《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

富雄川流域探索「岩ごと本堂の中へ…」

2020年09月28日 | Weblog

杵築橋南約250m春日橋交差点の東側に「海瀧山 王龍寺」の石碑がある。
道なりに約1.6㎞東へ進むと山門に着く。
古く聖武天皇の勅願による古刹とされている黄檗宗の寺院。
山門を入り本堂へと続く参道は
奈良市の文化財(天然記念物)に指定されている、
市内での貴重な里山の自然林。
堂内には本尊があり、
花崗岩の正面に建武三(1336)年の刻銘の十一面観音立像と、
その脇に文明1(1469)年の刻銘のある不動明王が彫られており、
大きな岩ごと堂内にある。
また境内には奈良県の保護樹木・
奈良市の文化財(天然記念物)に指定されている樹齢、
約300年の古木・雌株がある。
「ヤマモモの木は雄花、雌花の「雌雄異株」と言う。
「高さ約10mで、根元近くで三本に分かれ、樹幹の基部の周囲は約5m。
昭和25年のジェーン台風で上部が折れたが
その後側枝が伸びて樹勢を極め旺盛です(説明板)」と。


富雄川流域探索「真っ直ぐな参道がある杵築神社」

2020年09月24日 | Weblog

奈良市二名町に入る。
杵築バス停の北東側に神前型の石燈籠と石の鳥居がある。
その先にはよく手入れされた、
美しい松並木の参道が100mほど一直線に、
二の鳥居、石段、本殿へ向かってある。
「古くより牛頭天王と呼ばれ、
敏達天皇の皇子春日王が聖徳太子らと
物部守屋を滅ぼした功績により、
この地(大字春日)を拝領して舎城を構え、
祖神をここに鎮祭されたのが始まりとされている」とある。

今日の暦:(1877)年、西郷隆盛が鹿児島の城山で自刃、
西南戦争が終わる。


富雄川流域探索再開

2020年09月21日 | Weblog

奈良市西部の西ノ京丘陵と矢田丘陵に挟まれた谷底を
生駒市高山の溜池から大和川まで約23㎞を流れる「富雄川」。
この「富雄川」は飛鳥時代には「富の小川」として詩に詠まれたり、
古事記、日本書紀には「神武天皇東征」に登場する
「長髄彦」の伝承があったりする。
そんな、富雄川流域探索を再開。

今日の暦:安政1(1854)年、日露和親条約が結ばれる。


遺物品の用途「もしかして、こんな使い方も・貴方の考えは…」

2020年09月14日 | Weblog

「電熱ヒーター」、「いやいや、蚊取り線香台」。
大安寺境内の杉山古墳周濠から
9世紀前半の土器と共に出土したもの。
座禅体験は1本の線香が燃え尽きる約45分で終える。
時代と出土場所からやはり、
時間を測る「香時計」か、それとも…。
11月20日まで奈良市埋蔵文化財調査センター
「ナニこれ!?平城京出土の用途不明品」
秋季特別展が開催されている。
用途が今一度はっきりしない
出土品が数多く展示されている。
会場の出口には来場者が思いついた
用途を提案する「御意見箱」があり、
来場者は奈良時代の都に思いをはせながら
「もしかしてっ」と想像しながら
用途を書き込んでいる。

今日の暦:(1938)年、三菱重工で零式艦上戦闘機の試作が完了する。


遺物品の用途「盆栽の始まり?・貴方の考えは…」

2020年09月10日 | Weblog

高さ9.9cm、底部の長径11.4cm、
短径8.2cmの断面山形の須恵器質の土製品です。
粘土塊を山形に成形し、
断面U字形の工具で洞や岩肌を表現しています…。
ウワナベ古墳の南外濠とみられる遺構から、
埴輪や8世紀前半から中頃にかけての
土器・軒瓦と一緒に出土しました。
山形施釉陶器と同様の仏具の可能性もありますが、
「盆山」に使う山のミニチュアの可能性もあります。
「盆山」とは盆の上に石や土砂、苔・草木などを配し、
自然の風景を模した芸術です(画像右下)。
「盆山」は我が国では、
鎌倉時代の13世紀半ばに成立したとされる
『西行物語絵巻』にみえるものが最古とされています。
…ただし、中国では706年に陪葬された
草懐太子李賢の墓の壁画に描かれており、
本品が「盆山」の用具であれば、
我が国での初見を大きく遡る資料となります。
(パンフレットより抜粋)。

今日の暦:永禄4(1561)年、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦う。