《河童》の旅メモ

   幸村探索

幸村探索・大坂「聖徳太子から昭和まで…」

2017年01月23日 | Weblog

大坂城の鎮守社。大和朝廷に関わる玉作部の住居地であったと伝えられ「玉作神社」とも。
案内によると「聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際…。
陣を敷き勝利に終わったといわれています。
慶長8年に豊臣秀頼公により社殿、高殿(舞台)が再建されました…」。
境内には淀君と秀頼を結ぶ卵膜・胎盤などの胞衣(よな)が鎮まる胞衣塚大明神などがある。
また、丈の低い鳥居は阪神淡路震災で被災した秀頼公奉納の鳥居が損傷を受けた姿で保存されている。
上方漫才の父「秋田実」の顕彰碑、千利休井戸などもある。

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幸村探索・大坂「産声を上げたのは越中町」

2017年01月20日 | Weblog

江戸時代後期の摂津名所図会でも観光地として記載されているこの井戸は、細川越中守忠興の屋敷跡にあった井戸。
大正時代には埋め立てられたが、昭和34(1959)年に地元住民により復元された。
「越中」は細川屋敷の主人である細川忠興が
越中守(えっちゅうのかみ)であった事から名付けられたといわれている。
昭和54(1979)年まで「東区越中町」だった。
そして戦前のこの辺り、東区越中町は「我が誕生」の地なのだった。

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幸村探索・大坂「何故ここに…」

2017年01月19日 | Weblog

上本町二丁目交差点北西角に大村益次郎の碑がある。何故ここにあるのか調べてみた。
大村益次郎は幕末長州藩の医師、西洋学者、兵学者で長州討伐と戊辰戦争で
長州藩兵を指揮し勝利した日本陸軍の創始者。
明治2年京都で刺客に襲われ重傷、ここ大阪仮病院(阪大医学部の前身)に運ばれるも11月に46歳で息を引き取る。
襲撃の理由は大村益次郎が急進的に進める兵制(天皇直属軍)に反対する、
薩摩、長州武士の反感を買い、長州藩士の神代直人たちと云われている。

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寒いですねー、冷たいですねー

2017年01月18日 | Weblog

広島市内では19センチの積雪、京都嵐山でも雪景色を求めて観光客で賑わったとか。
古民家の庭にある水ガメには氷が張り、今朝の気温は-2℃。
草葉は白い霜にまとわり付かれ「おーさぶっ、ちめたー」とでも言っているような。
しかし、わが身は急いで部屋に戻った今朝でした。

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幸村探索・大坂「置いていかれてるぅー」

2017年01月17日 | Weblog

道すがらそれらしい食事処があるのだが、今日は日曜日なのでいずれも休み。
スーパーイズミヤがあったので、一寸贅沢弁当を買い、電子レンジもあるので
「イートイン」した(表現的に良いか否か)。
しかしここまで来るのに自動レジに出くわした。
バーコードの読み取りが終わると「商品を量りの上に載せてください」との「お嬢さんの声」ガイド。
さー、その「量り」の位置が分からないっ。
「量り」と言えば重さを表示するディスプレイがあるはずだが、金額表示のディスプレイしかない。
「はたっ」と困り果て思考回路が混乱、もう一度バーコードを読ませてみたが今度は「ピッ」の音も鳴らない。
「黒毛和牛弁当」を手に思案。見るに見かねてだろう店員が来てくれ解決。「量り」は隣の「台」のことだったのだ。
「なーんやっ」とおもったが、世の中進んでまっせっ。

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