唯物論者

唯物論の再構築

機械増加vs利潤減少

2010-11-16 06:54:23 | 資本論の見直し
恐慌と機械増

 旧来のマルクス経済学での恐慌の説明では、利潤率低下が過剰供給を必要とし、過剰供給が富者の利潤を減少させ、さらなる利潤低下と過剰供給の連鎖により恐慌が発現する。つまり過剰供給が、富者の利潤を減少させる役割を果している。過剰供給の一つの原因として購買力の低下、つまり失業者の増加があるが、それとは別に機械の増加、つまり不変資本の増加がある。不変資本の増加は必要経費の増加として富者の利潤減少に関わるが、重要なのは不変資本増加による必要労働力の減少である。なぜなら利潤の源泉は、貧者からの搾取部分だからである。確かに資本構成中の機械部分の比率が増大すると、逆に労働力部分の比率、つまり可変資本比率が減少する。しかし比率の減少は、マルクスも認めるように、量の減少を意味しない。部分比が減少しても、全体量がその減少幅をカバーするほど増加するなら、減少した部分比に対応する量は増加するからである。そうであっても不変資本比率の増大と可変資本比率の低下は同義である。このことから、利潤率低下法則が成立するような錯覚が生まれる。ところが成立するのは、可変資本比率の低下法則であり、利潤率の低下法則ではない。明らかにマルクスは、可変資本比率低下法則を利潤率低下法則にすり替えている。しかも可変資本比率の低下傾向は、利潤の増大と利潤率の上昇傾向に連繋する。したがって資本主義社会では、利潤率低下法則ではなく、むしろ利潤率上昇法則が成立すると言うべきとなる。

 機械増加が富者の利潤を増加し、必要労働力を減少する例、さらには必要労働力を減少させない例を以下に示す。
 例証にあたり想定する可変資本減少の前の資本主義社会の状態は、先行ページで想定したものと同じである。(==>過剰供給vs利潤減少 [例証で想定する資本主義社会の初期状態])

貧者A・B・Cの必要生産物(=労賃)および必要労働時間貧者A・B・Cの剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者A・B・Cの生産物全数および総労働時間
3人分の生活資材1人分の生活資材4人分の生活資材
18時間6時間24時間

可変資本比率 100%
人間生活維持に必要な労働時間 6時間
利潤率 33.33%



可変資本比率減少で可変資本が減少する例

 最初の想定での労働生産性を1.5倍向上させる。このため想定5の内容を以下の想定5bに変更する。

 想定5b) 8時間で1人の貧者は、2人分の生活資材を生産する。

 これだけでは先行ページ(過剰供給vs利潤減少)と同一の変更内容と結果になるので、加えて最初の想定に不変資本を追加し、可変資本比率を50%に減少させる。このため想定6の内容を以下の想定6bに変更する。

 想定6b) 資本構成では不変資本部分が55%を占める。
        可変資本部分を貧者3人と想定しているので、不変資本部分の対価は1.65人分の生活資材となる。
        不変資本の作成と維持管理は資本の第二部門が行う。

 上記変更の想定6bと元の想定1の貧者数に従えば、第一部門(旧来の生活資材の生産ライン)で必要な生産物全数は6商品である。この場合の第一部門の生産物の内訳は、労賃対価の3商品と不変資本対価の3商品である。したがって想定5bでの労働生産性を向上させるか想定6bの不変資本対価を減少させない限り、資本の第二部門に労働力を分配できない。ここでは第二部門に労働力を分配し、かつ全体で想定5bの労働生産性を維持できるように、想定5bの内容を以下の想定5dに変更する。

 想定5d)  資本の第一部門では、8時間で2人の貧者が6人分の生活資材を生産する。
        資本の第二部門では、8時間で1人の貧者が1.1基の不変資本を生産する。
.        不変資本1基を1.5人分の生活資材と等価に扱う。
        したがって不変資本1.1基は、1.65人分の生活資材と等価になる。
        不変資本1基の寿命を7時間16分とする。資本の第一部門は、1労働日で不変資本1.1基を消費す
.        る。

