詩編89編44節~52節には、神エホバの僕たちの受けたそしりを思い起こし、一刻も早く助けの手を差しのべてくださるように、切々と率直に請願する言葉が記されていました。その言葉の中には、人は「シエオル(墓)の手から自分の魂(命)を逃れさせることができない」、つまり、この事物の体制下では、人は死から逃れられない、ことが記されていました(詩編89:48)。ですから、神エホバはご自分の約束に従って、人がアダムから受け継いだ罪と死からの解放のために、ご自分の独り子イエスを地上に遣わされ、イエスの贖いの死に信仰を働かす者が永遠の命に至ることができる道を整えてくださいました(ヨハネ3:16.ローマ5:12)。そのイエスの贖いの死の適用は義の宿る楽園が地上に回復された以降となります(ペテロ第二5:13.啓示21:3,4;22:1,2)。今日から紹介する詩編第四巻90編~106編までは、モーセが霊感を受けて書き記したものです。今日紹介する詩編90編1節~9節の始めには、「エホバよ、あなたは代々にわたってわたしたちのための真の住みかになってくださいました」と、いう言葉が記されています(詩編90:1)。ですから、公正を行い、親切を愛し、慎みをもってお父さんエホバ神と共に歩むのはふさわしいのです(ミカ6:8)。また、「エホバの千年もまるで過ぎ去った昨日のようである」ことが記されています(詩編90:4)。
詩編題四巻の詩編90編1節~9節には次のように記されています。皆様方はみ言葉からどのような宝を見いだされるでしょうか。
まことの神の人、モーセの祈り。
「エホバよ、あなたは代々にわたって
わたしたちのための真の住みかと
なってくださいました。
2 山々が生まれる前から、
また、あなたが地と産出的な土地を
産みの苦しみによるかのように
生み出される前から、
実に、定めのない時から定めのない時に
至るまで、あなたは神です。
3 あなたは、死すべき人間を打ち砕かれた物に帰らせ、
「帰れ、人の子よ」と言われます。
4 あなたの目には千年もまるで過ぎ去った
昨日のようであり、
夜の間の一区切りのようなものだからです。
5 あなたは彼らを一掃されました。
彼らは単なる眠りとなります。
朝には、彼らは移り変わる青草のようです。
6 朝に花を咲かせ、そして必ず移り変わります。
夕べには枯れて、必ず干からびます。
7 わたしたちはあなたの怒りによって
終わりを迎え、
あなたの激しい怒りによって
かき乱されたからです。
8 あなたはわたしたちのとがをご自分の前に、
わたしたちの隠された事柄を輝く
み顔の前に置かれました。
9 わたしたちの日はあなたの憤怒のうちに
ことごとく衰えてゆき、
わたしたちはまるでささやきのように
自分の年を終えたからです」(詩編90:1~9)。
上の聖句に示されているように、神エホバは最初から永遠に至るまで存在される神であることが明らかにされています(詩編90:2)。しかし、神エホバの永遠の存在に比べ、私たち死すべき人間は「ささやきのように」短い一生であることが記されています(詩編90:9)。人間の一生は青草のように移り変わり干からびことに例えて記されています(詩編90:5,6)。そのような短い一生の人間のアダムから受け継いだ「とが」と人間の不完全さを、神エホバご自身の「輝くお顔の前に置かれ」、注意深く見守って下さるのです(詩編90:8.ローマ5:12)。ですから神エホバの深い愛と知恵を求める必要があるのです。人間が人間に頼っても、人間以上の知恵は見いだすことができませんが、はるかに高い考え・知恵の源の神に依り頼むのはふさわしいことなのです(箴言3:5,6.イザヤ55:9)。
コマ回し 遊ぶ子らなし 世の変化 今日の一句
切り花にした「椿」