「持ちつ持たれつ」は、人間関係を基本に良い意味で使う。意識無意識に限らない。「持ちつ持たれつ、お互いに助け合って・・」など、たぶん当人同士でかわされることもあるかな。
「ギブアンドテイク」は、カタカナだから、どうなのかな?
「取引」は客観性を帯びた表現で「商取引」など使われるが、人と人の関係においてはマイナスのイメージを持ち、たぶん、当人同士の間で使われることは決してない。「越後屋、お主もなかなかじゃのぉ」「いやぁ、お代官様こそ・・」も「取引」の一種たり得るが決してこの用語が口に上ることがない。この際、越後屋と代官で交わされるのは「持ちつ持たれつ」なのだ。なぜなら、両者にとってはあくまでも「良いこと」として認識されているからだ。
でも、3つとも、やってることの本質は同じである。
使う人が、それぞれの価値観で使い分けをしているだけだ。
他に思い付かないけど、こんな例って、まあ、つまり、「違う」と思ってることであっても、行為そのものにさしたる違いがなく、まあ、コトの本質は変わらない。ただ、状況その他を鑑みた上での価値判断によって使い分けをしているだけのコトバの例って、他にもありそうな気がする。
「ギブアンドテイク」は、カタカナだから、どうなのかな?
「取引」は客観性を帯びた表現で「商取引」など使われるが、人と人の関係においてはマイナスのイメージを持ち、たぶん、当人同士の間で使われることは決してない。「越後屋、お主もなかなかじゃのぉ」「いやぁ、お代官様こそ・・」も「取引」の一種たり得るが決してこの用語が口に上ることがない。この際、越後屋と代官で交わされるのは「持ちつ持たれつ」なのだ。なぜなら、両者にとってはあくまでも「良いこと」として認識されているからだ。
でも、3つとも、やってることの本質は同じである。
使う人が、それぞれの価値観で使い分けをしているだけだ。
他に思い付かないけど、こんな例って、まあ、つまり、「違う」と思ってることであっても、行為そのものにさしたる違いがなく、まあ、コトの本質は変わらない。ただ、状況その他を鑑みた上での価値判断によって使い分けをしているだけのコトバの例って、他にもありそうな気がする。
余談ですが、
「持ちつ持たれつ」は“対等”の別表現です。
サルやニワトリの集団と違って、ヒトは集団構成のために「完全なる上下関係」を必ずしも要求しない。
「握手」(というコミュニケーション)ができるのは人間だけ。
「握手」も「持ちつ持たれつ」も「取引」も本質は一緒。
昔の偉い人はいいました、たしか「人は取引する動物なり。犬は骨を交換せず。」と。
・・・感想でした(^^)
>「持ちつ持たれつ」は“対等”の別表現です。
なるほど。
>ありまくりですね(^^)
だとは思うんだけれど、思い付かなかったの。今も思い付かない。(笑)