:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ =反響= 癌は死因の第1位ではなかった! 

2017-07-25 00:23:03 | ★ 日本の社会

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=反響= 癌は死因の第1位ではなかった!

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私はこのテーマを2回で終わるつもりで書いた。しかし、付録として、以下のコメントだけは読者の皆様と共有しようと思いなおした。 

 

Dさんから:

谷口神父様

M神父さまは、この世に生を受けることのできなかった魂(流産・死産も含め、中絶によりこの世に生まれることのできなかった魂)のために祈りなさい、そして誰にも祈ってもらえず、忘れ去られている者のために祈りなさい・・・と・・・。

確かに日本の社会が狂ってきたのは、堕胎天国となってからだと思います・・・

40年前、宮城県で、ある有名なプロテスタント信者の奥さんが産婦人科医院を経営しておられ、そこで働いた経験のある、看護師さんと知り合いました・・・。奥さんもクリスチャンだと思うのですが、そしてとても優しい、婦人科医の先生でしたが、そこで行われていることは、口にするのもおぞましいことだったそうです。

届け出に必要な月数に足らない胎児は、袋に詰められ、業者に引き渡すのです。うそかほんとうかわかりませんが、豚の餌として業者は引き取るのだと当時聞きました!!!

あまりのおぞましさに背筋が凍りました!!!とても素敵な詩を書かれる奥様が???この世の光と闇・・・聖と俗・・・究極の対比を見た気がしました!!!

(谷口)40年前と今は違うかもしれない。しかし、この話、もし本当だったら、レストランで食べた豚肉料理は、そういう飼料で肥え太った豚の肉だったかもしれない。国を挙げてのカーニバリズムではないか。

Eさんから:

結婚して息子が生まれ、育児雑誌を読んでましたら、読者の投稿欄に「妊娠がわかったとき、電子レンジが欲しかったので、出産かレンジを買うか悩みました。でも結局産むことにしましたが、レンジに未練があり、産まれた子にレンジと名付けました」との投稿が載っていました!!!

あまりに軽い命・・・神様が一人ひとり魂を込めてお造りになったであろうに・・・神父さまのおっしゃる通り、このつけをこれから払わねばならないでしょう!!!蒔いた種は刈り取らねばなりません!!!

怖ろしいことが待っている時代だと思います・・・

経済的理由で堕胎が許される、と言う日本の制度(母体保護法14条)は、命よりお金が大事と国家が正式に認めたのと同じ事だ。その国では、お金の神様に魂を抜かれて、物欲と消費癖に毒された人間にとって、命はいかに軽いものになるか。胎児であれ、肉親であれ、他人であれ、殺人が横行するのはそのためだ。その先に、若い兵士の命よりも富を優先する国家ぐるみの犯罪、戦争がある。日本は確実に戦争をする国になりつつある。

Fさんから:

谷口 幸紀神父様

バッカさんの「透明なゆりかご」、全5巻を購入して、息もつかず読ませていただきました。生きられなかった子どものためにバイトのバッカさんがお日様を見せて歌を歌ってあげて、祈ってあげるという優しさ。

バイトさんにそんな仕事をさせる医師も医師ですがバッカさんがあまりのむごさに3日でやめるにいたらなかったことが奇跡です。

今、職場の女性の間を回し読みが始まりました。23歳の准看護師さんは、今日勤務があるのに泣きながら午前3時まで読んでいたそうです。

私たちは、他人様の命のギリギリのところによく立ち会うのでバッカさんが見せてくれたようなエピソードは見聞きしているわけですが、知りえたことは口外しません、というモラルによりなるべく記憶からはずしているのですね。

モラルと言う美辞のもとに見え隠れする、声をあげさせない隠蔽社会体質。バッカさんはそれに立ち向かった。

「たかがマンガ、されどマンガ。」この「透明なゆりかご」5巻は、各巻200万部以上、合計1千数百万冊売れとことになっている。純文学の世界で10万部も売れればベストセラーの日本社会で、これが直木賞や芥川賞なら、テレビのモーニングショーで各局大いに盛り上がっただろうに、国家的恥部とあっては、どこも腰が引けてしまって取り上げない。しかし、マスコミから完全に無視されても、1000万部売れたという空前の部数はこのテーマが国民の(特に日本の女性たちの)良心に棘のように刺さった重い問題と直結し、それと正面から向き合ったものであることを明らかに証明している。

Gさんから:

エイズや梅毒などに対処するのに器具などが推奨されたりしますが、JCNA(日本カトリック看護協会)の前会長城麗子は、根源的な予防策は「十戒」(汝、殺すなかれ、etc.)だと看破されました。

しかし、カトリック信者の会員にさえその大切さはなかなか伝わりません。

人を裁くのでなく自分も含めて申しますが現代人は、神のみことばを割引して聞く癖がついているのでしょう。

人並みの生活が送れる限りにおいて信じているのです。

 「透明なゆりかご」が広く真剣に読まれることを祈ります。

カトリックもプロテスタントも仏教徒も無神論者も、皆押しなべて出生率が1.4あたりを低迷していると言う事は、どの宗教の信者も平等にこの犯罪の加担者であることを如実に物語っている。

もう40年近く前のことになるが、私には兄貴分に伊藤義清というプロテスタントの牧師さんがいた。ある日、飲み屋の屋台に並んで腰かけ、水子地蔵の話に及んだ。

義清氏「仏教はいいよな!水子地蔵で堕した親の良心は救われるのだから。カトリックも真似してやればいいのに。儲かるしね!それとも、神父に告白すれば許されるから要らないのかな?説教の時に信者に告白を勧めればいいね。」

