《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

ちょこっと松江城「ノミの跡」

2019年03月26日 | Weblog

天守台の石垣も石は大きいが隅石は1×1。
鑿の歯の幅を計ってみたが12㎝~10㎝位のものが多い。
石切り場において、巨岩や岩盤から石を割って砕石するには「矢穴技法」があった。
巨岩に「矢穴」と言う穴をあけ、その「矢穴」にくさび(矢)を打ち込み、
金槌で叩き石を割る。割れやすい方向を見る「目利き」が重要視される。
「矢」の巾は時代により異なると言う話もあるが定かではない。

今日の暦:今日の暦:昭和47(1972)年、奈良・明日香村高松塚古墳で彩色壁画発見。


ちょこっと松江城「石垣の穴太積み」

2019年03月21日 | Weblog

天守台の石垣も石は大きいく、短辺長辺が交互に積まれている。
穴太衆(あのうしゅう)は石垣築成集団のことで「穴太」とは地名・大津市坂本町穴太。
この地には、中世から近世にかけ石垣の築成に優れた技能を持った達人がいた。
松江城の石垣もこの「穴太衆」が招かれ築成しました(松江城HPより)。
天台宗の総本山・比叡山延暦寺の麓、近江・安穴の地に暮らした石工は、
信長の後継者・秀吉にも重用された石垣の技術者集団。
「野面積み」を「穴太(あのう)積み」と呼ぶことがある(千田嘉博・石垣の名城より抜粋)。
この辺りでは石を割った「矢穴」が見られる。隅石は1×1だが、
長辺、短辺が交互に積まれた算木積みの完成前か。

今日の暦:春分の日、太陽が真東から登り、古代から自然を称える日。


ちょこっと松江城「黒い板塀」

2019年03月20日 | Weblog

天守は彦根城、犬山城と同じように
附け櫓を設けた複合式望楼型で、
一、二重めは大入母屋屋根で
全面下見板張り、望楼部と入母屋破風、
附け櫓も一部白漆喰であるが、
窓廻の木部はすべて黒塗りで黒を
基調とした天守である(パンフレットより)。
白と黒のコントラストが「しっくり」として
河童的には松本城に似ているように見える。

今日の暦:明治15(1882)年、日本最初の動物園、上野動物園が開園。


ちょこっと松江城「崩れそうだが…」

2019年03月19日 | Weblog

北の門を入ると右側に乾隅櫓跡(いぬいすみやぐらあと)。
自然石の接点部分付近を割った、打込接ぎ野面積みで隅石は1×1。
隅石の算木積みが完成する前の段階であることが分かる。
見た目には直ぐにでも崩れそうだが、なかなか…。
数百年持ち堪えている石垣だが、草木が心配だ。

今日の暦:明治10(1877)年、京都-大阪間に鉄道開通。