水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「祈願・31」

2009-01-31 23:19:30 | Weblog



エラソウに言葉を解説している。
祈願は気づきの扉だ、とかいっている・・・
祈願しても、しなくても同じだ。
生きていければそれでいい。

お願いしても叶えちゃくれないと知っている。
だが自分の行動とは一致しない。
ワシは言行不一致のオッサンだ。
行いは、深い意識より浅い意識が優先する。
ワシは軽佻浮薄を土台として生きているのだ。

ワシは毎日祈願している。
この仕事(プロ)になってから毎日。
朝起きて、自宅で一回。
治療院を開く時、閉じる時の二回。
諸々の神様や御師匠達の名前。
ご先祖様や氏神さまや縁のある霊達。
手を合わせ、般若心経と祝詞を口にする。

一日を宜しくお願いしている。
一日のお礼をしている。
祈願が叶うとは思っていない。
成就して欲しくて祈願しているわけじゃない。
願っているが、期待していない。
癖なのだ。
もう15年目だ。

祈願と感謝は同じだと思っている。
崇高な祈りじゃない。
立派な感謝じゃない。
遠慮せず、日々の小さな事を何かとお願いする。
ワシは根性無しだ。
気安めでいい。
神様や諸々に祈願しなけりゃ暮らせない。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「祈願・30」

2009-01-30 10:33:40 | Weblog



長い間の固定概念があった。
世界平和を祈る事。
世界制服を願う事。
同じだとは気づかなかった。
歴史をみれば明かだったのに・・・。
世界平和を口にし、戦争を行う・・・。

他の幸せを祈る事。
自の欲望を願う事。
同じだとは気づかなかった。
仕組みは、もっと深いところにあった。
気づくか、気づかぬか・・・

善悪や正誤や光闇の問題じゃない。
祈る事、願う事は扉だ。
内容は問題じゃない。
まだまだ欠陥品の人間の意識だ。
表面の善悪や正誤は最初から間違いだ。
大切なのは、祈願で気づくか気づかぬか。
この世は、面白い、仕組みになっているなぁ。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「祈願・29」

2009-01-29 13:04:19 | Weblog



「困った時の神頼み」
安易な内容の言葉だと思っていた。
だが、神頼みには深い意図があった。
それに気づくか気づかぬかは本人次第。

いつでも同じだ。
神は何も答えない。
何も干渉しない。
その代り、関わると気づきのチャンスとなる。
神との関係は、そういう仕組みだと思う。
特別扱いは、どんな存在にもしないぜ。

あるいは・・・
常に助けてくれている。
常に答えていてくれている。
常に干渉してくれている。
どちらの表現でも変わらない。
もちろん、特別扱いは、しない。

                                 
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「祈願・28」

2009-01-28 23:05:28 | Weblog



生きるのは自分の足だ。
他に背負ってもらえない。
全てお任せの人生はありえない。
歩く(生きる)のは自分の足。

その事を自覚する程、生きている実感があるだろう。
だが、つい調子に乗りすぎる事もある。
自分一人で歩けると勘違いする。
歩くのは自分だが、一人で歩ける人もいないのだ。

いつでも、必ず、他のサポートがあって歩ける。
それは、弱ってみなければ解らない。
困ってみなければ解らない。
自分が(一面で)小さな存在であると知らなければ解らない。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「祈願・27」

2009-01-27 23:08:28 | Weblog



願う相手が同じ人間の場合。
あるいは、人間に近い存在の場合。
願いを叶えてくれる事がある。
存在が高くなる程、他に干渉しない。
近い程、他に干渉する仕組みだからだ。

結果が優先して欲し時。
願う相手は人間がいい。
それも自分に近い程いい。
神様に頼んでも無視される。

頼れる身近な人間がいない時。
人間以外の身近な存在に頼む。
例えば、家守稲荷さん。
例えば、氏神様。
時には、御先祖様。
期待しないで頼んでみよう。

                                 
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「祈願・26」

2009-01-26 22:19:58 | Weblog



祈願の仕組みや大切さはわかる。
理屈はわかる。
それでも成就の結果は欲しいよなぁ・・・
だって困っているんだもん・・・

成就の内容は其々だろう。
病気回復。
難門への合格。
特定異性の心を射止める。
仕事の完成。
あるいは、就職そのもの。

ワシはいつでも決まっている。
金が足りない・・・
ナサケナイけど、その能力が少ない。
仕事はできると思うけどなぁ・・・
お金に関しては、能力が働かない。
あるいは・・・縁が薄い・・・。
結果が欲しいよなぁ・・・
(今日は雑記に感情が入ってしまった・・・)

                                 
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「祈願・25」

2009-01-25 19:39:33 | Weblog



祈り、願うが、結果は期待しない。
い、いや、期待もするけど・・・
大切なことは結果じゃない。
祈り、願う姿勢だ。
他に頼るという現実の認識だ。

他に頼らねばならぬ自分の弱さ。
それは誰でも同じ。
他も自分と同じく弱い存在という認識。
この世で強いのは神様くらいなものだ。

だから、お互い助け合わねば生きていけない。
個は、小さな一部でしかない、という認識。
調子に乗っている時は自覚し難い認識だ。
祈り、願いながら、人は存在が許される仕組みなのだ。

                                 
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「祈願・24」

2009-01-24 23:15:23 | Weblog



願いが叶う喜びがある。
祈りが通じる嬉しさがある。
成就することは少ないが、タマにはある。
タマにある事は、貴重な出来事。

期待しないで待ってよう。
人生、何が起こるか判らない。
いきなりラッキーだって起こりうる。
願いが叶う事だってある。
祈りが通じる事だってある。

でも、それは自分の力じゃないぞ。
自分の努力で成就するわけじゃないぞ。
いくら頑張ったからって、勘違いしないでね。
叶い、通じたのは、諸々の御蔭なんだぜ。

                                 
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「祈願・23」

2009-01-23 10:40:39 | Weblog



祈り、願っても諸行無常。
本人も100歳くらいで死んでしまう。
それでも生きている事に行き詰る事がある。
生きてる限り、生きるのが生命の役目。
だから、祈り、願う。

一人では生きられない。
誰かの助けで生きていられる。
人間であったり、微生物であったり・・・
そして、何だか解らないが偉大な存在。
祈り、願いと、感謝は切り離せない。

祈り、願っても諸行無常だ。
成就しても、しなくても変わってしまう。
それでも祈り、願う弱さがある。
その弱さが、とても素敵で大切な種を秘めている。

                                 
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「祈願・22」

2009-01-22 23:10:32 | Weblog



祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
平氏であらずば人にあらず、と元気だったのにねぇ・・・
源氏に負け、その源氏も惨めな終末・・・
強弱や勝負なんてそんなものだ。

勝ち組とか負け犬とか・・・
煽って商売する人達はいい。
そういう商売の方法もある。
面白がって、そういう表現を使うのもいい。
だが、本気でそんな愚かな事を信じるのはなぁ・・・

祈り、願った瞬間のある人はラッキーだ。
その瞬間に優しさの種をいただけた。
弱さの自覚は、優しさの種を生む。
種を育てるか、そのままにするのかは本人次第。

                                 
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