木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

これ、アカハラだろ(3)

2012-01-08 07:37:29 | Q&A 採点実感
佐渡先生は、続いて訴訟形態の書きもらしについて
一通り、院生を罵倒した後に、原告の主張についてのコメントに入った。
これ以上のアカハラの描写は、さすがに読者の方も辟易すると思われるので、
しばし箇条書きで進めていこう。

「原告側の訴訟代理人は,重要な憲法判例を知っていて、
 主要な学説も知っていると措定しているの。
 何でも主張すればいいってわけじゃないのよ。」
           ・・・・・と言って、ササヅカ君に
           「アナタ、弁護士になったら『有害』ね。」と一言。

  まあ、それはそうだ。
  営業の自由の方が審査基準が厳しいという逆二重の基準論とか、
  生活の平穏への権利は保護されないという自説は、書くだけ無駄だ。

「表現の自由で構成するか、営業の自由で構成するか、への意識が足りず、
 営業の自由・知る権利のみを記載する答案はセンスが悪い。
 わざわざ弱い権利を主張してどうするわけ?」
           ・・・・と言ってハツダイさんに
           「アナタ、法曹としての当事者意識が欠けているのよ。」

  原告としては、できるだけ厳しい審査基準・統制密度の設定
  あるいは、比較考量で有利になるよう失われた利益が大きいことを強調したい。
  本件は、多分、職業選択自体の規制ではないから、
  21条1項の権利制約を主張してほしい、ということだろう。

「特にインターネット上で地図とリンクさせる形で画像を提供することの意味を
 十分に掘り下げて展開している答案が非常に少なかった。」
           ・・・・こう言って、サクラガオカ君に
               いわゆる論証パターンをまとめたノートを捨てさせる。

  設問の事案に即して,情報提供の自由とプライバシーの権利との調整について,
  インターネットの特性を配慮しながら綿密に論じる答案を
  書いてほしかったということだろう。

  ただ、こうやって、事案の特性、インターネットの特性とか、
  そういうことを強調すると、違憲審査基準とかを論じちゃいけない、
  と勘違いされないだろうか?

  多分、佐渡先生が原告について求めているのは、
  原告の行為が、「表現」(21条1項)に包摂される理由になるという論証、
  それを踏まえた厳しい基準の設定、
  目的手段審査や処分審査の中で、事例における特性を抽象論に結びつける議論だ。
   (ここでツツミくんが、二段階審査のあり方について聞いてきたが、
    それは後述予定だツツミ君。)

「表現の自由に言及しているものについても,
 ユーザーの「知る権利」を中心に論じたり,
 Z画像機能の提供が,X社の「自己実現の価値に資する」とか,
 「民主政治の過程に資する」などと論じるのがおおいの。
 こんな論証、辟易だわ・・・。」
                ・・・・こう言って、深いため息をつく。

  ふーむ。単純に、路上の様子を見ることが「知る権利」に資する
  って書いた答案が多かったのだろう。
  何の理由もなしに、この情報は「自己統治」とか言ったら、
  それは、多分、だめだろうなあ。

  家の中の様子が写りこむと言っているが、
  「自分の知らない地域の生活の様子を知ることは、
   国民の相互理解を促し、国政上の判断のために有益だから
   自己統治の価値を有する」とか、
  「公道上から、人々の様子を観察し、
   自らの創作活動に役立てることは自己実現の価値を有し、
   本件画像はそれを補助するものだから、
   一見、知る権利とは関係ないように見えて、
   実は、知る権利に奉仕する情報である。」みたいな具体的な理由なしに
  この情報は知る権利、自己統治とか書いたらだめだ、
  ということだろう。

