伏見櫓の向いにある、これも伏見城から移設された
「筋金御門(すじがねごもん)」。
柱の角には筋金を施し、扉には12条の筋金を鋲打ちし、
乳金具を飾っている。
これらの事から「筋金」の名が付けられた。
この門も昭和20年の戦火を逃れ現存している。
「左に渡櫓、右に多門を連接させたもので、
後代の桝型多聞の型を取らない初期様式のものである」と。
門を潜ると直ぐに伏見御殿跡がある。
昭和20年の戦火を免れた三重の伏見櫓。
「伏見城松の丸にあったものを水野勝成の福山築城にあたって、
将軍秀忠が移設させた」と、正面に「どーんと」ある。
土で埋められた大坂城と云い、伏見城と云い、
秀吉を嫌った徳川秀忠の「秀吉嫌い」に思いを馳せる。
その右側にこれも伏見城から移設されたものと云われている、
福山城の正門である筋金御門があり、
他にも伏見城から移築された櫓がある。
その奥に昭和41年に復元された天守の福山城博物館が見える。
今日の暦:明治23(1890)年、浅草に12階建ての凌雲閣が完成し、
日本初のエレベーターが設置された。
「福山城跡は、元和5(1619)年、福島正則の改易後、
大和郡山より転封してきた(同じ奈良県と言うだけで親近感が湧く)、
水野勝成が3年を費やして構築した近世最後の完成された城郭で、
築城術の粋を誇る名城とも。
しかし今は、内堀、外堀は埋められ、
三の丸(現・福山駅辺り)と共に市街化している」とある。
石段を登ると左手に、築城時、京都・伏見城の「松の丸東櫓」を
移築された国重文の「伏見櫓」と「筋金御門」がある。
今日の暦:昭和48(1973)年、江崎玲於奈のノーベル物理学賞が決定。
刻印が残る石の多くは「〇+I」か「◎」である。
後に博物館で刻印石の資料があるかと尋ねたが
「ない」との「つれない」返事。
想像だが、石を切り出した関係者
「石工」の刻印ではないだろうか。
今日の暦:大正8(1919)年、東京-大阪間の郵便飛行が初めて成功
矢穴のある石に、石の「はつり」技法の一つ
「すだれ仕上げ」または「すだれがけ」という
技法が用いられた石が、「突然に」ある。
近年の石垣修理の際にこの位置に置かれたのだろうか。
今日の暦:(1903)年、第一回早慶対抗野球試合が行われる。