《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔・奈良名所「安居屋(あんごや)って…」

2018年06月29日 | Weblog

この四脚門は、春日社に所在した興福寺参籠所(屋)のひとつ「上ノ屋(かみのや)」の門を、
明治時代に、桂昌殿とその背後の増築建物との正門として移築したと伝えているほか、
「安居屋(あんごや)」の勅額門(ちょくがくもん)であった可能性もある。
神仏分離によってそのほとんどが破却された屋の遺構として貴重。
安居屋=僧侶達が一か所に集まって集団で修行する建物(屋)。

今日の暦:昭和41(1966)年、ビートルズが来日する。


今昔・奈良名所「財政悪化の遠因となった一つ」

2018年06月28日 | Weblog

元禄11(1698)年、徳川綱吉の母、桂昌院によって建てられた祈祷殿。
安居屋(あんごや)の南門とされる四脚門とともに市指定文化財。
明治以降社務所として使われていたが、
昭和元年に春日大社最初の神前結婚式がここで執り行われたという。
本殿東側の回廊前に桂昌院が奉納した大きな銅製の燈籠もあり、
京、奈良の寺社の修理や再建が幕府の財政を悪化させたとも言われている。

今日の暦:昭和23(1948)年、福井大地震が起こるり、
阪神淡路大震災と同じ規模だったと。


今昔・奈良名所「ここにも来ますか、お役人」

2018年06月26日 | Weblog

西廻廊の西側、竈殿(へついどの)と参道を隔てた北側に立つ建物が酒殿(さかどの)です。
春日祭に供する社醸酒をつくるための建物で、中には酒神がお祀りされています。
創建は貞観元年(859)と伝えられていますが、
古く『続日本紀』天平勝宝2年(750)年2月16日条に、
孝謙天皇が春日酒殿に御幸されたとの記述があり、
古くから重要な建物であったことが伺えます。
現在の建物は記録から江戸時代初期の寛永9年(1632)造替によるものと考えられています。
奈良酒の発祥の地ともいうべき春日祭に供する社醸酒を造る建物。
濁り酒の醸造に関してはきちんと国に申請され、
春日祭前日にはお役所が酒殿に入るとか。


今日の暦:昭和43(1968)年小笠原諸島が返還される。


今昔・奈良名所「改めて、元号を調べるが…」

2018年06月11日 | Weblog

元・奈良市埋蔵文化調査センター森下惠介著「今昔奈良名所」を片手に、
三条通の高札場からぶらぶらと歩き始め、春日大社境内まで来て、続きを再開。
「竈殿(へっついどの)は西廻廊脇の参道に面し、東を向いて立つ、
正面五間、側面二間の切妻造の建物です。
毎年3月に行われる春日祭で、神饌を調理するための社殿として使われてきました。
 建物の創建は奈良時代まで遡ると考えられています。
現在の建物は、永徳2年(1382)の焼失後、嘉慶2年(1388)に
再建されたものと推定されています」とある。
元号の違いは北朝・永徳2年を南朝では弘和2と呼び、
北朝で元中5年を南朝嘉慶2年と呼ぶ。ややこしいっ。

今日の暦:昭和17(1942)年、関門トンネル開通する。


ついでに住吉っさんへ「ヒョウ柄が、お好きっ」

2018年06月08日 | Weblog

大阪の町は面白い。住吉大社からの帰りは、
南海本線に乗るため「南海住吉大社駅」へ向かった。
高架の下が商店街になっておりその一角に日用品の販売店があった。
目に付いたのが「虎」ならぬ「ヒョウ柄」に包まれたトイレットペーパー。
おっちゃんが「タイガース」、おばちゃんは「ヒョウ柄」が大阪の定番だっ。
ちょこっと大阪市立美術館、住吉っさん(完)