私「懺悔すれば確かに赦された気になるが、この便利なシステム、果たしてみんな有効に利用しているのだろうか。プロテスタントではどうするの?」

義清氏「プロテスタント信者の間では、表向き誰もこの手の罪は犯していない義しい人々の集まりと言う事になっているから、牧師も信者も一切それには触れないタブーになっている。」

我々みんな、罪を犯して楽園を追われたアダムとエヴァの末裔なのに・・・

カトリック教会は、この闇に住む日本人に神の赦しと、癒しと、課題に正しく向き合う勇気と力と恵みをもたらすものにならなければならない。それでなければ、教会は「味を失った塩」(マタイ5章13節)として、道端に捨てられ、足で踏まれるべきものとなる。 

(完)

 

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★ 日本人の死因の第1位はやはり癌ではなかった!

2017-07-21 00:04:23 | ★ 日本の社会

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日本人の死因の第1位はやはり癌ではなかった!

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前回のブログは予想通り大きな反響を呼んだ。特に、ご婦人方からの反響には重いものがあった。その一部を投稿者の了解を得て、匿名で紹介する。

まず、Aさんより:

谷口 幸紀 神父様

 このたびのブログ、ずっしりとこたえました。

「沈黙」どころではありません。

これこそが日本で日常のなかで行われている殺人です。

マザーテレサは「母が胎内の子を殺すなら、どうして世界から戦争がなくなるでしょう?」とおっしゃったそうです。

私の知人は、ある病院で看護教育を受けたのですが、実習先の保健所長から、もう立派に体ができている赤ちゃんの頭と手足を切り離して母の体から引っ張り出す話は聞きました。(法律で)殺人に問われないギリギリの月齢までに行うのだそうです。

昨今、むごい殺人がたくさん報じられますが、私は、闇の中で日常的に行われたことが、たまたま明るみに出たにすぎない、ということではないかと思っています。

  Bさんの証言:

(病院で)働きだしてから、先輩や同僚が、罪の意識は表現せずに中絶した体験を語るのを聞きました。ひとのいのちを守る仕事をしながら、胎内の子は殺す?私は、それこそが「精神分裂」だと感じました。でも親の生活を脅かす子は殺すのが普通でした。

そして、「それは人殺しじゃないの?」という問いかけは公にも、友人にもしていません。(それは日本の社会ではタブーのようです。)

私自身、7回妊娠したうち2回、仕事を優先して無理したために流産してしまいました。殺したのでなく、死なせたのだと思っています。その子らは、ほんの小さな状態でしたので庭に埋めました。

その後、40代半ばに入って双子を妊娠中、まわりに「もう無理だからやめなさい」と言う人がいましたが、やめるってどういうことよ?とけんかして1年間絶交しました。その子たちは元気に生まれ、6人とももう成人しました。

聞くところによると、ある大手の新宗教の団体では、水子、つまり生まれられなかった子供のために熱心に祈るので、婦人の信者さんが多いそうです。その祈りはきっと切なるものでしょう。

キリスト教の教会にも体験者はおられるでしょうが、そういうことにはふれません。人の傷に塩をぬることになるからでしょうか?(それとも、キリスト教徒は人を殺さない建前なので、言えないのでしょうか?) 

 

さり気ない上の証言には限りない重さがある。さて、次はCさんの投稿:

谷口様

 私のコメントが何かお役にたてれば幸いです。

戦争で亡くなる人数どころではない数の命が殺されている、この問題は地雷原みたいで、一歩踏み入れると自分の手足が吹っ飛ぶことになるかもしれませんが・・・。だれも自分の罪と向き合いたくはないでしょう。

知人の両親は五島のキリシタンの末裔で、赤貧の中で11人の子を育てました。親にできたのは中学校卒業までで、あとは社会に放り出す。この、赤貧に耐えるのが現代ではむずかしいのですね。経済的理由が、中絶の許可条件になるのです。(C子)

こうした一連の証言から見えてくるものは何か?

病死や、老衰や、事故や、自殺の場合は、医師の死亡証明書が発行され、火葬が行われるから、その実数を積算した統計の誤差は極めて小さいと考えていい。それに対して、Aさんがそっと庭に埋めた自然流産の子の例のように、堕胎の場合にも、どこにも届け出られず、闇に葬られ、統計の中に数えられないケースが圧倒的に多いのではないかと思われる。

 

前のブログで紹介したバッカさんの場合は、堕胎された胎児は、7~8週の極めて小さいものでも、一体分ずつガラスのシリンダーに入れて業者に渡し、死者として荼毘に付していたようだから、役所に報告が上がっているかもしれない。しかし、下の写真の場合のように、何体分も雑然と黒いビニールの袋に詰めて一般廃棄物として闇から闇に処分されていくものの数も決して少なくないのではないと思われるが、それらは統計には全く反映されないのではないだろうか。堕胎の実数を正確に言い当てることは出来ないが、調べているうちに、統計の数字は氷山の一角にすぎず、闇に葬られた命ははるかに多いらしいことだけは、はっきりと見えてきた。

建前としては、12週以上の死胎は、墓地埋葬法に規定する「死体」として火葬・埋葬すべきことが定められているが、産婦人科がそれを黒いビニール袋に入れて「一般廃棄物(不燃ごみ)として中絶胎児を処分する」例も少なくないのではないだろうか。