  しかし、ああいう言い方じゃあ、自己実現とか自己統治とか知る権利とか
  そういう言葉を使っちゃいけないみたいに聞こえるだろう。


  「インターネットによる地図検索システムの提供という権利について,
   本件情報伝達が、典型的な表現の自由と対比させつつ,
   いかに具体的に論理的な考察や検討を展開するかによって,
   答案の迫力に明らかな差が出てきていた。」とか
  「報道の自由と比較しつつ,情報・事実の伝達という点で共通する一方,
   それぞれの目的や自己統治の価値との関連性の程度等に差異があることに
   触れているものや,
   インターネットにおいては送り手と受け手の立場に互換性があること,
   インターネット特有の利便性があること,
   それゆえに容易に二次的利用等による弊害が拡大するおそれがあること等を
   丁寧に論じているものは,平素から正しい方向性をもって学習が進められ,
   出題の意図を正確に理解しているものと感じられた。」とか、
   良かった論証を具体的に示してほしいものだ。


「制約される人権として営業の自由を立てながら,
 法令違憲の理由として,「届出がいけない」,あるいは「営業中止がいけない」など、
 およそ現実的でない議論をしている輩も多かった。」
                 ・・・こう言って、こういう答案を書いた
                 院生に手を上げさせる。
  
  
   これは多分、届出制一般がいけないとかっていってしまったんだろうなあ。

「国家賠償請求との関係で営業の自由侵害の主張はあり得るが,
 その点で適切な論述をした答案は皆無だったわ。
 あなたたち、国賠のこと分かってる?」
                 ・・・こう言って、行政法教授のことを罵倒。

   うーん、正直良く分からんなあ。
   多分、営業損失を求める国賠なら、営業の自由の侵害を主張する必要がある
   ということだろうか?
   しかし、報道の自由の侵害を理由に、その損害評価として営業損失を
   計上しても悪くはないと思うんだが。
   ・・・いや、そうか、国賠で、営業損失を上げ忘れてた答案が多かった
   っていっているのか?多分そうだな。

「法人の人権享有主体性とか、検閲とか、どうでもいいのよ。」

   どうでもいいというのは、まあいいすぎだが、
   この事案で、これを長々と論じても、
   判例上、法人だけど主張OK、検閲なわけねーじゃん
   で終わるからなあ。

 さて、ここまでは、まあ理解できなくはない話であったが、
 佐渡先生は、ここでいっきにヒートアップした。
 (ここまでがまだ肩慣らしなのだから、確かにヤバイ講義である。)

「タマザカイ、立ちなさい。
 何、この『表現の自由は,精神的自由なので裁判所の審査になじむ』って論証?
 『精神的自由以外の人権制約は裁判所の司法審査になじまない』とでも、思ってるの?
 司法権の限界、分かってる?」

 タマザカイさんは、ぶるぶる震えている。
 二重の基準論を表現したくて、
 佐渡先生お怒りの表現を使ってしまったのだろう。

 佐渡先生は、冷たい視線を送ると、「不可・・・確実ね」と言った。

 成績評価は成績表でやってもらいたいもんである。
 佐渡先生には表現の自由があるが、院生にもプライバシーというものがあるのだ。

 さて、多分、佐渡先生は、法的権利(憲法上の権利も含む)の侵害の有無についての争訟は
 法律上の争訟なので、司法権の対象になるはずで、
 「裁判所の審査になじむ」という表現は、法律上の争訟で司法審査の対象になる
 と言う意味で使うべきだと言っているのだろう。

 確かに不注意な表現ではある。
 恐らく、『表現の自由は、精神的自由であり、その侵害は民主的政治過程の中で
 回復困難だから、裁判所が<厳密に審査すべき>』と書くべきとこだったのだ。

 <厳密に審査すべき>あるいは<厳密な審査になじむ>と
 <審査になじむ>では、同じようでいて
 結構違う。こういうところの神経の使い方のなさに、
 佐渡先生はイライラしたようだ。

 私の経験からすると、こういう文章を書いてしまう人は、
 全体に、緻密でない表現が多くなりがちである。
 (例えば、
  「表現の自由に反する」→「表現の自由を保障する21条に反する」と書いてほしい
  「目的が違憲である」→「目的自体が不当で、それに基づく本件規制は違憲である」
             と書いてほしい)
 こういうのは、答案全体の印象がすごく悪くなることが多いのだが、
 例によって、あんな言い方じゃあ、
 「審査になじむ」って書いたから、不可だと思うだろう。嗚呼。

