チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「知の現場」

2017-05-02 08:41:25 | 哲学

 135.  知の現場  (NPO法人知的生産の技術研究会編 2010年1月)

 現在活動している21名の方々に、あなたの「知の現場」とは何かをお聞きしたものが本書です。どのようにテーマや課題を設定し、情報を収集し、どのように組み立て、編集し、著作や問題化解決に導いていくかをインタビューしたものです。

 私たちもアイデアをなんらかの形あるものにすることによって、様々な発見やヒントや成果が得られ、次のステップに立てるのではないでしょうか。

 テーマや問題を文章にするにしても、問題解決の糸口を探るにしても、アイデアを検証するにしても、それらを文章や図や絵コンテにして、多くの人に理解してもらって、協力してもらう必要があります。この中から、何人かを紹介したします。


 原尻淳一 本業はマーケティングプランナーで、アーティストや映画などのマーケティング・リサーチやプラニングを行っている。1972年、埼玉県生まれ、「IDEA  HACKS!」 「PLANNING  HACKS!」 などの著書があり、大学講師も務めてます。

 『 龍谷大学大学大学院時代、フィールドワークの技法を研究しようと、鶴見良行先生の自宅の仕事部屋を見学させていただきました。鶴見先生は、偉大なアジア研究者です。

 徹底したフィールドワークと学術資料から「バナナと日本人」 「ナマコの眼」などの代表作を生み出されました。私がお宅にうかがったのは、先生がお亡くなりになって2年くらい経っていた1997年頃でした。

 まず、玄関を開けた瞬間に、目に飛び込んできたのは、アジア関連の書籍がびっしり詰めこまれた本棚でした。そして、通路にも本棚が並び、そこをすり抜けて仕事部屋に入ります。

 そこで見たものは、アウトプットを生み出すための大変優れたデータベースシステムでした。私はそのすべてに圧倒されました。そのシステムにはデータベースが三つありました。

 まず一つ目は「読書カード」です。本のタイトルと自分が気になったところを抜き書きしてあるカードで、4万枚ほどありました。そしてキーワードごとにきちんと整理されていました。

 二つ目は「写真」。鶴見先生ご自身が現場で撮影したものです。腕前はプロ並み。美しいものばかりでした。そして、三つ目が「フィル―ドノート」で、これは現場で書いた日記です。これも、ほとんどがそのまま本になるほどのすぐれた文章でした。

 この三つのデータベースから、データを取り出して並べ替えることによって、アウトプットである本を作ってしまうのです。つまり「再編成するだけで本ができる」という、非常に優れたシステムをコツコツと作り上げていたのです。

 特に名著「ナマコの眼」は、このシステムの集大成です。私はとても感動し、自分も実践したいと思いました。これを知った時は、大学院の修士課程の1年生の終盤でした。

 卒業までの1年間では、このシステムを作りあげるのはとうてい無理だと思いました。もっと早く知りたかったですね。 』


 『 卒業後、私は広告代理店に就職し、マーケティング・プランナーになりました。多くの仕事を抱え、短時間で、企画書をどれだけ効率よく作れるかが問われます。

 当時、私は梅沢忠雄先生の名著「知的生産の技術」を何度も読んでいました。そして前述した、鶴見先生のデータベースシステムを自分のプランニングに活かせないだろうか。

 つまり、自分で優れたデータベースを作り、そこに蓄積された要素を編集して企画書を作るというシステムを構築したい。そういったことをずっと考え続け、試行錯誤を重ねていきました。

 もちろん、鶴見先生の時代と比べて、技術は格段に進化し、仕事のスタイルも変化してます。そこで、WEBの技術やツールを使い、改良を重ねて完成したのがハニカム・データベースシステムです。 』


 『 このシステムは、六つのデータベースで構成されています。このデータベースは、蜂の巣構造になっており、真ん中にある六角形(ハニカム・データベース、アウトプット用)の周囲を六つのデータベースで構成されてます。

 1. アイデアファイル

 「これは面白い! 美しい!」と思ったものが詰まったファイルです。「グラフ」 「ランキング」などのカテゴリー分けしたクリアファイルを用意しています。主に、雑誌やフリーペーパーの切る抜きを集めているだけですが、非常に刺激的なファイルです。

 2. 携帯電話メモ

 携帯電話のメモ機能を利用して、気づいたことをその場でメモしたり、面白いと感じたものを写真に撮ったりします。ひらめきの瞬間を逃さず記録するアイデアデータベースです。

