唯物論者

唯物論の再構築

国別通貨価値(1)

2013-11-10 09:47:47 | 各論

 ドル高とかユーロ高という表現は、一般的に該当通貨の日本円表示が以前と比べて高くなることを言う。例えば前月に90円だった1ドルが、今月に100円になっているなら、それはドル高であり、ドル基準で言い直すと円安である。しかし期日比較もなしに交換レートだけを示されても、貿易に通じた業者でもない一般人にとって、その通貨の割高や割安の判定は困難である。ただし貿易業者になったつもりで、交換レートを通じて二国間における特定の商品価格をどちらかの国の通貨単位に換算した場合、今度は誰にとっても、その商品の割高や割安の判定を行うのが簡単になる。例えばニューヨークで買う大根が1本1.5ドルで、1ドル100円の円換算なら150円だとし、東京で買う大根が1本200円であるなら、ニューヨーク大根の方が東京大根より安いと判断できる。

大根1本円換算(1ドル=100円)
ニューヨーク1.5ドル150円
東京200円200円

実はこの例でのニューヨーク大根の安さは、そのまま通貨としてのドルの安さの表現にもなり得る。仮に人間が大根1本で一日の生活の全てをまかなう生き物だとすれば、この大根1本の値段はそのまま平均賃金として現れるからである。この想定でのニューヨークの人件費は、東京の人件費の4分の3として現れることになる。そしてこのような賃金水準の差異は、アメリカと日本の間の商品価格の差異にそのまま転化可能である。もちろん逆に、ニューヨーク大根1本の値段が3ドル=300円の割高だとしても、今度はニューヨーク大根の高さが、そのままドルの高さを表現することになる。
大根1本円換算(1ドル=100円)
ニューヨーク3ドル300円
東京200円>200円


このように特定の商品を基準にして考えるなら、二国間における通貨価値の高低は、二国間におけるその商品の値段を、どちらかの国の通貨単位に換算することで表現可能となる。ただし通貨がこのような特定商品と異なるのは、それが不特定商品との交換を保証する債券だということにある。この「不特定商品」と言う名前の商品は、実際の商品交換を行なう際に、大根や衣服などの特定商品、または地代やタクシー代などの特定商品対価として現れ得るような商品全般を指す。しかしこの不特定商品は、抽象とはいえ、具体に根を持つ実在である。少なくともその値段は、一国における商品総覧の全価格合計として現れ得る。ただし交換される商品が特定商品であろうと、不特定商品であろうと、もともと債権とは交換される商品の代理品にすぎない。したがってどちらかの国の通貨単位に換算するのであれば、二国間における不特定商品の値段は、通貨の高低を大根で表現した例と同様に、そのまま二国間における通貨価値の高低を表現するはずである。 なおこの不特定商品としての商品全般は、一国における商品総覧として現れ得るとしても、二国間における通貨価値を表現するその商品塊は、ただ単に全品目を網羅しただけの商品総覧になるべきではない。なぜなら先進国ではゲーム機やパソコンが商品総覧に必要となるかもしれないし、途上国では必ずしもゲーム機やパソコンが商品総覧に必要ないかもしれないからである。と言うのも、ここでの不特定商品としての商品全般は、対象となる国における平均的な人間生活を可能にする品目に限定された商品総覧となるべきだからである。それはウニやナマコや鶏足のような民族的な食へのこだわりと同様に、その商品を必要な民族にだけ有効な品目であり、そうでない民族には不要な品目だからである。当然この観点をさらに推し進めて、この商品総覧を完全なものにしようと考えるなら、さらにその商品総覧の各品目について、その国の平均的な人間生活で必要とされる量をそれぞれ搭載すべきである。結果的に不特定商品は、特定商品の場合と違い、その内訳が二国間において最初から差異を持つことになる。しかしこのことは、二国間における人間生活の当然な差異であり、二国間における人件費、さらには通貨価値の差異を基礎づけている。