裕福で教養も分別もあるはずの40代の奥様方が密かに堕す子供の数(それは妊娠件数の約半数に迫る)も内密、匿名で処理されれば統計の中には現れにくいのではないか。 

長年ずっと日本人の死因の第1位の座にあった堕胎が、今や、癌に1位を譲って2位に転落したと言うのは、あくまでも統計上の話に過ぎず、胎児を人間の命として堕胎から守ろうする視点から見ると、日本での中絶は1日に約2000人と推定されると言う(命を守る親の会)。

科学学術誌「Nature」は、「1996年(平成8年)の日本での中絶件数を年間41万件と公式に報告されているが、実際はその3倍程度(120万人以上)の件数と推測される」と報告したという。

1999年6月17日に日本でもピルが解禁された。その後、実際に中絶に使われる薬自体の量は、申告数の3倍から5倍はあるようで、それから見ても、やはり堕胎の申告数も実際の数の3分の1から5分の1であろうと察せられ、やはり年間で約100万人は堕胎されていると考えるのが妥当と思われる。

労働力の不足、年金制度の破綻、人口減少と高齢化、国の活力の低下、等々、日本の深刻な慢性的・構造的問題は、行きつくところ全てこの日本人の死亡原因第1位の堕胎から目を背けてきたからであると言えるのではないか。本質的問題を正視し、抜本的解決を探さない限り、場当たり的な対象療法では問題は何も解決しない。国を救うのはアベノミックスなんかではない。

1国の人口は出生率が2.08を割り込むと減り始める。直近の日本の出生率は1.45あたりだから、日本女性が妊娠し堕す胎児のうち約43万人を救って産み育てるだけで人口の減少は食い止められる計算になる。さらに、毎年堕胎されている約100万人の尊い命を全部救えたら、日本の社会的・構造的病巣の大半が消滅し、安寧と繁栄が約束されるだろう。

1968年7月25日、時のローマ教皇パウロ6世は人類の直面する危機を予見して、堕胎と人工的避妊を禁じた「フマーネヴィテ」(人間の生命)という預言的回勅を発表した。しかし、カトリックの世界中の指導者たち、枢機卿、司教、司祭たちは実行不能の空論としてそれを引出しにしまい込んで、まじめに信徒に実践を勧めなかった。その不従順の結果を私たちは今見ている。

それから10年余りして、70億の人類の中でたった2人の人が真面目に正面からその回勅と取り組んだ。それが、聖人になった教皇ヨハネパウロ2世と、今も現役のキコ・アルグエイヨという男だ。彼ら二人は手を携えて、パウロ6世の回勅の実行を本気で信者に求めようと考えた。そして、キコは聖教皇の庇護のもとに自分の運動の信奉者と共に壮大な実験に取りかかった。以来30年余り、いまその目覚ましい成果が見え始めている。

前教皇ベネディクト16世も、現教皇フランシスコも、グローバル化した世俗主義と拝金主義の前に圧倒的守勢に立たされた教会の前衛として、キコとその運動に、そして、5人、8人、13人と大勢の子供たちにあふれた大家族の群れに、熱い期待の眼差しを向け、彼らを目の瞳のように大切に護っている。

カトリック教会は日本の信徒にも、この野心的実験に参加することを期待している。だがこれは、生易しいことではない。一人一人の人間の神に対する絶対的信頼と、根本的回心と、英雄的努力なしには成し遂げられない。

2000年前にキリストが述べ伝えた福音は、この課題と直接に響き合っている。 

(おしまい)

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★ 一位は本当に癌なのか? 日本人の死亡原因

2017-07-08 00:32:40 | ★ 病院日記

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1位は本当に癌なのか? 日本人の死亡原因

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私は或る目的でインターネットを検索中に、偶然一つの漫画と出会った。

「透明なゆりかご」 沖田X華(おきたばっか)著(1-5巻)

 

副題に「産婦人科医院 看護師見習い日記」とある以上は著者情報のない謎の女性マンガ家の作品だ。

日本では、中卒で准看護学校に入ったものは高卒の年齢で准看護士の資格を得て医療の現場に入ることが出来る。正看護師より一段低く見られながら医療の現場の底辺を支えているのだが、正看より実技に長け、医師や正看の上からの目線が見落としている看護の現場の現実を赤裸々に見つめている者も少なくない。バッカ嬢はそのような女性の一人なのだろうか。

個性的と言えばそれまでだが、この稚拙な絵のマンガの第1巻は215万部突破、第2巻220万部、3、4巻と続いて、第5巻に至っては260万部突破と、その売れ行きは半端ではない。俗人の計算だが、1冊400円の本の印税が40円とすれば、第5巻260万部のX華嬢の収入は単純計算で1億400万円、シリーズ全5巻で合計約5億円になる?まさに「たかがマンガ、されど・・・」と言う他はない。

ではなぜこの漫画がそんなに売れるのか?それはバッカ嬢の堕胎の現実に対する優しい、暖かい、前向きの視点が、日本全国に何百万、何千万といる堕胎経験女性のハートを捉え、良心の疼きに触れたからではないだろうか。

 

准看護士バッカさんの語録をいくつか拾ってみよう。

〇 不思議だ、毎日中絶している場所なのに新しい命が生まれるんだ。(1巻P.21)

〇 産婦人科って毎日が喜びにあふれている場所だと思っていた。このバイトをするまでは。(同P.26)

