ちと久々に憲法の話題など。
先日のゼミで、尊属殺重罰規定について議論したとき、
「被害者が親であること」を
加重犯の構成要件にすることはあかんが、
量刑事情にしてはよい、と普通は考えるが、それでよいのか?が話題になりました。
確かに疑問です。
例えば、よく「犯罪後、反省していないこと」を
量刑を重くする事情に使ったりします。
そして、これは別に問題がないと多くの法律家は考えます。
しかし、
「再犯の危険の防止」を保護法益とする抽象的危険犯として、
「犯罪後無反省罪」という犯罪類型を規定して、
量刑としてではなく、
無反省そのものを処罰したら、どうなのでしょう・・・。
そして、それがだめなら、犯罪後無反省を
量刑事情にしてしまって、よいのでしょうか・・・。
気になって仕方ありません。
という、蟻川恒正「思想犯罪の構造」論文に触発された議論でありました。
先日のゼミで、尊属殺重罰規定について議論したとき、
「被害者が親であること」を
加重犯の構成要件にすることはあかんが、
量刑事情にしてはよい、と普通は考えるが、それでよいのか?が話題になりました。
確かに疑問です。
例えば、よく「犯罪後、反省していないこと」を
量刑を重くする事情に使ったりします。
そして、これは別に問題がないと多くの法律家は考えます。
しかし、
「再犯の危険の防止」を保護法益とする抽象的危険犯として、
「犯罪後無反省罪」という犯罪類型を規定して、
量刑としてではなく、
無反省そのものを処罰したら、どうなのでしょう・・・。
そして、それがだめなら、犯罪後無反省を
量刑事情にしてしまって、よいのでしょうか・・・。
気になって仕方ありません。
という、蟻川恒正「思想犯罪の構造」論文に触発された議論でありました。
まあどちらにせよ、量刑事情にしてよいかという問題に答えるものではありませんが…。
さて,今回の議論ですが,まず,「被害者が親であること」は,一般に,量刑上,加重して考慮されていないように思いますが(むしろ,減軽して考慮されているように思います。)……。
その点はさておき,犯行後の反省態度も,それほど単純ではないように思います。厳密には中止・自首等の要件を充たさない態度も,中止・自首等に準じて有利に斟酌されますが,それは,事後的に違法・責任が減少するからで,そのような態度がない場合は,それに比べて相対的に重くなると思います。また,被害弁償等については,事後的に被害回復がされたということで,やはり何らかの形で罪体に関わるものとして考慮されているはずです。
問題は,このように罪体に関わらない反省態度ですが,これは,確かに,特別予防の観点から考慮されると思います。しかし,見方によっては,反省態度がないときに比べて相対的に重くすると考えられ,そうだとすれば,別に刑を加重しているわけではない(単に,軽くしないだけ)とも考えられます。また,刑を加重しているとしても,それは,現に行った犯罪行為の刑を決める際に,その責任刑の枠内において考慮されるにすぎず,飽くまでも特別予防の対象は,当該犯罪行為なのだといえます。
このように思いながら,相対的に重くされている部分あるいは加重されている部分については,実質的に,無反省な態度を処罰し,その分の刑を当該犯罪行為の刑に付加しているのではないか,という反論を考えると,的確な再反論の言葉が見付かりません。私としては,刑事裁判もその後の矯正を含む刑事手続の一環であることから,犯行後,矯正前の段階の反省態度によって,矯正後の反省を先取りして当該犯罪行為の宣告刑を決めることと,犯行後の反省態度それ自体を犯罪として処罰することとは異なる,と考えているのですが,それが説得的かどうか分かりません。
ということで,難しい問題ですね。
「処罰の対象とすること」と「刑の量刑事情として考慮すること」とは異なるので、量刑事情として考慮することは許される、というより、むしろ積極的に考慮すべきであると考えます。
刑法で処罰されるのは、構成要件に該当する罪を犯した者です。殺人罪でいうと、「人を殺した」ことが処罰対象とされております。
しかし、ご存知のとおり、日本の刑法においては非常に幅広い刑が法定されており、「人を殺した」ことだけをもって量刑を判断することはできません。犯行の動機、方法、結果などの犯情事実及び前科前歴の有無、再犯可能性などの一般情状事実を考慮しなければ、最終的な量刑を決することはできないのです。
そして、量刑判断の際は、「被害者が親であること」ことも重要な判断資料になってきます。犯行の動機などの他の事情が全て同一であると仮定すると、「被害者が親」である場合とそれ以外の場合とでは、前者が後者に比べてに強い非難に値するということは、一般人(裁判員)も首肯することだと思われます。「反省の有無」についても同じことです。
「被害者が親」であるゆえに刑を重くすると、「被害者が親」であることを処罰していることと変わらない、と錯覚してしまいそうなのですが、この事情を考慮しないということは、犯行の動機、方法、前科の有無などの事情を一切考慮しないということと同義になってしまうと思います。
以上、蟻川論文は読んでおりませんが、興味深い記事だったのでコメントさせて頂きました。
ね、法学の世界には難しい問題がたくさんあるのです。
>流れ星さま
量刑論と構成要件論の違いを明確に定義しないといけませんよね。
>あと一回さま
処罰対象にすることと量刑事情にすることって、
どのように違うのでしょう?
そういうことも考えてみましょう。