レイバーネット日本 7月8日
ATTAC関西グループの喜多幡です。
パブロ・ソロン氏(ボリビア元国連大使)の重要論文です。
レイバーネットへの投稿として適当かどうか迷いましたが、新自由主義と開発主義に対抗するオルタナティブの議論のために書かれたものであり、南米左派政権の10年間の真摯な総括と現政権への苦渋と憤りに満ちた厳しい批判、「ビビール・ビエン(良く生きる)」の概念の意味と、その挫折、希望・・・ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思いました。
長文なので、冒頭部分のみを掲載します。
全文(A4 32ページ)はATTAC関西グループのブログからダウンロードできます:
http://attackansai.seesaa.net/article/451599340.html
+++
ビビール・ビエン(「良く生きる」)
パブロ・ソロン 元ボリビア国連大使
「ビビール・ビエン」あるいは「ブエン・ビビール」(「よく生きる」)」は構築中の概念であって、すでにさまざまな時期を経てきている。ビビール・ビエンの定義は1つに定まっていないし、現在ではこの用語をめぐって論争がある。今ではビジネス関連の団体もビビール・ビエンについて語っているが、その理解はその提唱者たちが10年以上前に新自由主義との闘争の中で考えていたものとは非常に異なっている。ブエン・ビビールは議論と論争の場であり、そこでは唯一絶対の真実など存在しない。
今日、ビビール・ビエンの名において多くの真実と無数の嘘が提出されている。ビビール・ビエンあるいはブエン・ビビールの概念はすでにさまざまな時期を経てきている。30年前には南米でこの世界観について語っている者はほとんどいなかった。当時あったのはアイマラ語の「スマ・カマニャ」とケチュア語の「スマク・カウセイ」で、南米アンデス地方の先住民族の知識、慣習、組織の体系を中心とする一連の思想を表現するものだった。スマ・カマニャとスマク・カウセイはアンデス地方の共同体の生活の現実であり、人類学者やアイマラおよびケチュアの知識人による研究のテーマであった。20世紀のほぼ全体にわたってこの世界観は多くの左翼や労働者組織- 特に都市部における - には注目されなかった。スマ・カマニャとスマク・カウセイは数世紀前に登場し、現在でもアンデス地方の共同体で継承されているが、近代化と開発主義の圧力の下でますます後退している。ラテンアメリカの他の先住民族の間でも同様の世界観や用語が存在する:グアラニーの「テコ・カビ」や「ニャンデレコ」、シュアルの「シール・ワラス」、マプチェの「キュメ・モンヘン」などである。
ビビール・ビエンあるいはブエン・ビビールの概念は20世紀末から21世紀初めにかけて登場し、理論化された。おそらく新自由主義とワシントン・コンセンサスの破滅的な影響がなければ、スマ・カマニャやスマク・カウセイからビビール・ビエンやブエン・ビビールが生まれることはなかっただろう。ソヴィエト社会主義の失敗、代替モデルの不在、自然の多くの領域の私有化と商品化の進行が、資本主義的近代によって無価値とされてきた先住民族の慣習や世界観への再評価のプロセスを鼓舞した。この再評価のプロセスは理論と実践の両方の面で始まった。新自由主義的政策の導入による数万人の労働者の解雇は南米アンデス諸国の階級構造に変化を引き起こした。ボリビアでは約1世紀にわたってすべての社会階層の前衛だった鉱山労働者が退場させられた。代わりに先住民族と農民が前面に出るようになった。
先住民族の居住地を守る闘いは連帯を生み出しただけでなく、それらの居住地における自主管理の考え方を理解することへの関心を目覚めさせた。左翼や進歩的知識人の一部はベルリンの壁の崩壊後、自分たちのユートピアを失い、こうした先住民族の宇宙観から何を学べるかを検討しはじめた。こうしてビビール・ビエンやブエン・ビビールの概念が登場したのである。実際にはどちらの用語もスマ・カマニャやスマク・カウセイの不完全で不十分な翻訳であり、スマ・カマニャやスマク・カウセイにはもっと複合的な意味が含まれている - 豊饒な、心地よい、調和の取れた、崇高な、包容性のある生活、そして「生き方を知ること」などである。
<以下略>
http://www.labornetjp.org/news/2017/1499510934471staff01
ATTAC関西グループの喜多幡です。