 3. データファイル

 ウェブ上で公開されているデータをブラウザの「お気に入り」でせいりしています。仕事上、統計データをよく利用しますので、政府が出しているもの、広告代理店が発表しているもの、企業の研究機関が公表しているものなどを整理してまとめています。

 4. ブログ

 日記とともに、日々収集したネタから、これは使えるというものを書いています。また、「読書カード」というカテゴリーを設けて、読んだ本の中で使えると思って部分をページ数とともにメモし、自分の感想を含めてアップします。

 5. 教訓ノート

 仕事で経験してきたこと、思ったことをまとめたノートです。プロジェクト終了時に総括したり、本を読んで実行しようと思ったことなどが書き込まれています。新しいプロジェクトを始めるときには、必ずこれを読みます。自分の行動規範になっています。

 6. 名作ファイル

 過去に作成した企画書で、今後も参考になるものを集めています。企画書を作る際のお手本ですね。宣伝プランや事業計画など、カテゴリー分けしてすぐれた企画書を集めています。次回、企画を立てるときに参考にして、漏れがなく進めるようにします。 』


 『 以上がデータベースですが、これは料理にたとえると、レシピや冷蔵庫のようなものです。この中に材料をどんどんストックしていきます。そして、アウトプットするときには、レシピを見ながら材料を取り出し、料理をするイメージです。

 このデータベースが充実していれば、アウトプットの際に、再び参考資料や本を読んだり調べたりするという時間が短縮されるのです。あとは日々データベースにデータを蓄積して充実させていくだけです。

 情報収集のコツは「入れる場所を用意しておく」ということですね。私の場合、入れる場所はもちろん、先ほどのデータベースになります。そして、どこにいても何をしていても、そのすべてが情報源です。

 至るところが知の現場といえますね。日常的に、これ必要だな、面白いなと感じたものは確実に押さえます。ストックする場所(データベース)は用意してあるので、そこに入れるだけなのです。

 本には付箋を貼って、あとでパソコンに入力する。歩いていて気になったものは、携帯電話のカメラで写真を撮る。誰かと会話していても、そのそばからブログにアップする。

 雑誌は破ってファイルに溜める。アイデアは携帯電話でメモをする。不思議なもので、データベースをつくることを常に意識していると、それに合ったものが自ずと集まってくるようになります。

 さらに、効率を高めるための工夫もしています。たとえばブログは、私の場合「はてなダイアリー」を使っています。書籍は、タイトルなどを入力するだけで、著者名や出版社、本の画像などが自動で入り、自分で書く手間が省けます。

 このように、すぐに入れられて、入れる際にも、なるべくストレスが軽減されるものを選ぶことが重要です。 』

 

 『 アイデアを出したり企画書を練るときは、まず情報を拡散してから収束していくという流れを必ず意識しています。拡散の段階では、チームメンバーなどと、たくさん会話をし、アイデアを出し切ります。風呂敷を全部広げることを心がけています。

 全部出し切って、次に整理をする。そのうえで収束していき、さらに良いものに変えていくのです。資料、データを広げたうえで、方法を変えてみようとか、レシピが悪いんじゃないかとか、違うものを取り入れてみようなどということが話し合われます。

 そういった議論や研究を通して、新しさが出てきます。そういうステップを踏んで、最終的な方針をきめていきます。

 そうして、企画書などのアウトプットを作成するときは、誰にも邪魔されない環境を作り出し、一人で籠ります。本、企画書など、アウトプットするものによって、それぞれふさわしい場所を用意しています。

 たとえば企画書の場合は、会社の会議室を予約し、そのときの参加者を自分一人にします。大きな机に資料を全部広げ、それらを眺めてから一気に取りかかります。

 本を書くときには、行きつけの喫茶店があります。そこはアールデコ調のシックな内装で。クラシックのBGMが流れている。とても雰囲気の良いところです。

 そして、喫茶店という他人の視線がある環境から、ちょっとした緊張感が生れ、原稿が進みます。会社が終わったら喫茶店に行って、ラストオーダーまで書くという感じですね。

 その他にも、ノートパソコンがあれば、どこでも仕事ができるので、カフェやホテルのラウンジなど落ち着いた雰囲気の場所を知的生産の基地として利用しています。

 そして、アウトプットをつくり始めたら、一気にとことんやってしまいます。家でやっていると、気づいたら朝、ということも珍しくありません。一気にやってしまうのは、長い準備期間があるからかもしれません。

 データベースに蓄積する。そのテーマに関して、常に頭の中で考え続ける。そうすることによって気持ちがだんだん高まってきます。たとえていえば、少しずつ火薬が入れられていくようなイメージでしょうか。

