考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

階層的な思考法

2012年02月04日 | 教育
 この間、落合(監督)がテレビで、良いことを言っていた。野球は、投げて、打って、捕る(守る?だっけ?)だけだ、とか何とか。私は野球のことは何も知らないのだけど、これって、至言じゃないのかな。「打つ」に関しては、球の芯にバットのスイートスポットを当てる、ということだろう。打てない、というのは、これが出来ないのだ、たぶん。
 野球をやっている人は、たぶん、「言うのは簡単だが、実際にやるのは大変だ」とおっしゃるだろう。それはそうだと思うが、私は、実現がどんなに困難であろうと、野球の基本が「投げる、打つ、捕る」にある、と捉えることこそが、長い道程の大きな道標になると思う。

 勉強の「投げる、打つ、捕る」は、階層的な思考法だと思っている。単純な原理である。でも、これが、数学だの、国語だと、英語、理科、社会、と姿を変えると、まるで「別もの」に見えてくるから、たいていは余計なことを考える。でも、経験的に、頭の良い子は、別ものにしない。この辺が、野球と同じ鍵になると思う。
 困るのは、勉強の基本に位置する階層的な思考の重要性を述べると、かなりの確率で、「いや、そうではない」という反対論に出くわすことだ。この反論は、野球のと違って、つまり「投げる、打つ、捕る」の大変さからの反論と言うより、「勉強には動機付けが必要だ」「志望大学などの具体的な目標を持つことが大事だ」などに形を変えていることが多い。野球なら、「本気で甲子園を目指すつもりで練習することが大事だ」みたいなものか。でも、いくら甲子園を目指そうにも、「投げる、打つ、捕る」の基本から離れることは出来ない。ところが勉強の場合、このあたりが歪曲し、多くの人は勉強の本質を外す。

 勉強が出来ないのは、たとえ、どんなに必要性に迫られてやっても大して能力が伸びないのは、きちんと勉強の「投げる、打つ、捕る」をしてないからだと思っている。勉強の基本たる階層的な思考法を軽視しているのだ。「やってもできない」理由は、ひたすら羅列的な方法をとろうとするからだ。でも、周りも本人もこれに気がつかない。もっとも今の試験問題だと、力任せの羅列も、やっている本人の記憶力が優れていれば、それなり、かなりの効果がある。ここんところに大きな誤解の原因がある。しかし、人間が「言語」を獲得したからには、意識無意識にかかわらず、思考が階層的になっているのは事実なのである。にもかかわらず、否定する論が生じるのは、上記の「力任せの羅列の力」ゆえである。
 正直言って、数年前、十年前だったら、「力任せ」で良かった。ところが、困ったことに、イマドキの高校生にこの方法は極めて通じにくいのである。理由は、おそらく小学校の時から、階層的な思考をほとんど全く体得せずに高校生になったのだ。昔だったら、わざわざ階層的な思考の指導をしなくても、ただ「量」を与えれば、それぞれがそれなりに自分で知識を組み立てて、つまり、階層化して理解してくれた。ところが、近年の高校生は、この訓練が全くと言って良いほど、できていない。できるのは、もともととても頭が良い子だけである。だから、従来の指導は効をなさない。今の高校の先生は、ものすごく「努力」している。それなのに、全国レベルで学力が上がったと言う話を聞かない。(こういうことを言うと「学力の定義が・・」とか「結果をどのように評価するか」など頭でっかちの論評をするのが流行っているようだが、生徒を、若い子を見たときの「お、この子はよくものを知っているな、よくわかって考える」などという評価は、体感的にわかるものだ。だから、グローバル企業は日本人でなく優秀な中国人を採用するのだろう。)

 人間の知的能力、特に思考力の大部分は、どこまで階層的であり得るか、それをどこまで適切に言語化できるか、に掛かっていると思う。この根幹が揺らいでいるのが、昨今の学力低下ではないか。だから、ただの「問題演習」や「試験対策」だけで生徒を指導しても、まあ、あまり効果はない。「効果がある」と言う人は、「どんぐり」状態の階層の集団における相対的な地位をちょこっと上げただけの話だろう。

