俗によく「あの人は頭が良い」と言う。これを聞いて、「そうだね」と素直に応じられる場合と「えー。そうぉ?」と疑いの眼差しを投げかけたくなるときがある。
何故か?
たぶん、「頭が良い」の定義が、人によって異なるからである。それでおそらく、自分が持つ能力の中で人よりやや優れたものがあったり憧れがあったり、要は、その能力に自分自身が価値を認めている場合、より優れた能力の持ち主を人は「あの人は頭が良い」と評するのだ。
だから、記憶力が優れて物知りの人は、自分より優れた物知りを「頭が良い」と言う(はずだ)。政治力を駆使してなんとしてでも出世しようと企てる人は、どうやらそれらしい力を陰で発揮していそうな人を「頭が良い」と舌打ちながらも内心では感服をし、勉強をしている学生は多く、自分より点数の取れる学生、しかも、労少なくできる者を「頭が良い」と賞賛するだろう。
つまり、「同じベクトル上」に位置しながらベクトルの「大きさ」という側面でその能力を捉えているということだ。よって、異なるベクトル上に載っている人を指して「あの人は頭が良い」と言うことは、まあ、なかろうと思う。
養老先生が、権力を目的にその座に着いた政治家を「頭が良い」と言うことは決してないだろう。なぜなら養老先生はそんなことに価値を見出さないからだ。
「頭が良い」なんて、所詮そんなものだと思う。
犬の嗅覚がどんなに優れていようと、その能力で「犯人」を突き止めようと、人間が「犬は頭がいい」ということはない。犬の嗅覚は自分たち人間と全く別物であると思い込んでいるからそもそも対比しようという気がないのである。しかし、同じ犬の能力であっても、発揮の仕方が人間に似ているとき、例えば、忠実さや記憶力等の能力が人間並みに優れているとき、「あの犬は頭が良い」と言う。
大きな脳は小さな脳を含有する。これはある次元におけるベクトルの「大きさ」の問題に尽きるということだ。
何故か?
たぶん、「頭が良い」の定義が、人によって異なるからである。それでおそらく、自分が持つ能力の中で人よりやや優れたものがあったり憧れがあったり、要は、その能力に自分自身が価値を認めている場合、より優れた能力の持ち主を人は「あの人は頭が良い」と評するのだ。
だから、記憶力が優れて物知りの人は、自分より優れた物知りを「頭が良い」と言う(はずだ)。政治力を駆使してなんとしてでも出世しようと企てる人は、どうやらそれらしい力を陰で発揮していそうな人を「頭が良い」と舌打ちながらも内心では感服をし、勉強をしている学生は多く、自分より点数の取れる学生、しかも、労少なくできる者を「頭が良い」と賞賛するだろう。
つまり、「同じベクトル上」に位置しながらベクトルの「大きさ」という側面でその能力を捉えているということだ。よって、異なるベクトル上に載っている人を指して「あの人は頭が良い」と言うことは、まあ、なかろうと思う。
養老先生が、権力を目的にその座に着いた政治家を「頭が良い」と言うことは決してないだろう。なぜなら養老先生はそんなことに価値を見出さないからだ。
「頭が良い」なんて、所詮そんなものだと思う。
犬の嗅覚がどんなに優れていようと、その能力で「犯人」を突き止めようと、人間が「犬は頭がいい」ということはない。犬の嗅覚は自分たち人間と全く別物であると思い込んでいるからそもそも対比しようという気がないのである。しかし、同じ犬の能力であっても、発揮の仕方が人間に似ているとき、例えば、忠実さや記憶力等の能力が人間並みに優れているとき、「あの犬は頭が良い」と言う。
大きな脳は小さな脳を含有する。これはある次元におけるベクトルの「大きさ」の問題に尽きるということだ。









「意識を伴った選択の能力」
に秀でていること
というのがいまのところ一番しっくりきます。
(参考)
> 知性とは、意識を伴った選択の能力であると考えてもよい。
(http://www.nagaitosiya.com/a/intellect.html)
「知性」と日常語?の「頭が良い」は、またちょっと別物だと思ってます(って、ひねくれ者だなぁ)。
ずいぶん前の記事に書いたことあるけど、羅列的な知識の宝庫のような先生と話をしても、私、全然、面白くないんだよね。ご紹介の先生の話で言うと前頭連合野のネットワークが物足りない気がして。。。
>> 知性とは、意識を伴った選択の能力であると考えてもよい。
選択は選択でも、「ほいっ」と倉庫から取り出すような選択だけじゃ、面白くない気がする。
「複数のものを選択的にくっつけながら取り出す」という能力が面白いなぁと個人的に思います。
養老先生の面白さって、そんなんだもん。ふつー関係がなさそうなモノをひょいっとくっつけるのが面白い。
私も、関係なさそうなものをくっつけるのが好き♪