水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1001」

2023-09-30 20:56:59 | Weblog


ある気功師・606

清浄の雰囲気か汚染された雰囲気か。
それは簡単に判断できる。
清浄ならば息が深くなる。
汚染ならば息が止まり浅くなる。

見えないモノに対し、肉体は即座に判断してくれる。
見えないモノに対し、頭、理屈で判断すると間違う。
(アナタや私の)頭など悪いと自覚した方がいい。
心を静め肉体の声を聞くと、間違えはほとんど無い。

変な雰囲気の時、霊が関係するかどうかの判断。
こちらは難しい。
ある程度の経験、体験から判断するからだ。
雰囲気が動くか、意思で動くか、を見極める。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
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「迷想中・迷走中・1000」

2023-09-29 20:43:29 | Weblog


ある気功師・605

私のような気功師だけが気づくようなものではない。
誰でも違和感に気づくレベルの濃さだ。
ここ、何か、空気が違うね。
そういう事に疎い人でも気づく。

大切なのは質だ。
よくあるのがパワースポット。
荒い破壊的な氣をパワースポットだと喜ぶ人が多い。
ここ、凄~い・・・

穢れ地と称される場を神社として封印する。
荒れた氣は刺激となり感じやすい。
イヤシロ地と称される場を神社として封印する。
人の穢れが簡単に入らないように注連縄で結界を張る。
神社とはいえ、全く反対の氣なのだ。


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「迷想中・迷走中・999」

2023-09-28 20:42:51 | Weblog


ある気功師・604

中国から突然の理不尽な侵略を受けたチベット。
困難な交渉から生命の危険を回避して亡命。
当時インドのネール首相がダラムサラを提供した。
そこから何も無い高地ダラムサラでチベット亡命政府を立ち上げる。

チベット国はダライラマ法王とチベット仏教の国。
ノルブリンカという素晴らしい王宮や名刹から離れてきたのだ。
寺は国民の希望でもある。
どの寺も基礎石、柱一本まで真言を唱え、思いを込めて創った。

その寺の中でもネチューン寺はチベットの未来を司る。
あらゆる資材、部品、作り方、仏具、その他に真言を込める。
その集大成がネチューン寺となった。
その思いは空気まで変えた。


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「迷想中・迷走中・998」

2023-09-27 20:26:40 | Weblog


ある気功師・603

質は全く違うが、思い出す。
インド、チベット亡命政府のあるダラムサラ。
幾つもの名刹があるが、とびっきりの寺がある。
ネチューン師が管轄するネチューン寺だ。

ネチューン師というのは、特別な指導者だ。
代々の法王とチベットの国の未来を予言する立場だ。
もちろん活仏(生まれ変わり)で名を受け継ぐ。
通常は人前に出ない。

その寺を訪問した時だ。
内に入った瞬間からビックリするくらい濃い氣だった。
清浄だが濃い。
清浄だが思いが伝わる見えない空気。


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「迷想中・迷走中・997」

2023-09-26 20:25:11 | Weblog


ある気功師・602

私の感覚と考えだ。
通常の病院と違い、脳に干渉する病院だ。
人の感情を含んだ思いは、本人から離れない。
あるいは、少ししか離れない。

思いは距離に影響しないと考えられている。
だが肉体から生まれた思いだ。
そんなに遠くまで離れられない。
通常、生きていた場から、そう離れられない。

この病院も一つの箱の中だ。
この中に同じような思いが混じり合った。
あるいは、合体したかもしれない。
霊とは違い、思いの合体だ。


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「迷想中・迷走中・996」

2023-09-25 20:31:21 | Weblog


ある気功師・601

そういった濃い思いは場に留まる。
混ざり合い、更に濃さが重くなる。
どの病院もこの濃く重い雰囲気はある。
だが脳神経に特化したこの病院は更に独特だった。

最初は霊がウヨウヨいるのかと思った。
霊の感じに似ているのだ。
玄関を入った時から、参ったなぁ、と思った。
一応結界を張って治療した。

ところが少し感覚が違う。
霊のようにまとわりつかない。
あるいは、逃げていかない。
何だろう、この感覚は・・・


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「迷想中・迷走中・995」

2023-09-24 20:11:28 | Weblog


ある気功師・600

依頼場所が病院の事は多い。
すでに厳しい状況がほとんどだ。
総合病院がほとんどだ。
個室がほとんどだ。

ある時、脳神経外科病院に来て欲しいとの依頼があった。
私はクライアントに必ず担当医の許可を取ってもらっている。
私の治療は他の治療の弊害にならない。
刺激療法ではないからだ。
それを、しっかり説明して許可をもらう。

病院は様々な真剣な雰囲気がある。
病に悩む本人、家族の思い。
毎日病人に対する医療関係者の思い。
そして、死に近い、あるいは、死を迎えてしまった場だ。


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「迷想中・迷走中・994」

2023-09-23 19:56:16 | Weblog


ある気功師・599

勘違いしやすいのが感情の混じった意思だ。
例えば、心を込めて治療する。
他の治療法に口出すつもりはない。
だが、この気功治療は心を込めてはいけないのだ。

それでも、私のような者にも感情は動く。
つ、つい、何とかしたいと力を込めてしまう。
氣を強めたいと心を込めてしまう。
すると・・・弱くなってしまうのだ。

本来の氣よりも私のアホな思いが混じってしまう。
自分では心を込めるのは良いと勘違いしている。
実際は、自分を離す、分ける、別にする。
相手がどんな状況でもフラットである方が最良となる。


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「迷想中・迷走中・993」

2023-09-22 20:41:40 | Weblog


ある気功師・598

この、ありがとう、から私は大分楽になった。
とはいえ、感情は理屈で支配できない。
関わってから僅かの間に死なれてしまうと痛い。
精神だけでなく、身体も痛いのだ。

私は感情を引きずらない方だ。
切り替えも早い方だ。
だから、この厳しい仕事は天職かもしれない。
そう思っていた時もあった。

診た人に感情を残しては次の人に影響する。
どんな相手であっても切り替えが必須なのだ。
その性質には恵まれている。
それでも感情は残る・・・


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「迷想中・迷走中・992」

2023-09-21 20:09:21 | Weblog


ある気功師・597

クライアントだった妹さんの、ありがとう、の言葉。
その瞬間に今までの私の間違いに気づいた。
死なれてしまったら私の行いの意味が無いと思い込んでいた。
ところが、ありがとう、だ。

氣の行いは生死を超える。
死にこだわらずに、縁があったら精一杯使ってもらう。
そして、個人の死はその関係者に受け継がれている。
死は個人のものではなく、関係者の生の質を変える。

治療の対象は病人の病ではない。
やはり生への影響なのだ。
その生は病人の生だけではない。
関係者、とりわけ家族への生への応援だ。


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