〇 「ねえ、見える?あれが外の世界だよ。山バッカだけどキレイでしょ」

〇 ムダなことと分かっていたけど、日の光も見ないで暗い所に入れるのはかわいそうだったから・・・そして、いつものようにお別れを言いながら棺を持って歩く(業者に火葬のために渡すまで)(同P.25-26)

〇 マニュアル通り流産、中絶した胎児の処理をする、これが私の仕事だった(同P.79) 

〇 男は逃げることが出来るけど 女は 全て背負わなければならない たとえ心の準備が出来ていなくても・・・(同P.87)

〇 (堕ろされた)胎児はエタノールにはいると鮮やかな朱色になって光り輝く(同P.98)

〇 何もしゃべれないのに・・・その存在だけで人の命を救うなんて 赤ちゃんてすごいなあ 生きようとする力で みんなに希望を与える 赤ちゃんは「生きるかたまり」 命そのものなんだ・・・(2巻P.24) 

〇 (捨て子) よくぞ この子を殺さず 捨ててくれたと思った この子は 置き去りにされたから 生き残ることが出来たって・・・ 逆に親に感謝したい気持ちになった・・・ きーよしー こーのよーる ほーしは ひーかりー (3巻P.66)

〇 命に代えてもやりとげたいことって

  人生にどれぐらいあるんだろう

  「子供を産むこと」は そのひとつかもしれない(同P.99) 

〇 何故「透明な子」は出来るのだろう

  一度「透明な子」になったら子供達には過酷な運命が待って居る

  でもその中で子供は 色々な夢や希望を思い描き

  必死で自分が絶望に引き込まれないようにしている

  その願いが届きますように 救われますように

  少しでも幸せになりますように

  私は祈ってしまうのです。(4巻P.40) 

〇 授かった命には死産でも中絶でも皆意味と役割がある(5巻表紙)

では日本の中絶件数は公式統計ではどうなっているのだろうか。

国の統計が把握した日本人女性の中絶件数は、 1955年 117万件 だった。

件数は減少に転ずるが、その後も6年間は100万件の大台を維持した。

100万件を割ったのは                1962年 98.5万件

1963年以後も中絶件数は減少を続け、    1993年 38.7万件

何故1993年の数字が大事かと言うと、それはこの年の妊娠中絶件数が最近の日本の死亡原因第1位とされるの癌による死亡者数、37.0万人を超える最後の年だったからだ。つまり、1933年以前の日本では、常に堕胎が日本人の死亡原因の第1位であって、癌は2位だったことを意味する。

人は言うかもしれない。胎児は人間には数えない、出生して初めて日本人の数に入る、と。もしかしたら、あなたもそう思っている一人かもしれない。しかし、沖田X華(おきたバッカ)著のマンガ「透明なゆりかご」を密かにむさぼり読んで涙した大勢の中絶経験者の女性たちは、その意見に同意しないだろう。 

因みに、最近の厚生労働省の統計「日本人の死亡原因」(2016年6月2日)によれば、その順位は:

         ①  癌    28.7%  37.0万人

       ② 心臓病 15.2%  19.6万人

       ③   肺炎   9.4%  12.1万人

       ④   脳卒中  8.7%     11.2万人

       ⑤   老衰   6.6%    8.5万人

       ⑥   事故   3.0%    3.9万人

       ⑦   自殺   1.8%    2.3万人

       ⑧   その他 26.6%  34.3万人

               100.0%  129.0万人

となっている。 

もし、老衰、事故、自殺が日本人の死亡原因の中に数えられるのなら、老人以上に弱い立場にある無抵抗の胎児の他殺(しかも母親の決断による)はどうして死亡原因として挙げてはならないのだろうか。

堕胎した女性はそれが9週目であれ、それ以前の小さい命であれ、自分が堕したのは紛れもない自分の子供であり、一人の人間であることを本能的に知っている。

 

 

この2枚の写真を見ていただきたい。アウス(掻把)されてズタズタになった命のカケラをガラスのシリンダーに集めるのも、准看護婦見習いバッカちゃんの毎日の仕事だが、業者は病院を回ってそれを集め、マニュアル通り火葬に付す。と言うことは、日本の社会もそこに人間の生命の尊厳を認めている証拠ではないだろうか。 

胎児も500グラムほどになると、野蛮な掻把の対象とするのは母体に危険なのだろうか。人工的に強制分娩で取り出すが、呼吸して弱々しい産声を上げるのもいるそうだ。放置すればすぐ死ぬとしても、今の医療は滅菌保育器の中で未熟児として生き永らえさせ、哺乳して育て上げる技術を確立している。だから出生前の胎児は人間ではないと強弁することにはどうしても無理がある。だとすれば、堕胎もれっきとした日本人の死因の一つだと言うほかはない。

では、かつて日本人の死亡原因のトップだった堕胎の直近の数字はどうか。2009年には22.3万件だったが2017年は約20万件だそうだ。つまり、癌に次いで第2位、そして、心臓病19.6万人が第3位でそれに続く。

ふーん、今はそういうこと。堕胎が1位でなくなってひとまず良かったね、と妙な安ど感で話はお終いなのだろうか。バッカちゃんの「透明なゆりかご」はそこまでで一区切りつけて、それ以上追及していない。

と言うことは、過去はともかく、やはり今日の日本の死亡原因の第1位は「癌」の37万人と言うことか。そして第2位が「堕胎」の20万人、第3位が「心臓病」の19.6万人・・・と続くのだろうか?それでは当たり前すぎて、このブログ面白くもなんともないことになってしまう。それでいいのか?いいわけがない!