 そして佐渡先生は続けた。

「それにアナタの答案、
 違憲審査基準の展開に終始して、具体的な事情は一切触れてない。
 アナタみたいな答案はねえ、結局「実質的な関連性」みたいなテクニカルタームだけの
 中身のない議論なの。
 いい、今回は、表現の自由と本件におけるプライバシーの権利の調整が必要なのよ。
 何にも事案がわかってない。分析ができてない。」

 うーむ。タマザカイさんは、多分、表現の自由の制約だから厳格審査と設定し、
 何の理由もなしに、本件規制は厳しすぎて実質的関連性がないから違憲と
 処理したのだろう。審査基準の設定から1行。ものすごい電光石火だ。

 違憲審査基準を設定したら、そこから3行の電光石火で終わる答案。
 
 これが俗に言う電撃戦答案である。
 そして、こういう答案は、確かにマズい。
 
 佐渡先生は、タマザカイさんに対し
「アナタなんかが実務に出ても裁判官が聞く耳持つわけがないわね。
 別に憲法訴訟なんて数少ないけど、
 ここで、こんな事案と関係のない答案を書いてしまうのだから、
 他の科目も推して測るべしだわ。
 ……この『有害』娘。」と攻めを続ける。やはりアカハラだ。

 先ほどから言っているように、電撃戦答案は確かにまずいのだ。
 しかし、こういう言い方では、
 「実質的関連性」という言葉を使うことや、目的手段審査をすること自体が
 アウトみたいに受け取られるだろう。
 (だいたい、それがアウトなら、どの判例、教科書で勉強しろというのだ)

 電撃戦答案はダメな答案だが、それがダメなのは、
 違憲審査基準論が悪いからじゃないだろう。

 原告としては、当然、典型的表現規制と同様の厳しい基準を設定して、
 本件停止命令制度が保護しようとしているプライバシーなるものが、
 さほど重要な利益でないこと(規制目的の重要度が低いこと)を主張していくはずだ。

 他方、本件では、
 停止命令が目的達成に役立つこと(関連性)は否定しにくいから、
 実質的関連性がないということを主張するのはスジが悪い。
 LRAがある、という主張をするにも、
 刑罰・直接強制なしの公表付命令だけだから、なかなか難しいだろう。

 というわけで、目的手段審査をやるにしても、手段審査はほとんど意味なくて
 規制法の目的(本件的プライバシーの保護)が
 権利の価値(本件的情報提供の価値)を上回るほど重要か
 という目的審査が中心にならざるをえないのだ。

 だから、本件ではプライバシーと表現の自由の比較考量が求められる
 というコメントになってくるわけだが、
 ああいう言い方じゃあ、目的手段審査をしたからアウトだと思われてしまう。

 こうして、散々な原告主張の講評が終わった。
 ようやく第一問である。

 *推して測るを訂正しました。

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10 コメント

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Unknown (ザッキー)
2012-01-08 09:59:28
佐渡先生、もっとボクを、罵倒して、罵って、侮辱して、踏んづけて下さい。

というのは冗談ですが、最近本屋に行くと、やたらコーチングの本が出版されてますが、佐渡先生はお読みになってないんでしょうね。

僕も内容は良く知りませんけど。(´・ω・`)
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細かいことですが (ジョージ)
2012-01-08 11:20:46
佐渡先生が電撃戦答案について述べているところなのですが、押して測るべしとなっていますが、「推して」が正しいのではないでしょうか?少し気になったのでコメントさせていただきました。
返信する
>ジョージさま (kimkimlr)
2012-01-08 15:09:04
ご連絡ありがとうございます。修正しました。
返信する
>ザッキーさま (佐渡里子)
2012-01-08 15:11:15
はハンっ。あなたの答案も無茶苦茶だったわよ。
覚悟してなさい。