1.近代植民理論の現在

 低廉な商品価格は、他の同業他社に対して該当商品の販売を有利にする。当然ながら低廉な商品価格は、競合する他国商品に比べて該当商品の輸出を有利にする。もちろんこのような商品には商品としての労働力も含められており、低廉な人件費は商品としての労働力の販売を有利にする。一方で各国間の通貨価値の差異は、国の対外関係において商品価格全般を、相対的に高騰ないし下落させる。またそもそもそのことが、通貨価値という言葉の意味である。結果的に通貨価値が比較的高い国は、特段の質の差異が無ければ、通貨価値が比較的安い国で作られた低廉な商品を購入し、自国の高価な商品を購入しなくなる。通貨価値が比較的低い国も、商品生産のために特殊条件を必要とするような商品で無ければ、自国での該当商品の生産を優先し、ことさら外国の高価な商品を購入する理由を持たない。 このような国際的な通貨価値と商品価格の一般的な相関では、通貨価値の低い国の商品が安く、通貨価値の高い国の商品が高い。ところが個々の商品において、通貨価値の低い国の商品が、通貨価値の高い国の商品よりも高い場合は可能であるし、逆に通貨価値の高い国の商品が、通貨価値の低い国の商品より安い場合も可能である。そのことは、マルクス「資本論」での近代植民理論にも論じられている。先進国の技術は、高品質な商品を生産するために必要な労働力を大幅に削減し、発展途上国よりも安価な商品を実現するからである。また産業インフラを整備できていない発展途上国では、商品や労働力の移動でさえ容易ではない。また識字率の低さなども含めて途上国の労働力は質が低い場合が少なくない。それらの産業的マイナス条件は、途上国における商品生産コストをさらに押し上げるものである。このような観点では、むしろ一般に、植民地の商品よりも先進国の商品の方が安価で高品質となる。つまり途上国の商品の方が先進国の商品を駆逐するのではなく、先進国の商品の方が途上国の商品を駆逐することになる。この場合に先進国は、当然ながら植民地の低品質で高価な労働力の購入をためらい、自国の高品質で低廉な労働力の輸出を目指す。ただし自国の労働力の輸出は、単なる自国商品の輸出として済む話ではない。それは人間の商品化として、対外的にも国内的にも重大な問題を引き起こす。途上国の商品を駆逐したように、途上国の人間を駆逐できないからである。しかも長期的に見るとこのような自国労働者の衝動売りは、自国労働力の低廉さを無意味なものに変える。まず自国からの貧民輸出は、国内労働力の供給量を減少させ、国内労働力の調達を困難にしてそれを高価にする。また植民地に帰属した自国貧民も、高品質で低廉な労働力へと世代交代すると限らない。その労働力属性を支えた社会基盤や産業インフラが、植民地に存在しないからである。そもそも自国からの貧民輸出は常に、ある程度の潜伏期間を経て、植民地における独立運動や異文化対立に至るという最大の障害に遭遇する。このために植民地における外国人入植者と現地人の間で起きた所有を巡る対立は、しばしば帝国主義列強による途上国の武力支配を必然にした。 上記のような商品交易ルートは、戦前の帝国主義列強の植民地支配に多くの事例を見出すことができる。しかしこのような戦前型の商品交易ルートは、産業空洞化に悩む現代先進国の商品交易ルートと異なり、駆逐される商品の流通方向も生産拠点も逆である。このような商品生産拠点の逆転をもたらしたのは、第二次世界大戦でのアメリカを除く旧帝国主義列強の産業基盤の破壊と旧植民地における独立運動の勝利、そして旧帝国主義内部で進行した共産主義運動や人権活動の存在である。これらは理不尽な植民地支配の実態を白日の下に暴き、旧帝国主義列強による植民地支配を通じた資源独占、および商品市場の独占を排除する役割を果した。そして途上国の相次ぐ独立とともに、戦後世界における植民地支配を通じた資源と商品市場の独占も、アメリカを例外として、不可能かつ無意味なものと変わっていった。また戦後世界に猛威をふるった共産主義運動が、先進国における労働力価格を高騰させると、それは商品生産拠点の発展途上国への移動に連鎖した。そしてそのことが旧帝国主義列強から新興国への金流出を招き、最終的にこの金流出がアメリカを悩ませたあげくに、その回避策としての金本位制から変動相場制への移行を動機づけた。 