私はこの際、乗りかけた船で、なお隠されている真実に向き合わずにはいられないのだ。だから・・・

(続く)

 

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★ バチカンで能 「復活のキリスト」 奉納

2017-06-28 00:00:42 | ★ インカルチュレーション

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バチカンで≪ 能「復活のキリスト」≫上演

本物の「インカルチュレーション」

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高松の114銀行のベンチで自分の番を待っている間、「四国新聞」に目を通していたら「バチカンで国交75周年祝い」と言う副題の記事が目に留まった。

配信元は【ローマ共同】とあるから、東京の各紙にも同類の記事があったに違いない。この記事にいささか個人的なかかわりがあったので、ブログに取り上げることにした。

記事の中では、「復活のキリスト」はドイツ人宣教師の原作を宝生流17世宗家の宝生九朗が演出して57年に初演されたが、63年の再演が最後となった「幻の演目」・・・とあったが、そのドイツ人宣教師とは私の恩師ヘルマン・ホイヴェルス神父のことだ。同神父は上智大学の2代目の学長で、戦時中に軍部の圧力で学長を下ろされると、以来ずっと四谷の聖イグナチオ教会の主任司祭をしておられた。

バチカンのカンチェレリア宮殿での上演風景

先日、6月9日に四谷の聖イグナチオ教会で、ホイヴェルス神父の没40周年記念ミサが行われた。一口に40年と言うが、一人の司祭が亡くなって、その遺徳をしのぶ信者たちが毎年大勢集まって追悼ミサを行い、それが40年も続いたなどという話を、私はかつて聞いたことがない。ホイヴェルス神父様はよほど特別な聖徳の鏡だったのではないだろうか、と私は思う。勿論その蔭には、H神父門下では私の兄弟子にあたる東京家裁判事森田宗一先生の息子の森田明氏の存在があったことも忘れてはいけない。森田明夫妻がずっとその幹事をしてこられたからこそ続けられた面もあるからだ。

その明氏が、昨年の追悼ミサのあと「来年は40周年の節目を迎える。自分も体力の限界を感じる。誰も引き継ぐ人がいなければ、区切りをつけて追悼ミサを終わりにしたい」と予告されていた。

ミサ後の茶話会で司会する森田明氏 左はホイヴェルス神父の遺影。確かではないが、当時からカメラ小僧だった私が撮った写真ではないかと思う。

そして今年のミサの司式司祭はイグナチオ教会の元主任司祭のカンガス神父、私は共同司式だった。実は、カンガス神父は私が20歳でイエズス会の修練者だった時の副修練長で、以来大変可愛がっていただいた仲だった。 

90歳とは思えない若々しいカンガス神父の姿

私はこの9年間、前教皇ベネディクト16世の手で「一時的に」ローマに移された高松の「レデンプトーリス・マーテル国際宣教神学院」のスタッフとして、毎年多くの時間をローマで過ごしていたので、6月初めの追悼ミサの頃はいつも欠席を余儀なくされていたが、去年の6月は3.11東日本大震災の5周年を記念して東京のサントリーホールなどでキコのシンフォニー公演ツアー(5月1日―8日)があった関係で、久々に出席し追悼ミサを共同司式した。そして、明氏の話を聞きながら「もし誰も引き継ぎ手が現れなければ、元気な間は自分がホイヴェルス神父の追悼ミサを引き継ごう」と心に期するところがあった。

最後の追悼ミサとあって、普段よりも多い100人ほどの信者さんが集まっていた。ミサ後の茶話会では、ホイヴェルス神父の弟子たちの思い出話がひとしきりあって、司会の明氏は私に、少しまとまった話をするようにとマイクを振ってきた。

そこで私は、ホイヴェルス神父は宝生流の舞台で新作能「復活のキリスト」を上演され、城戸久平と言う能面師が打った世界にただ一枚のキリストの面が舞台で用いられ、神父没後も復活祭の頃になると宝生流の能楽堂ではキリストの「復活」能が上演されていたこと、これこそ本物のインカルチュレーション(キリスト教の土着化)の生き見本だと思ったことなどを話した。日本の伝統芸能の中にキリスト教の魂が宿ったからだ。

また、女形(おやま)歌右衛門を主役にして歌舞伎座で「細川ガラシャ夫人」の新作歌舞伎を一か月上演した話や、その後、デュッセルドルフのコメルツバンクで銀行マンをしていた私は、ウエストファーレンのドライエルヴァルデ(三ツ森村)に里帰りをした神父の生家で落ち合い、当時まだ健在だった姪のタンテ・アンナの手料理をH師の少年時代の勉強部屋で二人きりでいただいた。そのとき、来年は「細川ガラシャ」の歌舞伎一座を連れてドイツ公演ツアーをするから、お前は現地マネジャーをやれと指名されたのに、ついにその実現を見ぬまま他界されたこと、なども話した。

私は、話の結びに「もしよろしければ、来年以降は私が幹事役をお引き受けして、ホイヴェルス師の追悼ミサを私の健康の許す限り続けたい」と言って、話を結んだ。100名の参会者からは温かい拍手が沸き起こり、カンガス神父も目を細めて喜んで受け入れて下さった。