パブロ・ソロン氏(ボリビア元国連大使)の重要論文です。
レイバーネットへの投稿として適当かどうか迷いましたが、新自由主義と開発主義に対抗するオルタナティブの議論のために書かれたものであり、南米左派政権の10年間の真摯な総括と現政権への苦渋と憤りに満ちた厳しい批判、「ビビール・ビエン(良く生きる)」の概念の意味と、その挫折、希望・・・ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思いました。
長文なので、冒頭部分のみを掲載します。
全文(A4 32ページ)はATTAC関西グループのブログからダウンロードできます:
http://attackansai.seesaa.net/article/451599340.html
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ビビール・ビエン(「良く生きる」)
パブロ・ソロン 元ボリビア国連大使
「ビビール・ビエン」あるいは「ブエン・ビビール」(「よく生きる」)」は構築中の概念であって、すでにさまざまな時期を経てきている。ビビール・ビエンの定義は1つに定まっていないし、現在ではこの用語をめぐって論争がある。今ではビジネス関連の団体もビビール・ビエンについて語っているが、その理解はその提唱者たちが10年以上前に新自由主義との闘争の中で考えていたものとは非常に異なっている。ブエン・ビビールは議論と論争の場であり、そこでは唯一絶対の真実など存在しない。
今日、ビビール・ビエンの名において多くの真実と無数の嘘が提出されている。ビビール・ビエンあるいはブエン・ビビールの概念はすでにさまざまな時期を経てきている。30年前には南米でこの世界観について語っている者はほとんどいなかった。当時あったのはアイマラ語の「スマ・カマニャ」とケチュア語の「スマク・カウセイ」で、南米アンデス地方の先住民族の知識、慣習、組織の体系を中心とする一連の思想を表現するものだった。スマ・カマニャとスマク・カウセイはアンデス地方の共同体の生活の現実であり、人類学者やアイマラおよびケチュアの知識人による研究のテーマであった。20世紀のほぼ全体にわたってこの世界観は多くの左翼や労働者組織- 特に都市部における - には注目されなかった。スマ・カマニャとスマク・カウセイは数世紀前に登場し、現在でもアンデス地方の共同体で継承されているが、近代化と開発主義の圧力の下でますます後退している。ラテンアメリカの他の先住民族の間でも同様の世界観や用語が存在する:グアラニーの「テコ・カビ」や「ニャンデレコ」、シュアルの「シール・ワラス」、マプチェの「キュメ・モンヘン」などである。
ビビール・ビエンあるいはブエン・ビビールの概念は20世紀末から21世紀初めにかけて登場し、理論化された。おそらく新自由主義とワシントン・コンセンサスの破滅的な影響がなければ、スマ・カマニャやスマク・カウセイからビビール・ビエンやブエン・ビビールが生まれることはなかっただろう。ソヴィエト社会主義の失敗、代替モデルの不在、自然の多くの領域の私有化と商品化の進行が、資本主義的近代によって無価値とされてきた先住民族の慣習や世界観への再評価のプロセスを鼓舞した。この再評価のプロセスは理論と実践の両方の面で始まった。新自由主義的政策の導入による数万人の労働者の解雇は南米アンデス諸国の階級構造に変化を引き起こした。ボリビアでは約1世紀にわたってすべての社会階層の前衛だった鉱山労働者が退場させられた。代わりに先住民族と農民が前面に出るようになった。
先住民族の居住地を守る闘いは連帯を生み出しただけでなく、それらの居住地における自主管理の考え方を理解することへの関心を目覚めさせた。左翼や進歩的知識人の一部はベルリンの壁の崩壊後、自分たちのユートピアを失い、こうした先住民族の宇宙観から何を学べるかを検討しはじめた。こうしてビビール・ビエンやブエン・ビビールの概念が登場したのである。実際にはどちらの用語もスマ・カマニャやスマク・カウセイの不完全で不十分な翻訳であり、スマ・カマニャやスマク・カウセイにはもっと複合的な意味が含まれている - 豊饒な、心地よい、調和の取れた、崇高な、包容性のある生活、そして「生き方を知ること」などである。
<以下略>
http://www.labornetjp.org/news/2017/1499510934471staff01