 この変更で、1日の商品生産での生産物と労働時間の内訳は、資本の第一部門だけに限ってみると、次のように変わる。

(第一部門:可変資本2人+不変資本1.1基)
貧者2人の必要生産物(=労賃)および必要労働時間不変資本1.1基に充当する必要生産物および必要労働時間貧者2人の剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者2人の生産物全数および総労働時間
2人分の生活資材1.65人分の生活資材2.35人分の生活資材6人分の生活資材
5時間20分4時間24分6時間16分16時間


 貧者1人の1日の労働は、6人分の生活資材を生産している。つまり貧者1人の商品生産は、自分1人再生産に要する不変資本対価と富者1人の社会全体の需要を満たすだけでなく、単純な見方で良ければ、剰余生産物を2.35人分の生活資材に増加した形の単純再生産状態に拡大再均衡している。つまり労働生産性向上のおかげで富者は、以前より2.35倍の服を着込み、2.35倍の食事をし、2.35倍の家に住めるようになった。ちなみに可変資本比率・貧者一人当たりの必要労働時間・利潤率は、次のようになる。

  初期想定可変資本比率  減少後
可変資本比率    100%   54.8%
人間生活維持に必要な労働時間    6時間 5時間20分
利潤率  33.33%   64.4%


しかし富者が本当に裕福になるためには、最初の想定に加えて、次の想定7aを必要とする。

 想定7a) 富者は、1日あたり貧者2.35人分の生活を行う。

上記の想定をしないと、もともと3人だけのこの資本主義社会だと、需要が4.65商品、供給が6商品の需給不一致が発生する。つまり、富者が6商品を市場に出しても、貧者と富者の分が3商品売れ、残り1.65商品を不変資本対価にまわすので、1.35商品が売れ残る。富者の手元に実体化する利潤は、相変わらず1人分の生活だけである。したがって富者は、裕福になるのに失敗する。ただしその場合でも資本主義も経済危機に陥るわけではなく、富者の恒久的な貧者支配も可能である。
 なお富者の贅沢消費は、貧者の消費節約と違い、実行するのは簡単である。過剰供給と必要生産物量の需給ギャップに恐慌の原因を求めるのは、無意味である。想定7aに対応する資本主義が行う需給ギャップの克服方法を別の箇所(==> 過剰供給vs必要生産量)で述べる。

 上記の第一部門だけを見ると可変資本比率・可変資本量とも減少している。しかし実際には第二部門に減少した可変資本が充当されているので、ここで想定した社会全体の可変資本量は減少しない。


可変資本比率減少でも可変資本が減少しない例

 上記例の資本の第二部門での、1日の商品生産での生産物と労働時間の内訳は、次のようになる。

(第二部門:可変資本1人) 
貧者1人の必要生産物(=労賃)および必要労働時間貧者1人の剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者1人の生産物全数および総労働時間
不変資本0.67基不変資本0.43基不変資本1.1基
=1人分の生活資材=0.65人分の生活資材=1.65人分の生活資材
4時間51分3時間9分8時間


 上記の第一部門と第二部門の内訳を分離しない場合、両部門は単純に同一作業工程上にあるものとなる。この場合、第二部門で作成した不変資本を第一部門で消費し尽くすものとして表示から除外できる。結果的に次のような内訳になる。

(第一部門と第二部門の内訳の統合)
貧者3人の必要生産物(=労賃)および必要労働時間貧者3人の剰余生産物(=利潤)および剰余労働時間貧者3人の生産物全数および総労働時間
3人分の生活資材3人分の生活資材6人分の生活資材
14時間35分9時間25分24時間


資本論の記述でも、分業を協業の発展形態に扱っており、機械にしても、それらの発展の延長上に位置付けている。この意味では、部門ごとに分割しない方が本来の内訳の姿でもある。逆に二つの生産ラインを分割しない方が、社会全体の必要可変資本量を理解するのに有利である。
 なお機械を協業の進化形態として理解できるなら、不変資本そのものが可変資本の塊でしかないこともはっきりする。不変資本の増加はそれ自体が可変資本の増加なので、不変資本増加により減少する実際の可変資本量は次の式になる。

