徒は、塾に走る。「だって、個別指導が効果あるなら、先生がしてくれないなら、塾か家庭教師に私は個別指導してもらおう」となる。これが、最悪。
 その生徒のレベルや学校の指導のあり方にもよろうが、それなりに学校で受験指導を行っている場合、経験的に、マイナスに働くことが多い。本人たちは、お金を掛け、時間を掛け、「やりがい」がある。効果はどうだって良い自己満足である。
 ま、とにかく、ろくなことはない。

 学校は、集団指導の場である。
 学校は、雰囲気作りをすれば良い。「その気になる雰囲気作り」である。実体はどうだって良い。良い雰囲気ができれば、正しい学習の方向に進んでいくものだ。
 その「正しい学習」を教えることが雰囲気作りになる。これが一番大事であろう。
 正しい学習とは、脳みそを使う快感と「よくわかんかいこと」にどのように立ち向かったら良いのか、という思考法を教えてやることである。これが体得されれば、「知識」が自分の周りこそかしこに転がっていることに生徒は気がつく。知識そのものを教えてやるのではなく、「知に気がつく力」を獲得させることが重要ではないのだろうか。
 それで、大変奇妙なことに、力のある生徒にも力のない生徒にも、指導するべき事項は、大して変わりないのである。おそらく、「本質」だから、小学1年生でも、偉大な学者さんでも、「同じ」なのである。(その意味では奇妙でも何でもない。)

 日本全国個別指導花盛りの現状で、集団的な知の向上はあり得ないと思う。
 教えられている内容が個別的な枝葉に傾いているだろう。個別指導の意味は、こうした枝葉あるのだから、やむを得ない。
 知の向上という観点では、なんと効率の悪いことを行っているのだろうと思うが、承認欲求や自己満足という観点では、実に巧い方策である。
 おそらく、かつてあった濃厚な人間関係がなくなった今の日本の社会で求められるものが知性でなく、人そのものなったのだ。英語が「コミュニケーション」になったのも同様な無意識の欲求が働いてのことだろう。(コミュニケーションが産業界からの要請というのは後付けの根拠である。)
 個別指導も皆が好むはずである。

2 コメント

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ばらけてることの良さ (わたやん)
2012-02-03 16:35:42
しばらく前に「習熟度別指導の何が問題か」(岩波ブックレット,佐藤学著)を読んでたときに印象に残ったのは,習熟度別指導は一人でも到達できるレベルを目標に据えることになってしまうが,教師や仲間の助けがあって到達できるのはもっと高いレベルである,という記述でした。
個別指導も習熟度別指導も,「効率」が良さそうに聞こえてしまうからつい好まれてしまうけど,「ゆらぎ」がなさすぎるように思います。「ゆらぎ」がもたらす「気づき」って,多いと思うんですが。
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集団のダイナミズム (ほり(管理人))
2012-02-04 20:59:24
わたやんさん、コメントをありがとうございます。

>教師や仲間の助けがあって到達できるのはもっと高いレベルである,

ふと思いついたのですが、人間は「個」としての能力を高める場合であっても、社会的動物として、「みんなと一緒」の方が力を伸ばせるんだ、と捉えると、とってもステキですね。

でも、「人と人と関係」の基本はあくまでも「個」に根ざすものだから、こうしたすばらしさを忘れてしまうのかもしれません。

高校に限ると、上位層と下位層を分けると、上位層のクラスは確かに伸びますが、下位層の伸びはなかなか難しい。(昔の生徒の場合です。)
「よくわかるように教えてもらう」だけでは人間の能力は刺激を受けないのでしょうね。おっしゃる「ゆらぎ」が、刺激になるのでしょうか。
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