浪速の内弁慶? 田村です。
久しぶりにボクシングのテレビ観戦をしました。
例の内藤VS亀田戦です。
大毅選手の反則・言動に批判が集中していますが、
父・史郎氏、興毅選手のセコンドアドバイス(勝ち目はないから急所を狙え)で、
大毅選手は父・兄に見放された感覚から、わけがわからず異常行動
にでたと思われます。(教育番組の様だ)
この試合は、1ラウンド目から、亀の様なガード・ベタ足から
繰り出す亀田選手のパンチが、ウィービングやスェーバックの
技術が巧みな内藤選手に全く当たらない段階で勝負があった
様に見えました。
後は、亀田選手のひとり相撲でした。
しかし、最近は興味のそそる選手がいなくなりましたね~
国内では、現在タレントの赤井選手、辰吉選手以来です。
具志堅選手も今は面白いおじさんですが、異常に強かった
ですね。
コンビネーション・ラッシュはすさまじいものがありました。
ヘビー級では、カシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)
の言動・ボクシングスタイルは伝説と化しています。
試合前の検量で対戦相手に、ケンカごしに暴言を連発する様は、
亀田選手の比ではありませんでした。
(BIG MOUTH)ほらふきともよばれ、相手を必ず何ラウンド
で倒すと公言するのは当たり前でした。
上記は、相手と自分にプレッシャーを与え、頭に血が上った
相手に対して、自分は冷静に試合を運ぶ為の作戦であり、
ショーマンシップでもあった様です。
(蝶の様に舞い、蜂の様に刺す)
添付写真の相手をダウンさせても尚、鬼の様な形相で威嚇
する様は、公言した通りとアピールしている事、
ボクシングが命をかけたスポーツであり、
圧倒的なテンションで戦っている事の現れです。
又、伝説となったのはその戦歴です。
1964年に世界王者になり、9度防衛後
1967年 良心的兵役拒否の為、ヘビー級タイトルを剥奪。
ボクサーライセンスも剥奪され3年間のブランク
を余儀なくされる。
1970年復帰戦に勝利したが、その後、2敗。アゴを骨折する。
1973年上記、骨折された相手(ケン・ノートン)に再戦、
タイトル奪取。再び世界王者になる。
1974年ザイールのキンシャサで、当時至上最強のハードパンチャー
と言われたジョージフォアマンにKO勝ちし、「キンシャサの奇跡」
と言われた。10度防衛。
1975年当時無名のチャック・ウェップナーと対戦し、ウェップナー
が善戦したこの試合をヒントにし、シルベスタスタローンが
映画「ロッキー」製作。私も見ていましたが、アリは、立って
いるのがやっとでした。
1976年アントニオ猪木と戦う。(ぜんぜん関係ない話しですが、
高田延彦選手が新人時代、試合前にビビッテいると、猪木に
おもいっきりビンタされていたのが、思い出されます。
これまた、新人だった長州力選手が、3タッグ戦のアンドレ・ザ・
ジャイアントにびびって逃げ回っていたのが印象的でした。)
1978年2月レオン・スピンクスに判定負け。
1978年9月 レオン・スピンクスに判定勝ち。(3度目の返り咲き)
アリの3年比べれば、亀田選手の1年は、十分挽回できると思われます。
ボクシングスタイルもアリの様にクレバーなボクサーになる事、父ちゃん
離れする事が必要ですが・・・・
最後にアリの名言
「あまりにも順調に勝ちすぎているボクサーは、実は弱い」