 不変資本増加により減少する可変資本量
         = 不変資本により不要化した可変資本量 - 不変資本の作成と維持管理に必要な可変資本量


この式は、不変資本増加による必要可変資本量の減少が、単純に生産性向上であるのを意味する。つまり可変資本の減少は、不変資本増加が原因なのではなく、生産性向上が原因である。この両者を区別しないと、ラッダイト運動のように、原因追及の鉾先を被造物に向ける誤りに繋がる。
 ちなみにマルクスが指摘するように、第二部門の生産工程は、第一部門の生産工程の開始前に完了している必要がある。このことは二つの生産工程で構成された資本の再生産過程の撹乱要素となる。また年間生産価値総量と年間生産物価値総量との差異を産む。しかしそのことは資本主義固有の経済体質の脆弱性ではないし、代替商品や保険機構などの様々な対応策を資本主義はすでに用意してもいる。また通時的に生産価値総量と生産物価値総量は同一化する。したがってここでは、生産工程の年次的順序を無視する。

 貧者3人の1日の労働は、6人分の生活資材を生産している。つまり貧者3人の商品生産は、自分たち3人と富者1人の社会全体の需要を満たすだけでなく、単純な見方で良ければ、剰余生産物を3人分の生活資材に増加した形の単純再生産状態に拡大再均衡している。つまり労働生産性向上のおかげで富者は、以前より3倍の服を着込み、3倍の食事をし、3倍の家に住めるようになった。ちなみに部門全体で見た場合と部門を限って見た場合の可変資本比率・貧者一人当たりの 必要労働時間・利潤率・剰余価値率および貧者一人当たりの労働生産性・労働生産性向上率は、次のようになる。

全体第一部門第二部門
可変資本比率 64.5% 54.8%  100%
人間生活維持に必要な労働時間3時間24分2時間40分4時間51分
利潤率 64.5% 64.4%  65%
剰余価値率 100%117.5%  65%
労働生産性 2商品 3商品1.65商品
機械化による労働生産性向上率 1.5倍 2.25倍 1.24倍


なお富者が本当に裕福になるためには、上記の想定に加えて、次の想定7bを必要とする。

 想定7b) 富者は、1日あたり貧者3人分の生活を行う。

 上記の想定をしないと、もともと4人だけのこの資本主義社会だと、需要が4商品、供給が6商品の需給不一致が発生する。つまり、富者が6商品を市場に出しても、4商品だけが売れるだけであり、2商品が売れ残る。富者の手元に実体化する利潤は、相変わらず1人分の生活だけである。したがって富者は、裕福になるのに失敗する。ただしその場合でも資本主義も経済危機に陥るわけではなく、富者の恒久的な貧者支配も可能である。

 なお第二部門だけが生産性を向上した場合、または同じ事であるが、第二部門生産物の不変資本の寿命が伸長した場合、剰余生産物が不変資本として現われる可能性がある。富者は不変資本を生活資材として商品市場から引き取って消費するわけにいかない。この場合でも富者は、裕福になるのに失敗することになる。
 なお富者の贅沢消費は、貧者の消費節約と違い、実行するのは簡単である。過剰供給と必要生産物量の需給ギャップに恐慌の原因を求めるのは、無意味である。想定7bに対応する資本主義が行う需給ギャップの克服方法を別の箇所(==> 過剰供給vs必要生産量)で述べる。

 なお資本論では、業務内容に生産的であるか非生産的であるかの差別をつける混乱がある。上記例のように不変資本を生産する第二部門を空費に扱わない一方で、例えば商品保管や金融経理のような第二部門を空費にみなす混乱である。この点について別途記述する(==>流通費
(2010/11/16 ※2015/08/03 ホームページから移動)


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資本論の再構成
           ・・・ 利潤率低下vs生産性向上
           ・・・ 過剰供給vs利潤減少
           ・・・ 搾取人数減少vs利潤減少
           ・・・ 機械増加vs利潤減少
           ・・・ 過剰供給vs必要生産量
           ・・・ 労働力需要vs商品市場
           ・・・ 過剰供給vs恐慌
           ・・・ 補足1:価値と価格
           ・・・ 補足2:ワークシェア
           ・・・ 補足3:流通費
           ・・・ 補足4:商人資本
           ・・・ 補足5:貸付資本
           ・・・ あとがき:資本主義の延命策

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