1964年と言えば、東京オリンピックの年だが、まだ25歳で上智の中世哲学研究室の大学院生だった私はホイヴェルス神父様と二人でインドのムンバイに旅行したことがあった。神父は、宣教師として一時ムンバイの私立学校で教鞭をとっていたことがある。この年、パウロ6世がローマ法王としては初めてヨーロッパ外へ旅行してインドで世界聖体大会を主催するということになり、H神父はインド旅行を決意され、私を連れて行ってくださった。その時、神父のもとに集まった昔の教え子たちと一緒の様子を私がスケッチした絵が今もどこかに残っている。 K.T. は私のイニシャル。

今偶然「四国新聞」で、去る23日、24日にホイヴェルス師の「復活のキリスト」能がバチカンで上演されたことを知って、胸がいっぱいになった。

(終わり)

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★ キコの壁画が出来るまで(そのー5)

2017-06-15 20:47:54 | ★ キコの壁画

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キコの壁画が出来るまで(そのー5)

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キコの壁画最終回は、軽いスライドショーで流しましょう。

お披露目にはローマ中の共同体の責任者が招かれた。キコの表情にも一仕事終えた安ど感が溢れている。

本当はフランシスコ教皇に見せたいところだが、ローマ教区の教皇代理のヴァリーニ枢機卿の、私が行く、の一言で話はおさまってしまった。彼は珍しく素直にキコの画をほめた。

ヴァリーニ枢機卿がほめたキリストの顔

壁画完成祝いのミサを司式する枢機卿

ギターを弾いて歌を導くキコ

キコから右に数えて二人目は、前教皇ベネディクト16世から指名を受けた日本のためのレデンプトーリス・マーテル神学院の院長平山司教(93歳) 

ミサで使うパンは手焼きの種なしパン。ぶどー種は参会者が皆たっぷり一口飲めるだけの量を大きな杯で用意する。この聖体拝領のやり方は、教皇ヨハネパウロ2世が2000年の聖年にイスラエルのドームスガリレアにヘリコプターでやってきて、キコと一緒のミサを司式して公に承認された。

ヴァリーニ枢機卿もこの6月にローマ教区長を退任する。

お祝いの食事の席ではいつも神学生の余興が入る。

ワインが適当に入っているから、頭上にナフキンを回してみんなで合唱になる。

ボストンのオマリー枢機卿も来賓として挨拶。フランシスコ教皇の教会改革8人衆の一人。

テレビの画面から。右の背の高い部分が、今回増築になった聖堂の部分。壁画はその正面に描かれている。

壁画はあくまでも典礼の一要素。ぎっしり人が入って初めて引き立つ。

今年の復活祭明け。今年も100広場の街頭宣教が世界中で行われた。今年のポスターとスケジュールの披露があった。

 集まりがあるとキコは必ずギターを取って自作の聖歌を一同と歌う。

聖堂の後ろ二階の聖歌席から見下ろすと、手前中央に洗礼盤があるのがわかる。1965年に幕を閉じた第2バチカン公会議の典礼改革では、イエスがヨルダン川で洗礼を受けたときのように、全身水に沈む浸しの洗礼が本来で、額に注ぐだけの洗礼は、状況次第では今後も許される、となっている。この洗礼盤は大人の浸しの洗礼に対応している。

キコの人生も最円熟期に入っている。画家としてのキコは、この壁画を彼の集大成と考えているのだろうか。今後は、彼の弟子たちの画家集団に、彼の開いた新しい宗教画のスタイルが受け継がれていくだろう。

(終わり)

 

 

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★ キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー4)

2017-06-11 19:28:12 | ★ キコの壁画

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キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー4)

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 そのー3 を書いてから、ひとつ「マチェラータの神学校訪問」を挟んだが、キコの壁画の完成までを書き終えておいた方がいいと思った。

部分、部分が仕上がっていく。どれもどこかで見たような絵だ。ちなみに、この絵は受胎告知じゅたいこくち)だが、新約聖書に書かれているエピソードの1つ。一般に、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってイエスを身ごもることを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる出来事。

キコはそれを東方教会の伝統に近い様式で描いている。私は、個人的にはフラアンジェリコの最高傑作とも言われるフィレンツェのドミニコ会修道院の階段を上がった突き当りにある受胎告知が一番好きだが、キコのも悪くない。

その右はキリストのベトレヘムでの降誕の絵だが、これも東方教会の伝統様式にのっとり、嬰児キリストは飼葉桶ではなく、死者の棺桶にミイラのように布で巻かれて横たわっている。キコの弟子たちは、キコが以前に全部一人で自筆で描いた同じモチーフの絵の忠実な模写として描き、キコはその中の主要人物の顔などに手を加えるだけにとどまる。

完成が近付いているのがわかる

ある日、私は絵の足場に上るための移動式エレベータに乗せてもらった。この写真は上昇中に途中で撮ったものだが、ガクンと小さいショックと共に止まった最高点から下をのぞいた時は、高所恐怖症とは無縁のはずのわたしでさえ、いささか体がこわばった。

足場が取り除かれた。システィーナ礼拝堂のミケランジェロの最後の審判の絵はこれよりわずかに小さいが、彼がひとりで6年かかかって描き上げたものだった。ところが、キコの手法にかかると、正味半年もかからずに完成している。ルネッサンス期のものと、東方教会のイコン画様式のキコの画とではそこにも大きな違いがあると言える。

