南北に1条から九条、東西に朱雀大路を中心に左京、右京それぞれ1坊条から4坊とし、その区画をさらに東西南北に4×4の16等分としその一つを「坪」とした。東西八坊に加えて朱雀大路を入れ九坊となる。「九」は数字の極まり、最高の数字でその中に天皇がいる状態。そのほか左京の東側に外京を置き5坊、6坊、7坊とした。各大通りは532メートル幅。この区画割りに用いた「物差し」や直角をだす「定規」はどのようなものだったのか、またどのようにしてそれらを用いたのか興味がわくところだ。
(今日の歴史=1205年北條時政が畠山一族を討伐する)
(今日の歴史=1205年北條時政が畠山一族を討伐する)