愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

あなたは、「したい放題にされている少年」に関する箴言をご存知ですか?(箴言29:15)

2016-07-31 22:48:53 | 神の言葉・聖書

 聖書を学んだ経験のない方も、「したい放題にされている少年」はどのようになるかをご存知のことと思います。しかし、高学歴化が進み情報化社会の現在にも拘わらず、「したい放題にされている少年」は多いようです。このような子育てはどのような結果を招くのでしょうか。聖書の箴言には次のように記されています。

 「むち棒と戒めは知恵を与える。しかし、したい放題にされて置かれる少年はその母に恥をかかせる」(箴言29:15)。

 上の箴言に記されている「少年」とは幼児から思春期までの子供です。「したい放題にされている少年」は、言うまでもなく、その母に恥をかかすことを行なうのです。一方、少年への「むち棒と戒めは知恵を与える」ことが記されています。「むち棒」は文字通り、してはならないことを行なった子供のお尻を打つためのものを表しますが、「親の権威」を表わしています。

 聖書の申命記には、親はまず「心をつくし、魂をつくし、活力をつくし、あなたの神エホバを愛さねばならない」、「そして、わたしが今日命じているこれらの言葉をあなた(親)の心に置かねばならない」と命じられています。そして、エホバ神の教えで備えをした親は、エホバの教えを常時自分の子に教え込み、み言葉を忘れないように導きを与え、エホバの教えから離れてはならないことを教えるように親に銘記させています(申命記6:4~9)。そのようにして、自分の子に教え込むなら、エホバからの知恵が与えられ、親を喜ばせる子供として成長します。経験のない子供が「したい放題にして置かれるなら」、知恵や識別力欠け、かつ「明敏さもないゆえに」、「親に恥をかかせる」のです(箴言1:4)。「賢い者は聴いて、さらに多くの知識を取り入れ、巧みな指導を得る人」になるので、エホバ神を喜ばせ、親を喜ばす子となるのです。ですから、少年を親の権威を用い、戒めることを怠ってはならないのです。

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                         姉妹の鉢植えの「バラ」

 

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ミニトマトの花と越後の山百合

2016-07-30 22:50:42 | 四季折々の花々

 この時期は、ミニトマトが美味しい時期です。

 プリプリした感じで、程よい大きさでとても食べやすい野菜です。

 でも、都会暮らしの方はミニトマトの花を見る機会が無いかも知れません。

 ミニトマトの花は、威勢よく花弁を広げています。

 花弁からも元気をもらう感じを受けられるに違いありません。

 今日はミニトマトの花と越後の山百合を紹介致します。

                 庭に咲いている元気の良い「ミニトマトの花」

                    新潟の写真家の提供の「山百合」 

                                                     新潟の写真家の提供の「山百合の花」

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あなたは、「義なる者が多くなる」ときの箴言をご存知ですか?(箴言29:2)

2016-07-30 22:30:07 | 神の言葉・聖書

 現在社会は、聖書の予告通り「終わりの日の対処しにくい危機の時代」です(テモテ第二3:1~5)。またイエスも予告された通り「不法が増すために、大半の者の愛が冷える」状態です(マタイ24:14)。ですから、自己の欲望に従って生きる利己主義や金銭第一主義が広く蔓延し、邪悪な者・不義なる者と騙(かた)りを働く者はますます悪に進むことが生じています(テモテ第二3:13)。世界中で不安の増大する社会ですが、皆様方の周りは「義なる者」が多いでしょうか。そうであることを願っています。

 聖書の箴言には、「義なる者が多くなる」とどうなるか、また「邪悪な者が支配を行なう」とどうなるかを明確に記されています。皆様方も次の箴言にきっと同意をなさるに違いありません。

 「義なる者が多くなると、民は歓び邪悪な者が支配を行なうと、民は嘆息する」(箴言29:2)。

 上の箴言が教えている通り、義なる者が多くなり」、義なる者が支配する、つまり行政を行なえば「民は歓ぶ」のは、皆様方もお認めになられるに違いありません。一方、邪悪な者が支配を行なうと、民は嘆息する」のも、その通りであることをご経験された方もいらっしゃるに違いありません。前東京都知事の場合は、多くの都民は「嘆息」する状態が生じましたので、「邪悪な者の支配者・邪悪な者の統治者」であった、ということになるでしょう。東京都民でない人々も、前知事の言動は「嘆息させられた」に違いありません。多くの方々は上の箴言の言葉通り、「義なる者が多くなり」、義なる統治者によって「民が歓ぶ」ことを期待されていらっしゃるに違いありません。

