《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

富雄川流域探索「杣(そま)川(がわ)2」

2021年06月07日 | Weblog

杣川は今の学園前「こうの上池・下池」から南に流れ、
富雄南小学校と砂茶屋の中間あたり「第二船場橋」で富雄川に合流する。
杣木谷はその昔、大木の茂る山で杣師が管理し、
神社などに使う木材の切り出しに従事していた場所でもあるらしい。
切り出した用材は杣川へ流し富雄川へ、
そして木嶋(木嶋神社あたり)で集積をし大和川へと運んだ。
木材を切り出した杣木谷には「水神」として祭られていた神社があったといい、
明治初期に葛上神社に合祀され、学園中、南(旧杣木谷)には
葛上神社の氏子さんが現在もおられる。
吉崎宮司(令和2年帰幽)さんのお話によると
「天智天皇近江へ遷都したのをきっかけに、
近江へ移りその後、平城京遷都に伴いこの位置に再び造営された。
しかし度重なる火災のため今、
伝記、資料となるものは残っていない」とのこと。
「第二船場橋」があるので「第一船場橋」探してみたが、見当たらなかった。


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