ところで、キコの画の作成過程で、私には初めから大きな技術的疑問が一つあった。それは上の写真の左にも映っている移動式エレベーターのことだ。キコの画が書かれる前から増築作業に必要だったから聖堂の中に二台入っていて、画の作成過程でも大いに活躍した。私も一度それに乗せてもらったことは先に触れたが、絵が完成したら一体どうなるのだろうか、不思議でならなかった。細首の壺の中の餌を握った猿の手が抜けなくなるように、大きな開口部の無いこの聖堂からこの大きな塊はどうやって出ていくのだろう?まさか分解して小さな部分に分けて担ぎ出すのではなかろうに・・・

 

ところがある日、職人たちが妙なことを始めるのに気が付いた。大壁画の左右と上辺には、採光用と外の自然の借景をかねて大きなガラス板がはめられている。その右側の最下段のガラスに8個の巨大な吸盤が吸い付いた。エレベーターはどうやら自走してガラスを外したその場所から外に出るらしいことがわかって納得した。

大任を果たして無事外に出たエレベーター。ご苦労さん。

バチカンのシスティーナ礼拝堂の祭壇画、ミケランジェロの最後の審判は、ルネッサンス期の人間中心主義、3次元の遠近法を使った写実主義により、画家の天才的個性を前面に出した自由な絵画だった。だから、同じものはこの世に二つと存在してはならないものだ。また復活したキリストは、筋肉モリモリの青年像として描かれているが、そこからキリストの聖なる内面性は伝わってこない。

それに対して、キコの画は頑固に11世紀までのイコン画の基本に忠実に、神中心主義、非写実的に様式化され、画家の個性を消して、二次元描写と逆遠近法の手法に徹し、信仰と職人的技術を身に着けた弟子たちによって、キコの没後も末永く世界中で描き続けられるように計画されている。

出来上がりは、キリストの受胎告知から聖母の被昇天まで、キリストの生涯の主な出来事を回りの14枚の絵に表し、中心の上段には世の終わりの再臨のキリスト、下段には三位一体の神を描いた、曼荼羅形式をとっている。

 完成した自分の画を孤独に見つめるキコの後ろ姿

早耳で、完成を知って取材に来たテレビ局のインタビューに答えるキコ

午後の日差しが受胎告知を照らしている。

(つづく)

(あと1回でこのシリーズは終わる予定)

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★ マチェラータの「レデンプトーリス・マーテル」神学院

2017-06-02 00:28:56 | ★ 神学校の日記

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マチェラータの「レデンプトーリス・マーテル」神学院

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キコの壁画の最終回の前に、一つ挟もう。私は5月30日に日本に舞い戻った。平山司教様がご一緒だった。彼にとっては、これがローマでの最後の日々になるかもしれないという予感のもとに、5月下旬に小旅行をした。投宿先がこのマチェラータの神学院だった。

ホールにはキコの自筆の壁画があった。真ん中は三位一体の神、左がキリストの降誕、右が復活と空の墓のモチーフで描かれている。これらは、形を変えてローマの大壁画の一部に組み入れられることになっている。

マチェラータはアシジから真東に向かってアドリア海の近くの丘の上にある。ちょうど昼食時に着いた。聖堂で昼の祈りをして、食堂に向かう。詩編はパイプオルガンとギターなどに合わせてメロディーをつけて歌う。

食堂には30人ほどの神学生がいた。ローマの神学院の姉妹校で、規律は良く守られているのが空気でわかる。

これは、現在世界に115か所以上ある姉妹校の中でもかなり早い時期、多分10番以内に建てられた神学校で、寄付された土地にゼロからすべてキコの設計で建てられた最初の神学校だったと思う。隅々まで彼の独自の建築理念が生かされている。

現在、この神学校には12か国からの30人余りの神学生がいるが、その中の5人は中国人の若者だ。実は、このマチェラータという土地は、有名な中国の宣教師マテオ・リッチの誕生の地で、それに因んでここで生まれる司祭は、全員中国の宣教のために特別な養成を受けている。キコは、将来中国の共産党一党独裁体制が崩壊する日を目指して、世界中で2万人の宣教司祭を養成するという野心的な計画を持っている。ここの神学校はそのためのモデルケースになっている。

5人の中国人は別として、他の11か国からの神学生は、すでに中国に留学して中国語が話せるようになっている。

聖書を勉強するみ言葉の大聖堂には、ローマの神学校と同じキコのステンドグラスがはめられている。

兵馬俑のコピーや

中国の貴人の服装をした往時の宣教師の胸像が置かれていた。どちらかがマテオリッチではないか?

 

実はこの神学校はまだ完成していない。円形の大ホールがまだ未完成のままだ。キコのイメージデッサンをが壁に掛けられていた。

実は、1990年には、日本にこれと似たような神学校が(土地はこれよりかなり狭いが)四国の香川県東かがわ市に計画されていた。世界で7番目の姉妹校「レデンプトーリス・マーテル」神学院だった。今もこれと同じような完成模型がケースに入って日本のどこかに保管されている。土地の造成まで設計図に従って完成していた。竹中工務店の手で本工事を待たずに仮校舎が建てられ、実際に神学校が開校し、1998年まで活動し、20名ほどの司祭を輩出した。いまその神学校は前教皇ベネディクト16世の手でローマに移植され、将来の日本の福音宣教のために、≪日本のための「レデンプトーリス・マーテル」神学院≫と命名され、平山司教様が教皇からその院長として任命されて現在に至っている。

(つづく)

 

 

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★ キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー3)