 では、「義」とは何でしょうか。「義」と訳されているヘブライ語やギリシャ語の意味は「方正」や「廉直」という考えを含んでおり、何が廉直かを決める基準、もしくは規範を示唆しています。「義」はしばしば裁き人、もしくは裁きに関連して使われており、どことなく法的な用語の趣があります。そのため「義」は「公正」と訳される時もあります(詩編35:24;72:2;96:13.イザヤ11:4.啓示19:11)。聖書的な意味での「義」とは、エホバ神を基準とする正しい状態のことであり、その状態は神エホバの基準に従って評価されるものであり、神エホバへの従順な状態となって表れます。また、何よりもエホバ神との関係、ならびに神エホバのみ名における歩み方と関わりがあります。それは神エホバの義であり、そう呼ばれているのです(ローマ3:21;1:17)。さらに、神エホバは「義の住まい」と呼ばれています(エレミヤ50:7)。エホバ神は義なる方であられ、その被造物の義はすべてエホバ神との関係から生じます義なる方エホバの教えは歓びをもたらします。

 ですから、聖書の教える「義なる者」とは、常に神エホバの義を学びそれを第一にし、生活に適用する人のことです(マタイ6:33)。ですから、「義なる者が多くなると、民は歓ぶ」のです(箴言29:2)。エホバ神の教えは人を益することを教え、その教えを適用すれば、平安よ義が永続することが理解できるのではないでしょうか(イザヤ48:17,18)。

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            庭のランタナで吸蜜中の「アゲハ蝶」

 

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マルバルコウゾウノ花と花トラノオ

2016-07-29 23:51:42 | 四季折々の花々

 雑草の繁った畑にマルバルコウゾウノ花が咲いていました。

 ヘクソカズラの花に似ているのですが、

 調べるとマルバルコウゾウノ花と紹介されていました。

 私の手持ちの花図鑑委は紹介されていない花でした。

 今日はマルバルコウゾウノ花と花トラノオを紹介致します。

              雑草の繁る畑に咲いていた「マルバルコウゾウノ花」

                   切り花で出荷されていた「花トラノオ」

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あなたは、「自分に依り頼む者は愚鈍」と教える箴言をご存知ですか?(箴言28:26)

2016-07-29 18:20:44 | 神の言葉・聖書

 皆様方もご承知と思いますが、聖書の教えを学んでいない場合は特に、人間は自分のわずかの経験や知識や理解力や識別力によって「自分に依り頼む」傾向があります。そのことが極めて当たり前と考え、「自分以外には頼れない」と言明される方もいらっしゃいます。そのような人は、残念なことに、聖書が次のように教える言葉を熟考する機会もなかったのかも知れません。「エホバよ、地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ、歩んでいるその人に属しているのではありません(エレミヤ10:23)。この聖句は人間には能力の限界があり、愛と公正(義)と知恵と力の源のエホバ神の導きが必要であることを教えています。聖書はエホバの教えを聴いて、さらに多くの教訓を受け入れ、賢い者となるように促しています(箴言1:5)。イエスはみ言葉を聞いて守り行う「思慮深い人」として歩み、その反対の「愚かな人」となることがないように教えられています(マタイ7:44~27)。

 聖書の箴言は、「自分に依り頼んでいる者は愚鈍」と次のように明確に記しています。

 「自分の心に依り頼んでいる者は愚鈍であり、知恵によって歩んでいる者は逃れることになる」(箴言28:26)。

 先に箴言を紹介しました通り、エホバの教えに土台を据えた「明敏な者」は、災いを見て、エホバの下に避難します。しかし経験のない者は自分自身に依り頼み、進んで行き災い被ります(箴言27:12)確かに災いを見て身を隠す人は賢く明敏な人ではないでしょうか。その反対の行動を取る人は「愚鈍な人」ということが分かります。人はだれも自分が「愚鈍な者」とは考えず、それとは知らず「自分以外には頼れるものはない」と、言われます。

 エホバの知恵の言葉は次のように教えています。「心をつくしてエホバに依り頼め自分の理解に頼ってはならない。あなたのすべての道において神(エホバ)を認めよ、そうすれば、神ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる

 自分の目から見て賢い者となってはならない。エホバを恐れ、悪から遠ざかれ」(箴言3:5~7)。 

 自分を賢い者として高める者は、神エホバからの知恵や識別力を学び適用しないので悪を行ない「愚かな人」の歩みをします(箴言2:1~15)。そのような人はエホバに是認されない「肉の業」を習わしにしますので、神の王国を受け継ぐことはありません(ガラテア5:19~21)。ですから、エホバの教えを学び守り行わい人は、「愚かな人」となり、祝福を得ることがなくなります(マタイ7:26,27)。一方、エホバからの知恵と識別力を得て歩む人は、「逃れる」、つまり災いを逃れ、最終的には義の宿る地上の楽園に導き入れられる祝福にあずかることができるでしょう(ペテロ第二3:10~13)。ご自身の能力の限界を認め、み言葉・聖書の知恵と識別力を学び適用する人たちは快い道、平安の道、命を道を歩むことが出来ます(箴言3:13~18)。

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          犬連れて 里山の道 夕涼し 今日の一句

                    庭のランタナに来ている「アゲハ蝶」

 

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