Unknown (k.s)
2011-12-12 12:23:18
先生。こんにちは。
内容中立規制と、判例のいう間接付随的規制の関係を教えていただけないでしょうか。
どちらも規制態様の話で、表現内容を狙って規制するものではないから、そうした場合に比べたら審査基準は緩やかになる、という点ではどちらも共通なのだと思っています。
仮に表現できなくなっても、それはワザとではないから(誰かを殴ったら隣のひとに肘があたってしまったとか、故意と過失のちがいのようなイメージで)、それほど規制態様は強くはない、という感じで理解しています。
ただ、内容中立規制は時場所方法に着目して規制しているので、規制から外れた時場所方法で自由に表現行為を行える、という意味で、規制態様が緩やかだ、という考え方も聞いたことがあります。これだと、時場所方法の規制が広範なものになればなるほど、内容中立とはいっても内容規制の基準に接近していきそうです。このような理解だと、間接付随的規制とは違う、ということになると思います。
どちらの理解が通常の理解なのでしょうか?それともどちらも間違ってるのでしょうか。よろしくお願いします。
>K.sさま (kimkimlr)
2011-12-12 14:31:33
こんにちは。
例の猿払判決の文脈では、
内容に着目した規制のうち、
その内容自体が悪質であるという理由での規制を
直接的規制と呼びます。
他方、
内容中立規制および
内容規制のうち、その内容自体は悪質でないが、
それが引き起こす政治的中立性の信頼低下や
名誉の低下や性風俗のかく乱など、
それが引き起こす害悪が悪質だという理由での規制を
間接的付随的規制といいます。
もっとも判例の言う直接的な内容規制に該当するような事例は、
教室説例を含め発見されたことがなく、
業界ではツチノコ規制(ホントにいるのそれ?規制)と呼ばれています。
ただ、まあ、理念としては分かるかな、とは思います。
追記:
最近、長谷部先生が、『憲法訴訟の現状分析』(有斐閣、本年4月4日発売)の中で
この問題を詳しく解説しています。
ぜひご参照ください。
2011-12-12 12:23:18
先生。こんにちは。
内容中立規制と、判例のいう間接付随的規制の関係を教えていただけないでしょうか。
どちらも規制態様の話で、表現内容を狙って規制するものではないから、そうした場合に比べたら審査基準は緩やかになる、という点ではどちらも共通なのだと思っています。
仮に表現できなくなっても、それはワザとではないから(誰かを殴ったら隣のひとに肘があたってしまったとか、故意と過失のちがいのようなイメージで)、それほど規制態様は強くはない、という感じで理解しています。
ただ、内容中立規制は時場所方法に着目して規制しているので、規制から外れた時場所方法で自由に表現行為を行える、という意味で、規制態様が緩やかだ、という考え方も聞いたことがあります。これだと、時場所方法の規制が広範なものになればなるほど、内容中立とはいっても内容規制の基準に接近していきそうです。このような理解だと、間接付随的規制とは違う、ということになると思います。
どちらの理解が通常の理解なのでしょうか?それともどちらも間違ってるのでしょうか。よろしくお願いします。
>K.sさま (kimkimlr)
2011-12-12 14:31:33
こんにちは。
例の猿払判決の文脈では、
内容に着目した規制のうち、
その内容自体が悪質であるという理由での規制を
直接的規制と呼びます。
他方、
内容中立規制および
内容規制のうち、その内容自体は悪質でないが、
それが引き起こす政治的中立性の信頼低下や
名誉の低下や性風俗のかく乱など、
それが引き起こす害悪が悪質だという理由での規制を
間接的付随的規制といいます。
もっとも判例の言う直接的な内容規制に該当するような事例は、
教室説例を含め発見されたことがなく、
業界ではツチノコ規制(ホントにいるのそれ?規制)と呼ばれています。
ただ、まあ、理念としては分かるかな、とは思います。
追記:
最近、長谷部先生が、『憲法訴訟の現状分析』(有斐閣、本年4月4日発売)の中で
この問題を詳しく解説しています。
ぜひご参照ください。
木村さんの説明は、本当に分かりやすいです(*^_^*)
使う機会があれば、今年の本試験で「間接的付随的規制」というキーワードを、ビシッと示したい思います
夷険一節。
よくわからないのですが、間接的付随的規制は、その表現が及ぼす弊害・害悪を防止するための規制という理解で良いのでしょうか?
