《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔・奈良名所「ひつこいな~」

2018年07月26日 | Weblog

昨年、この三笠山にケーブルカー設置計画が話題になった。
大正11(1922)年、にも計画がなされたが中止となっていた。
しからばと、3年後の大正14年には
地下式エスカレータの計画が持ち出されたがとん挫している。

今日の暦:昭和38(1963)年、日本がOECD(経済開発協力機構)に加盟する。


今昔・奈良名所「三笠山から若草山へ」

2018年07月19日 | Weblog

鶯の山とも呼ばれる若草山。
日本固有の芝に覆われたなだらかな山で、
江戸時代から蕨つみ、野遊びの山であった。
幕末~明治頃から菅傘を三重に重ねたような山容から
「三笠山」と呼ばれることがあるが、
春日の「御蓋山(みかさやま)」との混乱が生じた。
昭和10(1935)年、三笠宮の宮号制度により、「三笠山」では
宮様の名のついた山を土足で登るのは不敬ということで
「若草山」へ統一の徹底が図られ、奈良県知事がラジオ放送を行った。

今日の暦:昭和27(1952)年、日本がヘルシンキ・オリンピックに復活参加。


今昔・奈良名所「一寸休憩をしたかったが…」

2018年07月13日 | Weblog

春日大社の北参道の入り口を流れる水谷川のせせらぎを聞きながらちょっと一服も良し。
水谷茶屋は「大正初期に建築された茅葺き屋根と柱をそのままに、
店舗として改装し、現在の姿に至っております。
店舗周辺には楓が群生し、夏は鮮やかな緑と川のせせらぎが暑さを忘れさせ、
秋には紅葉が見る者の目を奪う」とある。
ちょっと覗いてみたが、中は外国からの観光客でいっぱいだった。

今日の暦:昭和20(1945)年、ソ連に第二次大戦の和平斡旋を依頼するが、
結果的に裏切られる。


難しい言い回しに苦慮

2018年07月12日 | Weblog

駐車場にあった「満車時以外の駐車はご遠慮ください」の案内。
何度か読み直してみたが、理解できない。
「満車時以外=駐車場が空いている時」と思う。
「満車時には農園への入口に止めないで…」と
言いたいのではないのかな~と思う次第だ。

今日の暦:大正14(1925)年、
東京放送局(後のNHK)が本放送を開始するが聴取者数5455人だった。


埴輪作りの「コツっ」

2018年07月10日 | Weblog

墳丘や重要な区画を囲い込む、また、
聖域を区画するという役割を有していたと考えられる「埴輪」。
奈良市菅原町には、埴輪作りを行っていた「土師氏(はじし)」が住んでいて、
埴輪を焼いた窯跡もみつかっている。
その埴輪作りを奈良市埋蔵文化財調査センターで体験させてもらった。
簡単にできると思っていたが「さにあらず」である。
紐粘土を重ねて行く「陶器造り」と同じようだが、
積みあがってゆくにしたがって口が広くなり、
また上部の粘土の重さに耐えかねるのか傾きだす。
外側の帯「突帯」には「秘技(コツ)」があり、
十分納得したが、出来栄えは今一つだった。