そう言えば、廊下で見てた木村って教師が、
「今年もよろしくお願いします」って伝えといてくださいって言ってたわ。

この観念的で判を押したような
パターン化した挨拶、「有害」ね。ハン。
返信する
Unknown (春美)
2012-01-08 15:11:22
楽しく読ませて頂きました。

私、都内某所の、下町と高層マンションが隣り合う人工島に立地するロースクールに通っておりました。
さすがに佐渡先生のような方はいませんでしたが、授業中に、価値観によって答えが分かれそうな微妙な質問を院生に投げかけ、迷った末出された答えに対して「そういう考えの者に法曹になってもらっては国民が困る!」とこき下ろす先生はおられました。答えた当人は気弱なタイプなので少し落ち込んだ様子でした。

それから、また別の先生なのですが、東京地裁立川支部の改装か何かの話をされ、エレベーターのどこかしらが従前と変わったそうで、「そういう細部に気づかないものは法曹としての適性に欠ける」と自説を展開される先生もいらっしゃいました。その先生は、レジュメ一枚あたり3箇所は誤字や文理の通らない表現を挿入してくるユーモアのある方なので(細部に気づく高い注意力をお持ちなので過失のはずがない)、ギャグかと思ったのですが、真顔だったので多分笑うところではなかったのでしょう。
(全く関係ありませんが、公法系の先生方は温厚な方ばかりでした)

いろいろな先生がおられるのでたくさんある全国のロースクールにはもしかしたら佐渡先生のような方もいらっしゃるかも知れませんね(笑)

返信する
よくわかりました。 (シュナサン)
2012-01-08 17:57:53
「アカハラ1」でコメントしたものです。
先生の翻訳により、よくわかりました。
 ローで、目的審査を簡単にすませすぎてると先生に言われたのを思い出します。
 厳格な審査をするときには、急所に書かれているように、単に「目的が重要で」と書くのではなくて、「目的が(制約された権利の価値を上回るほどに)重要」という風に答案にも書いて、目的審査をきちんとする癖をつけたほうがいいと思いました。
 ただ、採点実感の書きぶりをみると、先生のおっしゃるように、審査基準(特に目的手段審査)が駄目なような印象をうけるので、採点実感の記載の影響力を考えるともう少し丁寧に書いてほしいと思いました。
 引き続き楽しみにしています。
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Unknown (冥王星/大魚の使者兼任)
2012-01-08 17:58:26
おそらく,多くの人は佐渡先生の真の教育的配慮をわかっていないと思う
たとえば,キタジマくんに対する宣言強要は,おそらく謝罪広告事件の不当性を実感させるための教育の実践に外ならない(はず)

なお,教育的「配慮」とは言うものの,それと透けて見えるような微温的・予定調和的配慮は,佐渡先生により「有害」認定されると思います

返信する
どうもありがとうございます。 (kimkimlr)
2012-01-10 05:30:24
>冥王星さま
ふーむ。佐渡先生にそのような配慮があったとは
考えが浅かったです。

>シュナサンさま
そうなのですよ。
違憲審査基準は立てる前も立てた後も大事なので、
基準にあてはめて判断する、という作業が
雑にならないように気をつけなくては
ならないわけです。

>春美さま
法科大学院では双方向で授業することも多いわけですが、
「さすがに、これは知っててほしい」という
ことを答えられない方に出会ったとき、
「ここは勉強しときましょう」と指導するのと
佐渡先生のようにやるのと
どちらが教育効果が高いのでしょう?

考えてみたい課題です。
返信する
Unknown (うん)
2012-01-13 02:02:13
>『表現の自由は,精神的自由なので裁判所の審査になじむ』

受験生視点だと、これは先生のおっしゃることより、
「経済的自由は「~なのでなじまない」」の単純な反対解釈(もちろん誤り)と思います。

民主政の過程で回復困難、も間違えやすいかも。
(回復できるから経済的~はOK)
いかがでしょうか?
返信する
>うんさま (kimkimlr)
2012-01-13 07:44:14
ごめんなさい。ちょっと、ご趣旨が良くわからないのですが、
もう少しおっしゃっていることを説明していただけますか。
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