そうだとすると、言い方によってはおよそあらゆる内容規制を間接的付随的規制にできるように思えるのですが・・・。
先日、模試で小学校の生徒が他の生徒のプライバシーを侵害するような内容を生徒会誌に記載したところ、それを学校側に規制されたという問題が出題されまして、自分は間接的・付随的規制だという学校側の反論を書きました。
しかし、これを間接的規制とすると何でも間接的規制にでっち上げることができるから、自分の理解は間違ってるのではないかと思いました。その結果、純粋に表現行為に不可避的に伴う行為以外の何らかの行為を伴う場合にそれによって生じる弊害を防止しようとするのが間接的規制なるものなのかと考えておりました。
でも、ツチノコ規制(笑)と呼ばれているくらいなので、この場合でも間接的・付随的規制といっても良いということなのでしょうか?たしかにこれを間接的・付随的規制というのであれば、直接規制はありえない気がしますね。
宍戸先生が「応用と展開」の130ページ以下で、保護領域論と絡めて間接的・付随的制約について書いており、僕は、猿払事件でいう間接的付随的制約について以下のように理解していました。
すなわち、「意思表明の自由」と「政治的行為の自由」とを分け、前者は21条1項の保護領域に含まれるが後者は含まれないことを前提に、後者から生じる弊害を除去すべく同行為を制約したところ、これと結びつく限りで21条の保護領域に含まれる前者自由を侵害することになってしまった場合、これを表現の自由に対する間接的制約である、という。これは、「表明される意見の内容とは無関係に、これに伴う行動がもたらす弊害を防止することを目的とするもの」(宍戸p.39)と同一だと思います。
この理解との対比では、直接的規制には「表明される意見がもたらす弊害を防止するためにその意見の表明を制約するもの」(宍戸p.39)も含まれることになり、内容中立規制×直接的規制という場面を実際上も想定可能となります。
混乱しているため文章がごちゃごちゃしていますが、ご回答よろしくお願いします。
表現内容に着目して、特定内容の表現行為を規制することは、
表現内容規制に分類されます。
ですから「表明される意見がもたらす弊害を防止するためにその意見の表明を制約する」規制は
表現内容規制以外の何物でもないと思いますが、いかがでしょう。
すみません、該当箇所については僕が読み間違えていました。「表明される意見がもたらす弊害を防止するためにその意見の表明を制約する」規制は完全に内容規制ですね。「表現行為自体がもたらす…」と読み違えていました。しかもいま読み返すと、イマイチよくわからない質問をしていました。申し訳ありません。。
改めて率直な形で質問です。そもそも論的な質問でしかも失礼な質問になってしまうかもしれないのですが、記事における、直接規制と間接的付随的規制の区別の理解は一般的なものなのでしょうか。
たとえば、宍戸「応用と展開」の130ページでは、「(猿払事件における)ビラ貼り行為は言論・出版と同様、端的に表現行為として憲法21条により保護されており、この行為の規制は直接的制約であると解すべきではないでしょうか。」「戸別訪問の禁止は、…選挙運動のための戸別訪問だけを禁止しているのですから、これも表現の自由の直接的制約とみるべきです。」との記載があり、21条の保護領域内の行為につき、その行為から生じる弊害を除去するために規制を加えた場合には直接的制約となる、という理解が前提とされているように思います。
そうすると、香城氏が表現の自由の制約の型として挙げた(ア)「表明される意見がもたらす弊害を防止するためにその意見の表明を制約するもの」、(イ)「表明される意見の内容とは無関係に、これに伴う行動がもたらす弊害を防止することを目的とするもの」(ウ)略、のうち、(ア)は表現の自由の直接的規制、(イ)は表現の自由の間接的付随的規制、ということになるのではないのでしょうか。香城氏が(イ)の規制については「それによって生じる表現の自由の制約は付随的な結果にとどまる」と論じていますが、その裏返しとして、やはり(ア)は直接的制約の場面であるという理解がなされているのではないでしょうか。
この分類方法を前提とすれば、直接的規制は決してツチノコ規制とは呼べなくなりそうなのですが、どうなのでしょう。この点につき、先生のご意見を賜りたいです。よろしくお願いします。
タックさんは、
「直接的制約」の定義をどう理解しているのですか?