変動相場制による各国通貨価値の変動容認は、通貨への各国の経済力評価を反映して、経済的優良国家の通貨高と経済的不良国家の通貨安をもたらす。しかしそれと同時に、通貨高ゆえの輸出不振と通貨安ゆえの輸出依存を、先進国と途上国のそれぞれに割り振るようになった。そこで通貨価値が比較的高い国は、今度は外国の低廉な労働力の購入を目指すことになる。しかしここでの外国人労働力の輸入は、単なる外国商品の輸入に済む話ではない。それは人間の商品化として、対外的にも国内的にも重大な問題を引き起こす。商品を購入して廃棄するように、外国人を購入して廃棄することは許されないからである。しかも長期的に見るとこのような外国人労働者の衝動買いは、外国人労働力の低廉さを無意味なものに変える。植民地から奴隷を輸入しても、その低廉さを支えた植民地の低劣な生活基盤や雇用環境、すなわち奴隷を奴隷のまま酷使する環境が国内に存在しない。また外国からの奴隷購入は常に、ある程度の潜伏期間を経て、奴隷反乱や異文化対立に至るからである。このために低廉な労働力の購入を目指す国内資本は、直接に生産拠点を通貨価値が比較的低い国へと移し、そこで生産した商品の自国輸入を目指すことになる。 資本輸出を通じた資本の多国籍化は、生産拠点を国外に置いた時点で、自らの母国を単なる輸出先の一つに変えてしまう。低廉な人件費を背景にして競争力を得た在外資本は、その安値攻勢で自国も含めた国際市場を席捲し、出身母体の自国産業をさらに荒廃させるからである。しかも在外資本と旧来の国内資本は、結託して低賃金労働と安値攻勢を推進し、内外の同業他社を駆逐する形で利益の拡大を図るようになる。母国に陣取る国内労働者にしても、人数や給与額を縮小させられ、自らの雇用と現状の労働条件を守るのが精一杯である。結果的に、産業空洞化で得られた利益は、第一に在外資本の充実と国外労働者へと優先的に分配され、次に富者の蓄財に進む。しかしその利益が国内労働者へと分配されることは無く、分配されることがあったとしても、その優先順位は低い。国内労働者への利益分配は、富者の蓄財がおこぼれとして市場へと溢れ出し、富者の蓄財よりもはるかに縮小した規模で雇用と労働条件が改善される形で、分配が実現されるのを待つしかない。もちろん自らの職場と生活を維持できた国内消費者には、商品価格の低下という恩恵が与えられるであろう。しかし雇用と労働条件の悪化に晒された国内労働者は、商品価格の低下を喜ぶ以前に、喜ぶための生活基盤の喪失という危機に直面する。 このような旧帝国主義列強による世界のブロック分割から、アメリカドルを中心にした戦後経済秩序への移行とは、旧帝国主義列強の内部に陣取っていた国内資本の生息地の移動、すなわち資本の国際化の別表現だとも言い得る。そしてこの経済事象の一連の流れは、旧帝国主義列強の商品が持っていた全般的安価の基礎を突き崩し、先進国の国内経済の衰退と途上国経済の勃興に繋がっている。したがってレーニンの帝国主義論が想定したような国家に隷属した資本は、現代世界では時代遅れの存在である。言うなればそれは、旧時代の民族主義者の姿をしている。それに比べると現代の資本は、労働者階級よりもはるかに国際主義的である。そもそも資本にとって国家への隷属は、その自己増殖意義においてあまり意味を持たない。むしろ現代では、国家の方が資本に隷属している。同様に現代の民族主義も、自国の領土的拡張ではなく、他国への資本進出において自らの正当性を確認するように変わってきている。ただし実際にはその正当性も、旧時代の民族主義と同様に、在外資本が自らの進出先の住民生活向上を実現できたかどうかに掛かっている。しかしその正当化は、自国貧民の雇用環境を破壊するものであり、国民生活の劣化を代償として要求する。このような資本の国際化による帝国主義論の旧態化は、レーニンに限らずマルクスの近代植民理論にも遡及している。国家と資本の隷属関係の逆転は、原住民の殲滅と貧者の輸出という形の、旧時代の植民地政策を無意味なものに変えたからである。現代資本主義は、国内からの貧民輸出や植民地からの奴隷輸入をせずとも、生産拠点に陣取る原住民を労働力として使うのが妥当であるのを大筋で理解している。(2013/11/10) (続く)



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