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日テレ 水曜10時~ 全10話
最終回
原作 伊藤実 「アイシテル―海容―」講談社
脚本 高橋麻紀/吉本昌弘
音楽 S.E.N.S アルバム「Forgiving」
演出 吉野洋/国本雅弘/久保田充
出演 稲森いずみ/板谷由夏/山本太郎/川島海荷/嘉数一星/佐藤詩音/田端智子/佐野史郎/田中美子
野口さつき(稲森いずみ)は小学5年生の智也(嘉数一星)と夫・和彦(山本太郎)のごく普通の3人家族。さつきの目下の関心事は智也の進学だ。智也の塾代にとウェイトレスのバイトをし、栄養バランスを考えた食事を摂らせるなど気を配っている。肝心の智也は最近ロクに口もきいてくれないが、さつきは「男の子はそんなものかも」とあきらめぎみだ。
いっぽうの小沢聖子も小学2年生の清貴と中学生の美帆子、夫・秀昭の4人家族。
中でも清貴は家族のマスコット的存在で、姉の美帆子だけは甘え上手な弟と、そんな弟を可愛がる母親をやや冷ややかな目で見ていたある日、
下校時間を勘違いした聖子がランチのために15分帰宅が遅れ、玄関にランドセルを残したまま清貴は行方不明になり、やがて遺体で発見される―。
そして、暫くしてさつきの家に刑事がやってくる。清貴ちゃん殺しの容疑者として、塾帰りの智也を保護したというのだ―。
あっさり犯行を認めた智也は、取り乱すさつきに(ちゃんと言いなさい。お口ついてるんでしょ?)対して「おかあさんこそ耳ついてるの?」と冷ややかに言う。。。
子供はなんだかんだいっても、心の底では親を愛し、無条件に求めているものではないだろうか。
親や家庭の影響を受けない子供の社会は、完全にはナイと言ってもいい。
子供は親を喜ばせることで向上心に火がつき、
親や大人にほめられて自信をつけ、
甘えられることによって安心感を得て、のびのび育つ。優しさも育つ。
どこにでもいる、ちょっと教育熱心な野口家の母親にも、
どこにでもいそうな、ちょっと溺愛気味な小沢家の母親にも、
子育てに夢中だった頃の自分の姿を重ねてみることができる。
しかし、子供を失う恐怖は想像できても、
我が子が殺人を犯しその罪を背負い、その先の人生を生きるなどという事を誰が想像するだろうか?
・・・我が子を殺した犯人の親に対して、
あのように、ただ子供を育てることに同じく未熟な面があるとして、母親同士としての
心を開き、労わり、悲しみを共有する言葉がかけられるだろうか、、、
私には自信がない。
少年審判の場で読み上げられた小沢聖子の手紙こそが、
まさに罪を犯した少年と、その少年の親の道標。
生きて好きな人と幸せになって、、、子どもを育てること。その時初めて自分の犯した罪の大きさを知るでしょう。
その後にさつきに宛てた手紙こそが、この作品の最大の意味だという気がした。
たしかに苦しみ、
これ以上もなく傷ついて、
許しを乞い・・・
憎しみを捨て去るまでの心の軌跡・・・。
―全ての母親に捧げる―
泣いてばかりはいられない闘い。
見失ったら、その場所に立ち返り、そこから学ぶ。
どちらの家族の迷いも苦しみも、、絶望も憎しみも、
ちゃんと伝わってきて、いいドラマでした。
日テレ 水曜10時~ 全10話
最終回
原作 伊藤実 「アイシテル―海容―」講談社
脚本 高橋麻紀/吉本昌弘
音楽 S.E.N.S アルバム「Forgiving」
演出 吉野洋/国本雅弘/久保田充
出演 稲森いずみ/板谷由夏/山本太郎/川島海荷/嘉数一星/佐藤詩音/田端智子/佐野史郎/田中美子
野口さつき(稲森いずみ)は小学5年生の智也(嘉数一星)と夫・和彦(山本太郎)のごく普通の3人家族。さつきの目下の関心事は智也の進学だ。智也の塾代にとウェイトレスのバイトをし、栄養バランスを考えた食事を摂らせるなど気を配っている。肝心の智也は最近ロクに口もきいてくれないが、さつきは「男の子はそんなものかも」とあきらめぎみだ。
いっぽうの小沢聖子も小学2年生の清貴と中学生の美帆子、夫・秀昭の4人家族。
中でも清貴は家族のマスコット的存在で、姉の美帆子だけは甘え上手な弟と、そんな弟を可愛がる母親をやや冷ややかな目で見ていたある日、
下校時間を勘違いした聖子がランチのために15分帰宅が遅れ、玄関にランドセルを残したまま清貴は行方不明になり、やがて遺体で発見される―。
そして、暫くしてさつきの家に刑事がやってくる。清貴ちゃん殺しの容疑者として、塾帰りの智也を保護したというのだ―。
あっさり犯行を認めた智也は、取り乱すさつきに(ちゃんと言いなさい。お口ついてるんでしょ?)対して「おかあさんこそ耳ついてるの?」と冷ややかに言う。。。
子供はなんだかんだいっても、心の底では親を愛し、無条件に求めているものではないだろうか。
親や家庭の影響を受けない子供の社会は、完全にはナイと言ってもいい。
子供は親を喜ばせることで向上心に火がつき、
親や大人にほめられて自信をつけ、
甘えられることによって安心感を得て、のびのび育つ。優しさも育つ。
どこにでもいる、ちょっと教育熱心な野口家の母親にも、
どこにでもいそうな、ちょっと溺愛気味な小沢家の母親にも、
子育てに夢中だった頃の自分の姿を重ねてみることができる。
しかし、子供を失う恐怖は想像できても、
我が子が殺人を犯しその罪を背負い、その先の人生を生きるなどという事を誰が想像するだろうか?
・・・我が子を殺した犯人の親に対して、
あのように、ただ子供を育てることに同じく未熟な面があるとして、母親同士としての
心を開き、労わり、悲しみを共有する言葉がかけられるだろうか、、、
私には自信がない。
少年審判の場で読み上げられた小沢聖子の手紙こそが、
まさに罪を犯した少年と、その少年の親の道標。
生きて好きな人と幸せになって、、、子どもを育てること。その時初めて自分の犯した罪の大きさを知るでしょう。
その後にさつきに宛てた手紙こそが、この作品の最大の意味だという気がした。
たしかに苦しみ、
これ以上もなく傷ついて、
許しを乞い・・・
憎しみを捨て去るまでの心の軌跡・・・。
―全ての母親に捧げる―
泣いてばかりはいられない闘い。
見失ったら、その場所に立ち返り、そこから学ぶ。
どちらの家族の迷いも苦しみも、、絶望も憎しみも、
ちゃんと伝わってきて、いいドラマでした。
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