僕は、直接的規制を「表現行為自体から生じる弊害を除去するために当該表現行為を制約する規制」ととらえています。
先生の直接的規制の定義との違いは、かならずしも表現の内容をなす意見の悪性を理由としない場合であっても、制約の第1次的なターゲットが21条1項の保護領域の範囲内にあるのであれば直接的規制と捉える点です。
この意味で、デモ行進を交通秩序の維持を目的として制約する場合、デモ行進の自由が21条1項により保障されるものであるとの前提では、当該制約は、内容中立規制ではありますが、表現の自由に対する直接的規制ということになります。
猿払上告審の認定(政治活動禁止は直接的規制ではない)と矛盾するので
判例の定義とは違っていると思いますが、
どうでしょう?
「要するに,本件政治的行為の規制は表現そのものの制約ではなく,表現の制約は間接的・付随的に生ずるにすぎないのみならず,同じ内容の表現は政治的行為以外の方法で行いうるのであるから,失われる利益は小さいという評価である。
この議論は,政治的行為と表現行為とが区別できるということを前提としている。たしかに,法の禁止する「政治的行為」には,表現とは言い難い行為が含まれていないわけではないから,すべてを一括して政治的行為と捉えれば,表現そのものから区別しうるように見える。しかし,禁止された政治的行為の具体的内容(人事院規則14-7第6項の各号)を見ていけば,その大部分が従来表現行為として理解されてきた行為である。にもかかわらず,「禁止されているのは政治的行為であって表現行為ではない」と捉えるのは,不自然であろう。むしろ,その大部分が政治的な表現行為を禁止していると捉えるのが常識的であると思われる。」
と書いておられます。侵害主体の主観により直接的制約・間接的制約が区別されるのであれば、すなわち、その内容自体が悪質であるという理由での規制なのか、その内容自体は悪質でないが、それが引き起こす政治的中立性の信頼低下や名誉の低下や性風俗のかく乱など、それが引き起こす害悪が悪質だという理由での規制なのかによりえり分けられるのだとすれば、「表現行為の自由の制約ではあるが、制約主体の意図するところはそこから生じる弊害の除去にあったにすぎない」と説明すれば十分であり、被侵害利益を、21条1項の保障を受けない政治的行為の側面と、同条項の保障を受ける表現行為の側面とを区別してとらえる必要はなかったはずです。なので、高橋先生の猿払事件における「間接的制約」のとらえ方、及びおそらくそれを前提とする宍戸先生の説明と、木村先生や長谷部先生のとらえ方は異なっている気がします。高橋先生や宍戸先生の理解においては、規制の第1ターゲットとなる行為が21条1項の保護領域に含まれるものなのかどうかにより直接間接を分けているように思います。
現在、僕は宍戸連載を中心に勉強を進めているのですが、個人的には、ここの部分については、木村先生方の考え方のほうが判例理解としては無理がないように思うのですが、この「直接的制約・間接的制約」に関する議論のズレについて、先生の考えをお聞きしたいです。