2017-05-18 17:24:54 | ★ キコの壁画

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キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで

(そのー3)

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色付けのもとになる白黒のデッサンがほぼ出来上がった。 

手前のシルエットは只の見物人ではない(私みたいなのもいるが・・・。)多くはキコの弟子たちの画家の集団だ。キコは描く絵の中心人物の顔や手など、決定的な部分はすべて自分で描くが、衣服や景色や動物や背景や補助的人物の顔等は、教え込んだ弟子たちに意図的に手伝わせる。それは、彼が死んだ後も、キコ様式の絵を描き続ける一団を育てるためでもある。

画家たちは、イタリアやスペインを中心に世界中から家族を連れてここに結集し、自分の個性を完全に消して、せっせとキコの手足として絵筆を振るう。奥さんも子供も連れてくる。神学校の中に、にわか保育室までできた。子供たちが走り回っている。

 

空白部分は金色の絵の具でうめられていく。微妙な塗り斑が私の神経に障った。

 

絵と聖堂の後半部分との間にビニールのカーテンが出来た。埃を嫌うのか?

 

私はカーテンの中に入るのをしばらく控えていた

 

絵の色付けはどんどん進んで行く。上の段の椅子に座っているのはキコ。絵筆を振るっている。

 

伝統的なイコン画様式に沿って三位一体の神の絵を描いている

 

キコは美術アカデミー(芸大)の絵画部門の卒業生だ

 

 キリストの顔がほぼ完成に近づいた。黄色い余白の部分は、後日その上に金箔をおして仕上げられるだろう。なんだ、それなら下地の金泥の塗り斑は消えるわけだ。納得!

(つづく)

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★ キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー2)

2017-05-14 18:13:15 | ★ キコの壁画

 

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キコの壁画が出来るまで 

(そのー2)

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増築部分の内部はどうなっているのだろうか?

天上まで20メートル近くある。ビルの4-5階に相当するだろうか?

 

 

正面のコンクリートの壁は全く凹凸の無い滑らかな面に仕上げられた

 

一旦足場を外すと、回りを素通しのガラスで囲まれた巨大なキャンバスが現れた。構造が単純なのと、作業をしている職人が壁から大分手前にいるので、実感がわかないかもしれないが、バチカンのシスティーナ礼拝堂の正面の壁より広い。その広い壁を囲む外の自然がそのまま見えるガラスの額縁は、実は日本の伝統建築から来ている。日本の庭園に配された屋敷の広間は、襖や障子を取り払うと、座敷から庭園の自然が連続して視野に入るのを立体的に模している。

 

職人たちは床に大理石を敷き始めている

 

あらためて足場が組まれ始めた。今度のは画家が壁に向かうためのものだ

 

移動式エレベーターも2基持ち込まれた。私は後日その一つに乗って天井近くまでい行ったが、高所恐怖症でなくても足がすくんだ。

 

背に上着のかかった椅子がキコの司令塔だ。ここから絵の全体を眺めて細部のバランスをチェックする。いつも水とパンとチーズぐらいが置かれている。

キコと、キコの建築顧問のマティアス(中央)と弟子の画家集団の一人

 

脇のテーブルには雑然と資料が置かれている

 

キコが現場でデッサンした顔や目

 

構図が固まったら色付けに入る。原色の絵の具の色見本。

 

休憩時間の職人たち。純朴で実直な人たちだ。

これで下絵を描き始める準備はほぼ整ったことになるか。

(つづく)

 

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★ キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー1)

2017-05-08 18:32:06 | ★ キコの壁画

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キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで

(そのー1)

バチカンのシスティーナ礼拝堂にミケランジェロの「最後の審判」の大壁画がある

今回、それよりも大きな壁画「黙示録」にキコが挑戦!

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ローマにも10年に1度ぐらい雪が積もることがある。

10年ほど前に雪が降った日、私は自分の部屋の窓からこの写真を撮っていた。

三角の屋根、「通称ピラミッド」の右奥に聖堂の建物が見えている。 

 

 

同じ窓から撮った2年前の写真。右上、ローマの松のとことの十字架は、

聖堂脇の鐘楼の十字架。

窓は東向き。冬は鐘楼の十字架より右(南東)から太陽が昇り、

真夏はこの画面の外、遥か左(北東寄り)から太陽が昇る。

 

 

 昨年の夏、コンサートツアーもあって日本に帰っていた。

秋の宵にローマにもどった翌朝、朝焼けの下に見慣れぬ大きなシルエットがあった。

 

 

聖堂の正面をぶち抜いて高さも幅も倍近くの増築が始まっていた。

全部同じ場所からだが、雪の写真にも次のにも、この部分はまだ存在しなかった。

 

 

正門から入ると、聖堂の増築部分は今まで一番高かった鐘楼の塔よりも高くなったのがわかる。

 

        

この増築は何のため?

聖堂の床面積を7割がた広くするためだが、それだけではない。

正面にキコが絵を描く巨大な壁面を作るためなのだ。

ふつう大家が絵を描くとき、キャンバスや襖や壁面にはそれほど金をかけない。

ところが今回のキコの壁画の場合、その壁を用意するために億単位の金がかかっている。

また誰か、信仰深いスポンサーを見つけたのだろうか?

 

 

これから、画家キコの壁画制作の過程をカメラで密着取材しよう。

どんな展開になるのか、

アルバム風に綴るので、次回からをお楽しみに。 

(つづく)

 

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