 すると、だんだんイライラしてくる。そして溜まりに溜まったものを爆発させるかのごとく、ドーンと一気にやってしまい、仕上げてしまうのです。 』


 武者陵司 1949年長野県生まれ、横浜国立大学経済学部卒業後、大和証券で企業調査アナリスト、大和総研アメリカで調査部長、ドイツ証券副社長を歴任後、現在武者リサーチ代表取締役。

 多くの証券アナリストがひしめく中で、「新帝国主義論」を表し、兜町、そしてアメリカ証券界で実績を積む。では、お話を聞きましょう。


 『 子どもの頃は父が発電所に勤めていて、秘境のような田舎に住んでいました。近くには当時、農家と国鉄駅員の家族くらいしか住んでいませんでした。テレビもないので野原で遊ぶか、学校の図書館で本を濫読するしかありませんでした。

 大和証券に入ったのは、特に目的とかキッカケがあったわけではありませんが、横浜でよく利用する喫茶店の階下に大和証券の支店があったので、頭の中でその名が刷りこまれていたのでしょうね。

 大学では経済史、大塚経済学を学びましたが、恩師は大塚久雄門下の学者でしたからマルクスとか、マックス・ウェーバーのような社会主義的な書もずいぶん読みました。ただ、仕事をするなら株式リサーチをやってみたいという希望はありました。

 大和証券へ行ったらアナリストの仕事があると聞き、大学で先進国資本主義、後進国資本主義、アジアの資本主義などさまざまな資本主義を共同理論との兼ね合いで分析する資本主義類型論を学んだということを大和証券の役員に話したところ採用され、リサーチをやらせてもらったのです。

 ですから私は証券会社の人間ですが、実際には証券について詳しくありません。まあ証券マンというより調査マンでしょうね。私に目を開かせてくれたのはアメリカの存在、特にアメリカの経済でした。

 それまでアメリカ像といえば、利益追求とか資本の自己増殖的な拡大要求によって人間を従属させ、侵略して弱者をつぶすというようにステレオタイプ化した負の側面ばかり見ていました。

 実際に職業人としてアメリカの現実を見てみると、それまで書物を通してしか知らなかった反米とか嫌米感情と、現実の間に大きなギャップがありました。

 ととえば、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神」に描かれている資本主義精神のモデルは、ベンジャミン・フランクリンであり、イギリスやヨーロッパ大陸ではなくアメリカを指しています。

 私はものを考える上でいつもアメリカを軸に置いています。 』


 『 これからも今までやってきた経済・金融を中心とした情勢分析と情報発信をしていく環境をつくりたいと思っています。

 インターネットも普及してきていますし、データベースもあり、昔ならリサーチというのは独立して行うのは無理だと思われたのですが、今ではそれが可能となりました。

 その点で、私にとって情報源として一番役に立つのは「ウォール・ストリート・ジャーナル」だということははっきりしていますね。

 その理由として第一に、今世界の金融というのは一つだということです。金融というのは最も優れた知見が現れた場で、それが世界を支配するわけです。知性とインテリジェンスの「塊」が金融です。

 インテリジェンスの一番高いものとか、説得力のあるもの、普遍的なものが、勝負し生き残るわけです。「ウォール・ストリート・ジャーナル」はそうした金融における最高の見識が出会う場になっていると思います。

 第二に、仮設というのは実学でなければいけません。単なる机上の空論や、論理、価値観にとどまっていてはならないということです。経済とか金融はより良い結果を生み出すための手段ですから、結果に責任があり、解決策に結び付かなければなりません。

 政策でも投資でも、どんな立派な理念を述べてもそれ自体が本当に永続していくためには、経済的で合理的な根拠が必要です。あらゆるロジックがチェックされ、ソリューション(解決策)を持っているかどうかということが大切です。

 これらの点で、「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、日本の経済メディアより優れていると感じます。日本のメディアは、論理、正義感、価値観にてらしたロジックをかざしながら、どう解決するかというソリューションを示しません。

 その点で「ウォール・ストリート・ジャーナル」には、データとプラグマティズムの究極である、ソリューションがあります。今後は資本の肥大化とか、バルブとかモラル崩壊のような問題を修正したり解決していく必要があります。

 そのために求められるプラットフォームの構築という点では、「ウォール・ストリート・ジャーナル」に圧倒的な強みがあります。 』


 『 経済学というのは非常にプリミティブ(原始的)な学問だと思います。経済学が支配し、説明できる領域は極めて限定的です。過去の事象を分析する経験科学より、人類そのもののほうが常に先行します。

