《河童》の旅メモ

 今昔 奈良名所・名勝再発見

今昔奈良名所「春日のロマンティックな道」

2018年02月23日 | Weblog

下の禰宜道(しものねぎみち)は、
春日社の神官が住んでいた高畑方面に通じる道が通っている。
高畑の社家町から通じる三つの道の一つで、最も西にある道。
馬酔木のトンネルを抜ける道で「ささやきの小路」という
ロマンティックなニックネームが付けられて、
南へ向かうと高畑町の志賀直哉旧居に通じている。

今日の暦:昭和19(1944)年毎日新聞が「竹槍では間に合わぬ」の記事を掲載。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今昔奈良名所「氷室と春日の三尺問答」

2018年02月22日 | Weblog

バス通りから参道に入ると風景はガラッと変わる。
その昔春日大社が、この辺りの地主である氷室神社に
「この土地の地下三尺だけ譲ってほしい」と言った。
氷室神社は耳が遠かったために「地下」という言葉が聞き取れず、
「三尺四方くらいなら」と承諾してしまった。
春日大社はすぐさま、氷室神社が所有する広大な土地に囲いをした。
氷室神社が「話が違う」と抗議すると、
「私は地下三尺と言ったのに、あなたが聞き取れなかっただけでしょう。
約束通り春日大社境内の樹木は地下三尺より下へは延ばしません」と言う話がある。
この木も「約束」を守り「根」を深く張らずに頑張ってます。

今日の暦:明治10(1877)年西郷隆盛軍が熊本城を包囲する。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今昔奈良名所「恐怖に耐えた鹿」

2018年02月21日 | Weblog

明治34年から武徳会の春日野馬場のあった所で、昭和天皇の即位を記念して、
昭和4(1929)年に現在のコンクリート鹿苑が造られた。
秋には江戸時代の奈良奉行により寛文12(1672)年に始めた「角切」。
当時は町の木戸を締めきって町中で行われていたが、
大正14年には「残酷だっ」と言う意見もあり中断。
後に昭和天皇即位を契機に再開したが、先の大戦でまたも中止されたが、
昭和28年から再開された。

今日の暦:明治5(1872)年日本初の日刊新聞「東京日日新聞」が創刊。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

リニューアルする平城京跡

2018年02月20日 | Weblog

海のない県は栃木県、群馬県、埼玉県、山梨県、長野県、
岐阜県、滋賀県、奈良県 の8県と以外にある。
その「陸」しかない奈良県平城京跡に現れた船「遣唐使船」。
1300年祭の時はもと北側にあったのだが、
今回奈良市のメイン道路(R369号線)沿いに新しくその姿を現した。
自動車が渋滞するのは嫌だが、今日は渋滞を幸いに1枚。
「平成30年3月24日(土曜日)に、国営公園部分と同時に、
「平城宮跡歴史公園」として供用を開始いたします」と奈良県の広報誌に。

今日の暦:昭和37(1962)年アメリカ最初の有人衛星打ち上げ、3周して回収に成功。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今昔奈良名所「危険ですっ」

2018年02月18日 | Weblog

画像の石燈籠は正方形の石が積み重ねられているので四角型と呼ばれる。
石燈籠はその形により、六角型、神前型、四角型、雪見型などがある。
このような石燈籠は春日大社境内には約1800基あると言われている。
その多くは正面に「春日社」と彫られているが、
画像の様に「春日大明神」と彫られた六角型、
四角型の石燈籠が合わせて13基ある。
その内7基見つけると「金持ちになる、願いが叶う」と言われ、
それを見つけようとする人が増えているとか。
石燈籠は石を積み重ねて置いているだけの物。
くれぐれも柵内には入らず石燈籠には手を掛けないで探索願います。

今日の暦:明治6(1873)年東京、長崎間の有線電信工事が完成する

コメント
この記事をはてなブックマークに追加