奥垣内(おくがいと)。温泉開発により多くの遺物が発見された。4世紀から6世紀にまたがる土師器や新羅系陶質土器、また須恵器の大甕の中には須恵器の杯、高杯、長頸壷、滑石製臼玉も収められていた。この場所で繰り返し磐座を祀る神事が行われていたと考えられてる。
古事記によると『御祭神の久延毘古命』は、どこへも足を運ばなくても世の中の事を万事承知されている神様で、知恵がたいそう優れているとされている。また案山子を祀る神社でもある。だから、悪事はすぐに露見する!何処かの「ぼんぼん会長」のように。
大神神社でお能を見て思い出した。桜井駅から東に 1.5km。国道165号(初瀬街道)の外山バス停近くに宗像神社がある。「能楽宝生流発祥の地」と刻まれた石碑が建っている。「室町期に大和猿楽の外山(とび)座・結崎(ゆうさき)座・坂戸座・円満井(えんまい)座と「大和四座」が成立した。 後に観世・宝生・金剛・金春 につながったとされる。外山座は座の中心的役者である宝生大夫の名を取って「宝生座」と呼ばれるようになった。大和地方から山城地方にかけて能の各流派の発祥の地の伝承をもつ地が多い」とある
たまたま通りかかった三輪明神大神神社前で後宴能が開かれていた。題目も分らないが、じっくりと見せてもらった。視覚的に何とか分るような気もしたが余り理解が出来なかった。後日、奈良能楽堂で「お能」を鑑賞する機会があった。この時は題目の内容について事前に調べて行き、狂言の面白さが少し判ったような気がする。