 経済学が過去の実例を論理化して未来を予測することは不可能に近いと思います。その不可能なことを可能にしようというのが新しい経済学の挑戦です。それはまさにゲームです。

 かつての一国経済だけの経済学では現在のインターネットの普及や、グローバル経済を理解することは不可能となりました。巨大な賃金格差とか、長期にわって巨大な超過利潤が保留されるということなども解決不能です。

 これはもはや経験科学の限界で、従来の経済学の方程式だけでは役立つ情報分析にならないと思います。

 私はかって悲観的な見方をとっていましたが、今は楽観論者で、現在世の中に起きていることは、必ずしも大きなパラダイム(共有概念)転換に伴う挫折ではないと思っています。

 禍(わざわ)いの結果というより世界経済の繁栄のひとコマで、少々行き過ぎや逆流が起きていますが、その基本的なフレームワーク(枠組み)は変わらないだろうと思います。それが私の楽観論の根拠なのです。

 なぜ金融危機は起きたのか。あえていえば、経済が繁栄し過ぎて行き場のない貯蓄や所得が溢れてバルブになったからだと思います。

 財政や金融面でモラルのない拡大政策が間違いだったという人もいますが、それだけでないと思います。人々が信じ切っていた投資における保険がまったく無力になりパニックによって市場が大暴落したためだと思います。

 今世界経済が一つになって史上空前の産業革命が起こっています。人類の歴史を振り返りますと、農業従事者が工業に従事することにより産業革命が起こり、その分業化によって生産性が著しく上昇しました。

 それと同じように巨大な人口スケールで国・地域別の分業が起きているのが現在です。今日、世界で起きている産業構造の転換と富の創造をもたらしているのは、史上空前のことだと思っています。 』


 『 日本の若者が国際社会で活躍するために必要なことは、英語に習熟する状況を日本に取り入れることです。つい最近まで基礎としての国語も十分学ばずになぜ英語か、論理的に日本語でしっかり話ができる人を育てるのが先決と考えていました。

 しかし、それはどうも違うようですね。現実に世界の文化や知見、インテリジェンスは明らかに英語をベースに展開されています。はっきり言って1億人の知恵の集まりでは話になりません。

 40億人の知恵が集まっているのが英語です。40億人の知恵が集まっているベースのうえで話しをしないとほとんど世界で理解されません。

 たとえば、インド、シンガポール、香港などは不幸にして植民地でしたが、彼らは英語社会という条件下であったことが有利に働いています。

 日本語の狭い世界の中では限界があります。今や日本は世界の情報・知見から急速に取り残され井の中の蛙状態です。

 各国がそれぞれ自国のプレゼンス(存在感)を発揮しようと努力しているのに、日本だけは何もしないで悲観的になったり、自虐的になったりしていては解決策は何も浮かびません。

 世界のビジネスにおいても金融についても取り残されています。外交でも、軍事でも、政治でも、経済でも何もしない。まったく無責任国家に成り下がっています。

 日本はグローバルでオープンな世界の中に依存してこそ存在しうる国家であるのに、国内にはクローズドで完結した世界ができあがっている。その元凶はメディアで、日本の閉じた情報空間は恐ろしいですね。 』


 『 富の蓄積についていえば、富の再投資が経済再生産を生むメカニズムが必要だと思います。あり余る資本の余剰性をどう処理するか。そのためには巨大雇用を生む現代のピラミッド建設が必要です。

 現代経済をダイナミックに考えると、資本の新たな投資対象を考える必要があります。今日一番重要な対象は地球環境の再生です。

 現在資金が余剰にありますから、地球再生のために投資して、一方で地球エネルギーを活かしてエネルギー革命を行うことが必要です。これは同時に新たな雇用を生み出します。

 現代のグローバル経済はローマ帝国に似ています。ローマ帝国が遺したものが二つあります。一つは遺跡であり、もう一つは辺境にあるコインです。ローマ帝国は版図を拡大して膨大な土木建設を行いました。

 それが今日、帝国の中心に遺跡として残されています。他方、辺境ではコインが非常に多く発掘されますが、それはあの時代に所得の移転があったことをうかがわせます。

 ローマ帝国はコインを輸出し、周辺地域から借金をしていたわけです。借金をして富が溜まり、それが今日残っている遺跡になったと考えられます。

 これとまったく同じことが現代でも起きています。アメリカはドルをばらまいて、世界中から借金をして富を集中しています。このことは浅い資本主義の歴史の中のほんのひとコマですが、大きな人類史の中で同じことが繰り返されているのです。 』 (第134回)