 というわけで、これからの日本は、世界標準に近づくべく「グローバル化(だって、世界の知的道徳的水準はかなり低い。)」し、居心地が悪くなります。(今までが異常に居心地が良かった、とおっしゃる人は、グローバリストです。)
 荷物が届かなくなり、さまざまな製品には不良品が増え、その損失を補うために、在庫管理、新製品の開発に精を出し、「なんとなく安心できる状態」がどんどんなくなって来るんじゃないのかな、と思ったりします。
 「階層的な思考法の欠如がなぜ、『不良品』になるの?」とおっしゃる人は、人間の思考を理解しない人です。
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4 コメント

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階層的な思考って・・? (ワットマン)
2012-02-05 01:37:54
階層的な思考法というのを、言葉でうまく言い表せないのですが・・・。
例えば「ちゃんとしなさい」という指示に対して、
ちゃんととは何か?何をすれば良いのか?
を自問自答できる力ですかね・・。うーん、遠からず近からず?

ちなみに、最近は大手の企業なんかは、末端に対して「ちゃんと」なんてあやふや?な指示でなく、「○○だったら、○○しなさい」なんて具体的な指示をしているようですが、これも階層的な思考の欠如ゆえですかね。

#名前が「watan」だと紛らわしいので、「ワットマン」とします(笑)
お晩でございます^^ (J)
2012-02-05 01:43:35
私も以前、落合監督と野村監督の対談を見てすごく感動しました。

落合監督はとにかく基礎練習を朝から晩まで選手がクタクタになるまで練習をさせる。
それを聞いた野村監督は、それじゃー昔の野球じゃんかと言っていました(笑)
そしたら落合監督が今はその昔の練習が大切だとのこと。
効率良く練習するやり方を根付かせたのはノムさんのせいだよ(笑)と言っていました^^

スーパースター二人の対談に感動しました。
具体と抽象 (ほり(管理人))
2012-02-05 01:52:59
ワットマンさん、コメントをありがとうございます。先日は失礼いたしました。ご訪問ありがとうございます。

言語そのものが抽象と具体を取り持つものですから、人間の考えることは、何だって、具体と抽象の間を行ったり来たりするものです。それが階層性を作ります。

「ちゃんとする」については、どこかで書いたかな、という気もしますが、思考力をつけさせるには、おっしゃるように、「ちゃんとしろ」と指示して、あとは本人に任せる、それで、こちらが見て「ちゃんとしていない」ときには今一度「ちゃんとしろ」と言えば良いだけだと思います。でも、その指示が面倒だったり、言われる方も、何度も同じことを注意されるのはイヤなものだから、「もっと具体的に」となる。それが、企業のマニュアルだったり、具体的な指導になるのでしょう。というわけで、そのような指導を受ける経験しかない若い人は、いつまでたっても、自分で考えることができるようになりません。
「具体的にわかりやすく」が、社会の病になっているのだと思います。
指導より前提 (ほり(管理人))
2012-02-05 02:01:57
Jさん、コメントをありがとうございます。

その対談は知りませんが、さぞ面白かったことでしょうね。

野村監督の時代には、選手は皆、子供の頃、でこぼこの地面の野原を奔放に駆け回って足腰を鍛えていたでしょう。「親に車で送ってもらう」なんてこともなかったでしょう。
でも、今は、少年野球でしか身体を鍛えてないんじゃないのかな?
同じ選手にしても、「前提」というか、もともとの身体構造や感覚がすでに全く異なっているでしょう。
子供時代に無駄なことをたくさんやってきた人には効率よい練習が有効だったでしょうが、無駄なことをやってない今の選手には、基礎基本に準じた練習の方が効果的だろうということは、大いに想像できます。

灘高校の銀の匙の授業に注目が行くのも、同じじゃないのかな。
と言うわけで、今の子は、「問題練習」をしても、あまり力が付かないと思います。
英語なら、徹底的に精読させる方が、速読も作文もできるようになると思っています。

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